幼愛  第三十章


「それで、たまたま出会った少女とケーキを食べていて戻るのが遅くなった、と」
「ああまあ、簡単に言えばそういうことだ」
 冷ややかな視線で自分を見つめる副官にロイは引きつった笑いを浮かべながら答える。その途端、ホークアイが纏う空気の温度が更に氷点下の方向へ10度以上下がって、ロイはぶるりと体を震わせた。
「簡単に言うも何もそれ以上言いようがありません」
 ダラダラと少女の泣き声が聞こえたところから懇切丁寧に説明したロイの帰りが遅れた理由を一言でそう切り捨てて、ホークアイはため息をつく。
「どんな理由があるにせよそんな小さな子を勝手に連れて行って、親御さんが探さないともわからないでしょう」
「はあ…」
 肩を落として上目遣いでそう返事をする上司にホークアイは頭痛を覚えた。言いたいことはまだあったが自分の精神衛生上の事を考えると長引かせるのは得策でない気がする。
「とにかく!こちらとこちらとそれから、ブレダ少尉?」
「俺のはこれですっ」
「……とっととサインして下さい。そうしたらお帰り頂いて結構です」
 意外にも目の前に置かれた書類は僅かでロイは驚いて目を見張った。
「これだけでいいのかね?」
 ついうっかりそう聞いてしまってから慌てて口元を押さえればホークアイがため息をつく。
「さっきからハボック少尉が待ちくたびれてますから。あまり待たせるのはなんだか忍びないので」
 そう言ってホークアイがチラリと向けた視線の先ではハボックが椅子の背を抱え込むようにして座っていた。不貞腐れた様なその表情に思わずくすりと笑えばホークアイに睨まれてロイは慌てて表情を引き締める。そうして席に座ると渡された書類に目を通し、サインをしたためていった。


 二人で並んで家に帰る途中、ハボックは殆んど口を聞かなかった。家に戻ってハンバーグを前にしたロイが嬉しそうに話しかけても殆んど顔をあげようとしない。流石に拙いと思ったロイは食後のコーヒーを持ってきたハボックの腕を掴むと、グイと引いてなかば強引にソファーに並んで腰掛けさせた。
「ハボック。その、心配させてしまったようで悪かったな。私としてはいつもの息抜きの延長でまさかこんなに心配するとは思ってなかったんだ」
 顔を覗き込むようにしてそう言ったが、ハボックは自分の膝を睨みつけていてロイと目を合せようとはしなかった。ロイがため息をついて言葉を続けようとした時、ハボックがへの字に引き結んでいた唇を開く。ぼそぼそと低い声で言った。
「大佐、オレがメシ作って待ってんの判ってるのに女の子とケーキ食べてたんだ」
「え?あ、いや…すぐ戻るつもりだったしな。それに母親が帰ってくるまで腹をすかせて待っていると聞いたらなんだが可哀想になって」
「オレだって大佐のこと待ってたのに」
 ムスッとして言うハボックにロイは困ったように笑う。
「悪かった、ハボック。だからそんなに剥れないで――」
「大佐はオレより女の子と一緒にいる方がいいんだ」
「そんな訳ないだろう?」
「女の子とケーキ食べてる方が楽しいんだ。オレのことはそんなトコ連れていってくれたことないのに」
「おい、ハボック」
「男のオレと一緒にメシ食うより、女の子とケーキ食べてた方が楽しいんでしょっ」
「ちょっと待て、女の子と言ったってホントに女の子だぞ、5歳か6歳の」
 なんだか雲行きが怪しくなってきたことにロイは呆れてそう言った。だが、その途端、ハボックの瞳からポロポロ涙が零れ落ちるのを見て呆気にとられてしまう。
「5歳だろうが15歳だろうが25歳だろうが、大佐がオレ以外の誰かと二人っきりでいるなんてヤなんスもんっ!」
「ハボック?」
「すっごいヤダ!だって、オレ…っ」
 ハボックはそう言いかけて口ごもるとカアアッと顔を赤らめる。いきなり立ち上がると紅くなった頬を両手で押さえてポカンとして見上げるロイを見た。
「オレ……ッ」
 それだけ呟くと突然バタバタとリビングを飛び出していってしまう。
「えっ?ちょ…っ、ハボックっ?!」
 物凄い勢いで階段を駆け上がっていくハボックを数瞬遅れてロイは追いかけた。だが、ロイが追いつく前に目の前で寝室の扉が音を立てて閉まり、ロイはノブを掴むと鍵のかけられたそれをガチャガチャと回す。
「ハボック?!開けなさい!」
「嫌っス、あっち行ってっ!」
 ドア越しに聞こえる声にロイはチッと舌を鳴らすと懐から発火布を取り出した。サッと手に嵌めパチンと指を鳴らせばボンと小さな焔をあげてドアノブが壊れる。足で蹴りあけて中へと入れば、ベッドの上にブランケットの小山が見えた。
「ハボック、出てきなさい」
 ベッドに近寄り肩と思しき箇所に触れてそう言えばハボックがブランケットを巻き込むようにして益々縮こまる。
「ヤダッ」
「ハボックッ!」
「あっち行けって言ってるっしょ!このロリコンのヘンタイオヤジッ!」
「な…ッ、ハボック、お前なぁッ!」
 言うに事欠いてそんな事を口走るハボックに流石にロイもムッとすると強引にブランケットを引き剥がした。
「ハボックッ!」
「ヤダッ」
 肩を掴んでグイと引き起こせば真っ赤になったハボックの頬に零れる涙に気付く。ムッとしたのも忘れてまじまじとハボックの顔を覗き込めば目を伏せたハボックの瞳から更に一筋涙が頬を流れた。
「ハボック…」
 ロイはひとつ息をついてベッドに腰を下ろすとハボックを見つめる。優しい仕草で零れる涙を拭ってやればハボックがビクリと震えた。
「なぜ泣く?心配させたのは悪かったが泣くほどのことではあるまい?増してや相手は子供なのだし」
 困ったようにそう聞けばハボックが涙に濡れた瞳をあげる。その綺麗な空色にゴクリと喉を鳴らすロイにハボックが言った。
「大佐、前にオレが誰かと一緒にいたりエッチしたりしてると思うと嫉妬で狂いそうになるって言ったっスよね?今もそう?」
「ん?ああ、当たり前だろう?」
「……オレも嫌っス。綺麗な女の人でも小さな女の子でも、大佐が一緒にいて笑いかけたり優しく話しかけたりしてると思うとすっげぇ嫌。胸が痛くて苦しくて、どうしていいのか判んなくなるっス。こんなの、初めて…。さっきだってなんだか急にドキドキして顔が熱くなって…。涙止まんなくなるし、訳判んねぇ。どうしたらいいんだろ、オレ…ッ」
 話してる間にもこみ上げてくるものがあったのか、ポロポロと零れる涙をハボックは腕で乱暴にこする。最初は呆然としてハボックの言葉を聞いていたロイだったが、やがて何もかもが合点がいったというように微笑むとハボックの腕を掴んだ。
「そんなに乱暴にこすったら紅くなってしまうだろう?」
そ う言ってやんわりと押し留めればハボックが困ったようにロイを見る。幼い表情を浮かべるその頬をそっと撫でると言った。
「なあ、ハボック。私が嫉妬で狂いそうになると言った理由を覚えているか?」
「り、ゆう?」
「そう、理由。私はお前が好きだ。だから私以外の誰かがお前に触れたりしようものならソイツを焼き殺したくなる。お前に触れるのは私だけでありたい。私だけがお前に触れてキスしてその全てを独り占めする存在になりたい。お前を好きだからそう思うんだよ、ハボック」
 ゆっくりとそう言えばハボックの瞳が見開かれる。ロイの瞳をじっと見つめると言った。
「オレも誰かが大佐に触んのは絶対嫌っス。大佐のその瞳がオレ以外の誰かをみるのがすっごい嫌っス。オレだけが大佐と一緒にいて、大佐に触れていたい。他の誰にも触らせたくないっス……」
 ハボックは自分の中のモヤモヤした気持ちをそう言葉にしていく。
「大佐をオレだけのものにしたい……大佐とキスしたい……大佐と、ずっとずっと一緒にいたい」
 今まではただ一時の快楽を求める為だけに相手に触れてきた。だが、今ロイに触れたいと思う気持ちはそれとは違ってもっとずっと熱く深いものだ。ロイに触れられなければ、ロイを得られなければきっと気が狂ってしまうと思えるほどに。
「たいさ、オレ……」
 ハボックはロイの黒い瞳をまっすぐに見つめると、ようやくその本当の意味を知った言葉を唇に載せる。
「たいさが好きっス…」
 甘い吐息と共にそう告げたハボックの空色の瞳からほろりと涙が零れて落ちた。


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