| 曼珠沙華 第七章 |
| 「ハボック、車を頼む」 「Yes, sir!」 そう答えてオレは車を回す。また以前のようにデートに向かう大佐を、途中で花を買ってデートの場所まで乗せて行く日々が戻っていた。今日はどこの誰だっけ。ああそうだ、確か歌手だとか何とか言ってたっけ。ハスキーなちょっと語尾の掠れる歌い方は妙にセクシーだから聞いてみろ、って大佐が言ってた。そうっスね、って答えたけど、そんなの聞けるわけない。大佐がデートした女優も歌手も、テレビに映った途端電源切ってるの、知らないでしょう。オレは車を返したその足でいつものバーへ向かう。以前は大佐をデートに送った後は冷たいシャワーを浴びるのが常だったけど、最近ではここへ来るようになっていた。暫く一人で飲んでいると仕事を終えたジーノがやってきてオレの隣りのスツールに腰掛ける。オレがここに来るのは必ず大佐をデートに送った後だと知ってるから、ジーノはまるでオレが自棄になって飲みすぎないよう、見張ってるみたいだった。一度そう言ったらジーノは真面目な顔をして「酔って道端で寝込んで熱出した上に一週間も寝込んだヤツ、野放しで飲ませられるかよ」なんて言ってた。熱を出したとき、オレが一人でいたと思っているジーノはどうして自分を呼ばなかったんだって散々言ってたけど、連絡先も知らないのにどうやって呼ぶんだって言ったら、店に連絡するなりアパートに人寄越すなりすればいいだろう、って随分文句を言った挙句オレに電話番号を書いて寄越した。ホントはここでオレも連絡先を教えるのが礼儀なんだろうかと思ったけど、そこまでジーノに踏み込まれるのが怖くて、黙って番号を書いた紙をしまうオレをジーノは何も言わずに見つめていた。 「寄ってくだろう?」 バーで飲んだ後、ジーノは必ずそう言う。いつからかオレが帰りたがらない事に気がついてからは必ず。デートしてる大佐のことを思い出さないよう、ぐでぐでになるまで酔ったところで、一人になればすぐ大佐のことを考えてしまう。一人になるのが怖くて、オレはジーノに誘われるまま朝までジーノの家で過ごすことが多くなった。特に話をするわけでもない、ただ朝まで一緒にいて、時にはジーノの肩に体を預けて眠ってしまうこともある。ジーノが何を思ってオレにここまでしてくれるのか判らなかったけど、それでもほんの一時でもいい、大佐のことで一人思い悩む時間から抜け出したくてオレはジーノの優しさに甘えていた。 「よ、元気してるか、少尉」 「ヒューズ中佐。いつこっちに?」 いきなりオレの背中から圧し掛かってきた男を肩越しに見やってそういえば、ついさっき、なんてヘラヘラと答える。髭面メガネのこの男が大佐の親友だって聞いたときは、凄く意外な気がしたものだ。だが、こうして何度も会っているうち、この食えないおっさんなら大佐の親友ってこともあるだろうって気がしてくるから不思議だ。 「ロイは?」 「大佐なら会議っスよ」 「えーっ、この時間に来るって言っておいたのにぃっ」 ああ、オレが知らないだけで来る予定だったのか、と子供のように口を尖らす中佐に苦笑しながらそんなことを考えて、大佐がオレに教えてくれなかったことで勝手に傷つく。ただの部下でしかないオレに何もかも全部話す必要なんてないことをよく判っていながら。 「少尉ー、コーヒー飲みたいなっ」 そういう中佐に「はいはい」と答えて、オレは席を立った。給湯室に入って壁に寄りかかるとホッと息を吐く。正直オレは中佐がここに来るのが嫌だった。早く帰ってくんないかな、何て考えながらコーヒーを淹れて司令室に戻れば、ちょうど大佐が会議から帰ってきたところだった。大佐に愛娘の写真を見せている中佐にコーヒーを差し出す。 「お、サンキュ」 中佐はオレからカップを受け取ると大佐に向かって愛娘の写真を振りながら話し出した。 「だからさ、ロイ。お前もさっさと結婚しろって。女神ともいえる奥さんと天使のような子供。これが男の幸せと言わずして何を幸せと言うんだ」 そう力説する中佐に大佐は呆れたように笑っている。いつもそうだ。中佐はセントラルからやってくるたび大佐に結婚しろって喚きたてる。アンタが結婚して幸せだからってそれを大佐に押し付けることないのに。 「なあ、少尉。お前さんもそう思うだろう?やっぱり綺麗な嫁さん、早く欲しいだろう?」 「はは、そうっスね」 「ほらみろ、ロイ。みんなそう思うんだよ」 やめてくれよ。そんなこと決め付けるな。大佐が結婚なんて、そう思っただけで胸が苦しくなる。色んな人とデートをしている今ですらこんなに辛いのに、もし大佐が誰か一人のものになってしまったら。そう考えたら息が止まりそうになった。 「ヒューズ、お前、仕事しに来たんだろう?」 大佐が呆れてそう言えば 「そうだった。早く済ませて帰らないとエリシアちゃんが待ってる」 なんて言いながら書類を出している。そうだ、さっさと仕事済ませて帰っちまえ。それでもう、二度とここに来ないでくれ。大佐に結婚なんて話、二度としにくるな。心の中でそう罵りながら、オレは二人に背を向けると逃げるように司令室を後にした。 「ジャン、もうその辺にしとけ」 ジーノはそう言ってオレの手からグラスを取り上げる。不服そうに見上げるオレに苦笑すると言った。 「明日も仕事あるんだろう?」 「別にこれくらいどうってことない」 そう言ったオレに、それでもジーノは支払いを済ませてしまうとオレの腕を取って立ち上がらせる。ふらりとよろけたオレを支えて、ジーノはため息をついた。 「ほらみろ。足元ふらついてんじゃねぇか」 そう言ってオレを支えるとまたいつものようにジーノのアパートに向かう。ガンガンと階段を鳴らして2階のジーノの部屋に辿りつくと、オレは身を投げ出すようにしてソファーに座り込んだ。水を入れたグラスを差し出してくるのを受け取ってゴクゴクと一気に飲み干すと深いため息をつく。ジーノはそんなオレをじっと見下ろしていたがオレの手からグラスを取り上げると低い声で言った。 「もうやめちまえよ」 「え?」 言ってることが判らなくてジーノの顔を見上げる。ソファーに座ったオレからはジーノの顔は影になって、酔いに霞んだ目ではその表情はよく判らなかった。 「やめろって何を?」 呂律の回らない舌でそう聞けばジーノが低く囁く。 「マスタング大佐を好きでいることを」 「…なんで?」 どうして突然そんなことを言い出したのか判らなくてそう尋ねた。ジーノはソファーに座ったオレの前に跪くとオレの頬に手を寄せる。 「だってお前、いつだってすげぇ辛そうにしてるだろ。そんなに辛いならもう好きでいるのやめちまった方が――」 「ムリ」 ジーノの言葉の途中でそう言えば、ジーノは息を飲んでオレを見つめた。 「ムリ。オレ、たとえ死んでも大佐のことが好きだもん」 そんな簡単にやめられるならとっくにそうしてる。例えどんなに辛くても、オレは大佐を好きでいることをやめられない。 「オレ、大佐のことずっとずっと好きだから。これまでも、これからも」 ソファーに背を預けてそう言うオレをジーノはじっと見つめてそれから聞く。 「もし、お前のことを凄く好きなやつが現れたら?それでもお前はお前のことを見てもくれない相手を好きでい続けるのか?」 ジーノの言葉にオレは薄っすらと笑って頷いた。 「うん」 だって、オレの魂にはもうあの黒曜石の瞳が放つ強烈な光が焼きついてしまった。だからもう、あの人以外好きになることなんて出来ない。オレは瞳を閉じて息を吐く。大佐のことを思い浮かべながらゆっくりと眠りに落ちていくオレの唇の上に、何かが優しく触れてきたのを感じたのを最後にオレの意識は闇に溶けていった。 ジーノとそんな話をした後も、やっぱり何も変わることなどなくて。相変わらずオレはデートに出かける大佐を送ってはバーで酒を飲んでジーノの部屋で夜を明かしていた。あれ以来ジーノはオレに大佐のことで何か言ったりはしなかった。ただ時折思いつめたような目でオレを見てくるのがなんだか気になって、何度か理由を聞こうとしたけど結局聞くことも出来ず、オレはそんなジーノに気づかないフリでアイツの優しさに甘える日々を過ごしていた。 そんなある日、いつものように司令室の扉を開けて中に入れば、先に来ていたフュリーたちが一斉に振り向く。 「あっ、少尉。もう聞きました?」 朝の挨拶も吹っ飛ばしてそう聞くフュリーにオレは首を傾げた。 「聞いたって何を?」 「大佐、将軍の紹介でお見合いするそうですよ」 「…え?」 「驚きですよねぇ、まだ結婚なんてそんな感じ全然しなかったのに」 「でも年齢的には適齢期ってヤツだろ。ヒューズ中佐なんてもう子供もいるんだしさ」 「しかし、将軍の紹介って事はもう決まったようなもんでしょうなぁ」 ブレダやファルマンが口々に何か言ってるのが酷く遠く聞こえる。大佐がお見合い?結婚するって?突然の事に何も言えずにいると、ブレダがオレの顔を覗き込んだ。 「おい、どうした、そんなにビックリしたか?」 「え?…あ、うん…だって昨日だってデートしてたし…そんなお見合いだの結婚だのって…」 「だよなぁ。でももしこれで大佐が落ち着いてくれたらイーストシティ中の男がホッとするぜ」 落ち着いてって、大佐が誰かのものになるってこと?オレがパニックを起こしかけた時、司令室の扉が開いて大佐が入ってきた。一斉に視線を向けられて流石の大佐もビックリしたように目を開く。 「大佐っ、お見合いするって本当ですかっ?」 勢い込んで聞くフュリーに大佐は苦笑して答えた。 「なんだ、もう知ってるのか?」 「うわ、ホントなんだっ」 ブレダが大袈裟に驚いてみせる。いつ、どこで、誰とと騒ぎ立てるブレダたちを手を振って追い払うと大佐はちらりとオレを見た。呆然と立ち尽くしているオレに薄く笑うと「仕事をしたまえよ」と言って執務室へと入ってしまう。結局何も情報を得られなかったブレダ達が騒ぐ声を遠くに聞きながらオレは全身の血が引いていくのを感じていた。 その日はどうやって過ごしたのか、全く覚えていなかった。演習もしたはずだし書類も書いたはずなのだが、それをしているオレを遠くから見つめるもう一人のオレがいて、なにもかもが酷く現実味を欠いているように思えた。仕事を終えても、もうどこに行っていいのかわからずふらふらと彷徨っていたオレは、気がつけばジーノのアパートの前に立っていた。まだそんなに遅い時間じゃないから、ジーノは多分店にいるだろう。そう判ってはいたがオレはゆっくりと階段を上がるとジーノの部屋の前に立つ。 ドンドンドンッッ!! いないと判っているのにオレは思い切りドアを叩いた。何度も何度も。 「いい加減にしろっ!うるせぇぞっ!!」 どこからか怒鳴り声がして、オレは拳をドアに押し当てたままズルズルと座り込んでしまった。 |
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