曼珠沙華  第六章


「…ック!おい、ハボック、起きろっ!!」
 乱暴に肩を揺さぶられてオレは顔を上げる。ぼんやりと見上げた先には呆れたような心配しているような、複雑な表情をした大佐の顔があった。
「あれ、たいさ。おはようございます」
 大佐の背後に朝の霞みがかった空が見えたからそう言えば大佐が思い切り顔を顰める。何か変なことを言ったろうかと首を傾げるオレに大佐が呆れたように言った。
「なにが“おはようございます”だ。お前、こんなところでなにやってるんだ」
 こんなところと言われてオレはきょろきょろと辺りを見回した。オレが座っているのは大佐の家の前にある植え込みの根元で、どうやらオレは昨夜ここに座り込んだまま眠ってしまったらしかった。
「あはは…番犬のかわり?」
 へらりと笑ってそう言うと大佐は大きなため息をつく。
「バカなこと言ってないでさっさと立て」
「アイ、サー」
 どうしてここにいたのかなんて、本当の理由が言えるわけもなく、オレはふざけた調子で答えると手をついて立ち上がった。その途端、ぐらりと視界が傾いでオレは思わず手を伸ばす。目の前の大佐の腕を掴もうとして、だが咄嗟に手を引いたオレの腕を伸びてきた大佐の手がガッシリと掴んだ。
「ハボっ?どうし…っ!」
 どうしたんだろう、なんだか目が回る。吐く息が酷く熱くて頭の奥がぼうっとする。脚に力の入らないオレの体を支えた大佐の声が遠くに聞こえた。
「おま…っ、ひどい熱だぞっ!」
 え?なに?熱?だれが?ふとあげた視線の先で大佐が何か言ってる。でも、それが意味を成して届く前に、オレの意識はふっつりと途絶えた。


 熱い。
 物凄く熱い。
 体中が熱くて溶けてしまいそうだ。
 なんでこんなに熱いんだろう。
 これは大佐の焔なんだろうか。
 オレが大佐に変な気持ちを抱いているから、だから怒ってオレの事燃やしてしまおうとしてるんだろうか。
 そう思った途端、目の前に大佐の背中が見えた。その背がどんどんオレから遠ざかっていこうとするからオレは必死に手を伸ばす。
「行かないで…っ、オレをおいていかないでっっ」
 好きになってごめんなさい。でも、絶対誰にも、大佐にも言わないから。だからせめて側に置いて。
「おいていかないで…」
 そう言って伸ばした腕を誰かが掴む。
「大丈夫、置いていかないから安心しろ」
 本当に?ほんとうに?オレ、側にいてもいいの?
「あたりまえだろう。ちゃんと私の側にいろ」
 そう言ってギュッとオレの手を握ってくれる。優しく答える声に、オレの意識は闇へと落ちていった。


「あれ?」
 フッと目を覚ませば見上げるのは見覚えのない天井。パチパチと数度瞬きしたが、それが見覚えのあるものに変わるはずもなくオレはゆっくりと体を起こした。
「どこ、ここ?」
 オレが横になっていたのは上等なベッドでだだっ広い部屋には小さなテーブルと椅子、それからクローゼット。テーブルの上にはなにやら書類と思しきものが積んである。壁一面に大きく切り取られた窓にはレースのカーテンがかかっていて、その向こうには暮れ始めた空が広がっていた。ぼんやりとその空を眺めていたらカチャリと音がして扉が開く。音に引かれるようにしてそちらを見れば、大佐がトレイに水のボトルとグラスを載せて入ってくるところだった。
「え…たいさ?」
 なんで大佐が入ってくんの?つか、ここ、どこ?
 軽いパニックを起こして大佐を見つめるオレの顔を見て、大佐は明らかにホッとした表情を浮かべるとベッドに近づいてくる。ナイトテーブルの上にトレイを置くとベッド脇の椅子に腰掛け、オレの顔を覗き込むようにして言った。
「よかった、目が覚めたんだな」
 大佐はそう言ってオレの髪をかき上げるとコツンと額を合わせる。
「熱も大体下がったようだし、これならとりあえず大丈夫そうだ」
 大佐は髪をかき上げていた手をオレの頬に滑らせて、軽くパチンと叩くと手を離しグラスに水を注いだ。差し出したそれを、だがオレが受け取らない事に眉を寄せるともう一度オレの頬に触れてくる。
「どうした、まだ気分が悪いのか?」
 気遣わしげに聞いてくる大佐にオレはようやく口を開くと言った。
「ここ、どこっスか?オレ、どうしてここに?」
「なんだ、覚えてないのか?」
 覚えてないも何も、そもそもオレ、どうしたんだっけ?オレは大佐の顔を凝視したまま必死に記憶を探る。えっと、えっと、確かデートに行く大佐を送った後、家に帰りたくなくて酒飲みに行ってそしたらジーノが来て…。ジーノの家に行った後、そうだ、確か大佐の顔が見たくなって大佐んちまで来て、それから…。
「私の家の前の植え込みで酔っ払って寝てたんだろうが。覚えてないのか?」
 そういえばそうだった。でもなんでそのオレがここで寝てんの?ていうか、もしかしてここ、大佐んち?
 恐る恐る聞くオレに大佐は呆れたため息をつく。
「熱を出して倒れたんだ。まったく、あんなところで寝てるからだぞ」
 大佐の説明によればあの晩、大佐の家の前まで来たオレは植え込みの根元に腰を下ろしたまま眠ってしまったらしい。そうして朝になってオレがいる事に気がついた大佐に起こされて、でも、その時にはもう酷い熱を出していてその場でぶっ倒れたと言うわけだ。
「あの…もしかして大佐が運んでくれたんスか?」
「気を失っていて歩けるわけがないだろう。抱いてここまで連れてきた。服はブレダ少尉に頼んでアパートの管理人に部屋の鍵を開けてもらって持って来てもらったんだ。後でちゃんと礼を言っておけよ」
「服…」
 言われて見ればオレが着ているのは軍服じゃなくて普段家で着ているグレーのスウェットだった。え、って事は、ちょっと待て、これ着させてくれたのって…。
「私に決まってるだろう」
 他に誰がいると言うんだ、そう言われて、そうっスよね、なんて間抜けな返事を返す。恥ずかしくて消えてしまいたいと思いながら、ふと他の事が頭に浮んだ。そういえば大佐、仕事はどうしたんだろう。普段ならまだ司令部にいる時間なんじゃないだろうか、そう思って聞いて見ると大佐は苦笑して答えた。
「中尉にここに持って来てもらったよ。酷い熱で一人にしてはおけなかったし、それに『行かないでくれ』ってボロボロ泣いてたろう、お前」
 え、え、え?ちょっと待て。え、そんなこと、いつ言ったんだ?全然記憶にねぇっ!行かないでなんてそんな恥ずかしいこと、大佐に言ったのか、オレっ?!
「全くお前…」
 一人赤くなったり青くなったりするオレに大佐はくすくすと笑うとそっとオレの頬を撫でる。何か言おうとして、一度口を噤み、それから多分違うことを口にした。
「中尉がお前が目を覚ましたら食べさせてやってくれと言ってスープを作ってくれたんだ。食べられそうか?」
 そう聞かれて頷くオレの頬から手を離すと、大佐はゆっくりと立ち上がる。
「温めて持ってくるからもう少し横になっていろ」
 そう言って大佐はオレをおいて部屋を出て行った。


 結局その後3日、オレは大佐の家にいた。もう熱も下がったし帰ると言ったオレを、大佐は無理をしてぶり返したらどうするんだと言って帰してはくれなかった。それでももう、一人にしても大丈夫だと判ると昼間は司令部に行き、夕方早目に戻ってきていた。
「大佐、会食とかあったんじゃないっスか?」
 明日はアパートに戻ると言う前の晩、一緒に食事を取りながらそう聞いてみる。
「中尉が気を聞かせて他に回してくれたよ」
 そう答える大佐に、だったらホントはまっすぐ家になど帰らずにデートの1つもしたかったろうと、軽い調子で言ってみれば大佐は複雑な表情でオレをじっと見つめたが、そのまま何も言わなかった。そんな大佐の様子に、オレは内心大佐が怒っているのかもしれないとようやく気づいて。
(そうだよな、自分ちの前で熱出して倒れて、流石に放っておけないから面倒見てくれたけど、散々迷惑かけてんだもん、怒ってない筈ない…)
 今までそのことに思い至らなかった自分のバカさ加減を呪いながらも、オレは手にしていたフォークを置くと改めて大佐に言った。
「あの、今回はご迷惑かけて申し訳ありませんでした。ホントに、その…すみません…」
 最後の方は酷く小さい声になってしまう。大佐はそう言って頭を下げるオレをじっと見ていたが、1つ息をつくと言った。
「そう思うのならもうあんな無茶な飲み方はしないことだ」
「はい、気をつけます」
 オレはそう言うと深々と頭を下げる。こんなバカなオレを大佐が見捨ててしまうことがないよう、心から願いながら。


「おう、ハボ。もう体はいいのか?」
 一週間ぶりに顔を出したオレにブレダが聞く。ファルマンやフュリーも心配そうに声をかけてくるのに笑いながらオレは答えた。
「ああ、もう大丈夫。迷惑かけてごめん」
 みんなに向けてそう言えば、皆笑って「いいんですよ」とかなんとか言ってくれる。オレはブレダの顔を見ると改めて礼を言った。
「服とか持って来てくれたんだって?ありがとな」
「んー、まあ、管理人から鍵借りて適当に持っていっただけだからな」
 気にすんな、と言ってくれるブレダに今度奢るから、と言っていたら大佐が入ってきた。皆が口々に朝の挨拶をするのに手を上げて答えた大佐はちらりとオレを見た。だが、何も言わずそのまま執務室に入ってしまった大佐にまだ怒っているのだろうかと気持ちが沈む。
(落ち込んでる暇なんてない、仕事、仕事…)
 そう自分に言い聞かせるように心の中で呟いて、オレは書類に手を伸ばした。


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