| 曼珠沙華 第八章 |
| そうして一体どれだけそうしていたのだろう、グイと肩を引かれて振り仰げば驚いた顔をしたジーノが立っていた。 「ジャン?!一体どうしたんだ?」 様子のおかしいオレにジーノはそう言うとオレの腕を引いて立たせる。背を押して部屋の中に入るとオレをソファーに座らせた。 「ジャン?何があった?」 オレの隣りに腰掛けて顔を覗き込むようにしてジーノが聞いてくる。サラリと流れる黒髪に縁取られたその顔を見るうち、オレの目からポロポロと涙が零れてきた。 「ジャンっ?」 驚いたジーノがオレの肩を掴んで間近に顔を寄せる。オレは唇を震わせるとやっとのことで言った。 「たいさ、お見合いするって…多分そのまま結婚するだろうって…」 自分で言った言葉に更に胸を抉られてオレは嗚咽を零す。大佐が結婚するってそう思っただけで、足元が崩れてもう立っていることもできない。これから先、どうしていいのか、いっそ狂ってしまえればいいのに、オレがそう思ったとき、肩を掴んでいたジーノの手がオレの背中に回されて、オレの体をそっと抱きしめてきた。子供みたいにしゃくりあげるオレの背を何度も撫でて、優しいその手にオレがジーノの胸元に頬を寄せてされるままになっていると、ジーノは抱き締める腕に力を込めてオレの耳元に囁く。 「もう、忘れちまえ、そんなヤツ」 忘れるって誰を? 「いつだってお前、ソイツのせいで辛い想いばっかりして、もう十分だろう?忘れちまえよ」 なに?何言ってるのかよく判らないよ。 あんまり深く傷ついて、麻痺してしまった心はジーノが何を言っているのかよく判らなかった。ジーノは何も言わずにいるオレの涙をそっと拭うと言った。 「オレが忘れさせてやるから…」 ジーノはそう囁くと唇を寄せてくる。最初は恐る恐る軽く触れたそれが、オレが逃げないと判ると深く合わさってきた。 「ん…ぅん…」 背中に回された腕がギュッとオレを抱きしめて、口中に忍び入ってきた舌がオレのそれを絡め取る。きつく絡め取られてオレはどうしていいのか判らずに必死にジーノのシャツを握り締めていた。 「は…ふ、ん…っ」 角度を変えて何度も口付けられる。ようやく唇を離すと、ジーノはオレの髪を撫でながら言った。 「好きだ、ジャン…初めて会ったときからずっと…」 ジーノはそう言ってもう一度口付ける。 「俺だったらお前を泣かせたりしない。大事にするから…だから」 忘れろ、とジーノは囁いた。忘れたらオレは救われるんだろうか。オレは救われたいんだろうか。よく判らないまま気がつけばソファーの上に押し倒されてオレはジーノをぼんやりと見上げていた。ジーノは啄ばむように何度もオレに口付けるとオレの軍服の上着のボタンを外していく。ジーノの手がシャツの裾から入り込んでオレの肌を撫でた。ジーノの指先がオレの乳首に触れてオレはピクリと体を震わせる。キュッと摘まれてびくんと大きく体が跳ねた。くりくりとこね回されて体を震わせるオレの耳元に唇を寄せると舌を差し入れてくる。ぬちゃと音を立てて這い回るそれに心が竦みあがってオレは力なく首を振った。こんなことをするジーノが怖くて逃げようとするオレの体を引き戻すと、ジーノは強引に唇を合わせてくる。押し返そうとするオレの手を掴んでジーノは吐息と共にオレの耳に言葉を吹き込んだ。 「好きなんだ、ジャン…俺を見てくれよ…」 何度も好きだと囁かれてもう、何がなんだか判らなくなって。肌を這い回る手が、正常な思考を奪っていく。遠くでジッパーを下ろす音がして入り込んできたジーノの手に中心を握りこまれた瞬間、オレは悲鳴をあげてジーノを突き飛ばしていた。 「ジャンっ」 全身が嫌悪に粟立っていた。オレがこうされたいのはジーノじゃない。ジーノのことは好きだけど、でもキスしたいとかセックスしたいとかそういう風には思えない。ジーノの濃い茶色の瞳を見返した時、オレの唇から言葉が零れ落ちた。 「…嫌だ…っ」 「ジャンっ、俺はっ」 「嫌だっ、嫌だっ!嫌だっっ!!」 酷い事なんだろうと心の隅で思う。散々ジーノに甘えてきて、今日だって泣きつきに来て。でも、ジーノとこんなことをするのは嫌だ。そして何より、大佐の事を忘れてしまうなんて嫌だった。もっとも、忘れようったって忘れることなんて出来やしないのだけど。 「ごめん…でも、嫌だ…っ」 オレは泣きながらそう言うと逃げるようにアパートを飛び出した。背後からジーノが呼ぶ声が聞こえたけど、振り返らずに走り続ける。もつれる脚を必死に前に出してネオンの街を走っていると前から来た数人の男をよけきれずにぶつかってしまった。ぶつかったオレを怒鳴りつけようとした男は、オレの格好を見るとヒュウッと唇を鳴らし、下卑た笑いを浮かべる。 「なに、痴情のもつれ?いい格好してんじゃないの、軍人さん」 一人がそう言えば、他のヤツらもゲラゲラと笑ってはやし立てた。 「…どけよっ」 オレがそう言って近くにいたヤツの胸倉を押せば、酔った男達はカッとなって掴みかかってくる。あわや乱闘騒ぎという時、よく通る声が響いた。 「何をしているっ?」 そう言って近づいてくる人影に、男達は舌を鳴らして逃げ出していく。オレはといえば逃げることもせずにただその場に立ち尽くしていた。 「ハボック?!」 聞きなれた声に顔を上げればそこには驚いた顔をした大佐が立っていて。 「お前っ、なんて格好して…っ」 大佐がなんか言ったけどでもオレにはそれどころじゃなくて、大佐の顔を見た途端、ぼろぼろと泣き出してしまった。 「おっ、おいっ、ハボックっ?!」 子供のようにわあわあと泣くデカイ男に、周囲が好奇の目をむけながら通り過ぎていく。大佐は困り果てたようにオレを見つめていたが、コートを脱ぐとオレの肩にかけた。 「ハボック、とにかく向こうへ行こう」 「た、いさぁ…」 「ああ、よしよし、わかったから」 グシグシと泣くオレの背を叩いて、大佐はオレを促して歩き出す。大佐は道を1本入ったところにあった小さなホテルへオレを連れて行くと、部屋をとって中へと入った。オレをベッドに座らせるとその隣りに腰掛ける。 「ハボック、頼むから泣き止んでくれないか?」 こんな困りきったような大佐の声は聞いた事がない。それでもオレは零れる涙を止めることが出来なくてしゃくりあげた。 「ハボック…」 オレを呼ぶ声に必死に涙を飲み込むと大佐に言う。 「たいさ…結婚しちゃうんスか?」 「え?」 「お、みあいして…そのままけっこん、しちゃうんスかっ?」 オレは手の甲で涙を擦ると大佐の顔を見た。 「結婚、なんてしないで…オレ、たいさが…たいさのことがスキ…っ」 突然のオレの告白に大佐は目を丸くして絶句してる。当たり前だ。ただの部下でしかないこんな大男にいきなりスキだなんて言われたら引くに決まってる。でも、もうオレは自分の気持ちを抑えることができなかった。どうせ大佐が結婚しちゃったら側になんていられない。だったらもう言ってしまってもいいじゃないか。言うだけ言ったらもう、どこか遠くに消えるから。だから今だけ本当のこと言わせて欲しい。 「ずっと…たいさのこと、好きっス…こんなの、迷惑だって判ってるけど…」 ごめんなさい、とそう言って俯くとオレは口を噤む。お互い黙り込んでしまって、ああ、きっと大佐、さっきよりもっと困った顔、してんだろうな。いや、気持ちが悪いって顔、してんのかなって思う。オレはゴシゴシと顔を擦るとふらりと立ち上がった。無理矢理へらりと笑って言う。 「変なこといってすみませんでした…。結婚しないでとか、好きだとか、き、気持ち悪いっスよね…オレ、明日、辞表出しますから…っ」 そう言って部屋から出ようとするオレの腕をベッドに座ったままの大佐が掴んだ。 「た、いさ?」 じっと見上げてくる黒い瞳にオレは大佐が怒っているのだと思った。このまま燃やされてしまうのかと、その方がいいのにって思っていると大佐が深いため息をつく。大佐はオレを見つめて小さく笑った。 「では、あれは私の思い違いではなかったんだな」 「え?」 あれ、ってなんのこと? 「覚えてないのか?お前、この間熱を出して倒れた時、私に何度も“スキだ”と言っただろう?」 え? 「泣きながら何度も何度も。誰かと私を間違って言っているのかとも思ったんだが、あんまり私をまっすぐに見て言うから」 なに?オレが何を言ったって? 「私に好きだと言ったのかと思ったら、熱が下がればそんな素振りも見せないし。だが、あんな風に言われて逆にこっちはお前のことが気になって仕方なくてだな」 ちょっと待って。大佐、何を言ってるの? 「男は嫌いだったはずなんだが、あの後どんな美人とデートしてても思い出すのはお前のことばっかりで」 大佐はそう言うとオレの手をギュッと握った。 「こんなに人の気持ちを引っ掻き回しておいて、お前ときたらそ知らぬふりで、だからカマをかけてみたんだよ。私が結婚するらしいと聞いたらお前がどうするかってな。そうしたらお前、仕事が終わった途端、司令部飛び出していってしまうし」 呆然として大佐を見下ろすオレを大佐は軽く睨む。 「散々探しまわってやっと見つければ、お前はそんな格好で男どもに絡まれて」 そう言われて初めてオレは自分の格好を見下ろした。オレの服はジーノのところで乱されたまま、上着は肩からずり落ちてるし、ズボンだってベルトもボタンも外されているどころかジッパーだって半分下がった状態で。 「こっ、これは、そのっっ」 そんなんじゃないのだと、必死に首を振るオレをヒタと見つめて大佐が言った。 「もう一度、聞いてもいいか、ハボック。私をどう思っている?」 そう言って見つめる黒曜石の瞳に心臓が震える。ああ、そうだ。ずっと好きだったのはこの瞳だ。 「スキ…オレ、たいさが好きっス…」 そう言えば大佐がグイとオレの腕を引いた。引かれるまま倒れこむように大佐の胸に飛び込む。大佐はオレの上半身を抱きかかえるようにしてオレの頬を撫でると言った。 「私もお前が好きだよ、ハボック」 「…うそ」 そんな言葉を聞けるなんて、これっぽっちも思っていなかったオレが、思わずそう呟けば、大佐は思い切りオレの鼻を摘んで悔しそうに言う。 「ウソとはなんだ、ウソとは。こんなこと、男相手に嘘なぞ言えるかっ」 大佐はそう言ってオレのことを抱きしめた。 「私の気持ちを散々に乱した罰だ。覚悟しておきたまえよ」 大佐はニヤリと笑ってオレの体をベッドに押し倒した。 |
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