幼愛  第二十八章


 黒い門扉を押し開けようとしてロイはそれが閉ざされたままなのに気がつく。もしハボックがあの勢いのまま外へ飛び出して行ったのなら門は開け放たれたままだろう。ということはハボックはこの敷地内にいるということだ。
 ロイは薄闇に沈む庭をゆっくりと歩き出す。防犯上所々に設置されている外灯の灯りを頼りにハボックの姿を探せば、植え込みの陰で蹲った金髪が見えた。
「ハボック」
 そう呼びかければ白い肩がビクリと揺れる。家を飛び出した途端体に纏わりつく夜気に、流石に外へ出ることは躊躇われたのだろう、庭の片隅で小さくなるハボックにロイはホッと息をついた。
「ハボック、出てきなさい」
 そう言えばハボックはふるふると首を振る。小さな子供のような頼りない姿にロイは優しい笑みを浮かべると植木の陰へと入っていった。
「ハボック」
「ヤダ、大佐なんて嫌いっス。こっち来ないでっ」
 ハボックはそう言うとギュッと膝を抱え込む。ロイは腰で結んでいた裾を解くとバスローブを脱ぎハボックの体にかけた。
「おいで。家の中に戻ろう。いくらなんでもそんな格好でいたら風邪をひく」
 そう言って笑いかければハボックの瞳からポロポロと涙が零れる。
「大佐なんて嫌いだって言ってるっしょ!」
 頑なにそう言いはるハボックにロイは手を伸ばすとその髪を撫でた。
「忘れたのか?私はお前が好きなんだよ、ハボック」
 そう言うロイの言葉にハボックの涙に濡れた瞳が見開かれる。
「ひ……ぅっ」
 子供のように泣きじゃくる体を抱き締めるとロイはハボックを連れて家の中へと戻ったのだった。


 もう一度シャワーを浴びるとロイはハボックをリビングへと連れて行く。ソファーに座るよう促すとハーブティのグラスを差し出した。ハボックは黙ってグラスを受け取るとそっと唇をつける。伏せ目がちの表情は酷く幼く見えて、ロイはハボックの隣に腰を下ろすとまだ湿りの残る髪をそっと撫でた。何度も優しく撫でてやればハボックがグラスを握り締めてホッと息を吐く。ロイの肩に体を預けるようにしてもたれかかっていたが、小さな声で言った。
「大佐にそうされるの、すごく気持ちイイっス」
「そうか?」
「うん。セックスするのも気持ちイイけど、こうされるのも気持ちイイ…凄く安心するっス」
 ハボックはそう言うとそっと目を閉じる。それから殆んど聞き取れないような小さな声で続けた。
「母さんはオレをこんな風に抱きしめてはくれなかった…いつだってオレのこと気持ち悪そうに見て…」
「ハボック」
 閉じた瞼の裏に責めるように自分を見つめる母の冷たい瞳が浮かび上がる。それから喉元に突きつけられた冷たい刃の感触も。ずっと忘れてはいたが、あれはきっと実際にあったことなのだろう。思い出せば小さく震える体をロイが優しく抱き寄せてくれるのを感じてハボックは薄っすらと笑った。
「大佐の手、あったかいっスね」
 そう呟いて頬をすり寄せてくるハボックの肩をロイは優しく抱いてやる。いつしか安心したようにスウスウと寝息を立てるハボックにロイはホッとため息を洩らした。
 ブレダからハボックが子供の頃伯父に悪戯されていたことは聞いていた。それが伯父の実妹である母の身代わりらしいという事も。幼い体を強引に開かれて男の欲望を突き立てられ快楽を教え込まれて、少年だったハボックの心は深い傷を負ってしまった。自分の心を守る為にハボックは無意識のうちに辛い記憶を封印し、快楽だけを求めるようになってしまったのだろう。
「ハボック…」
 安心しきって体を預けて眠るハボックがただただ愛しかった。ロイはハボックの体を引き寄せるとその金色の髪に頬を埋めてそっと目を閉じたのだった。


「演習行って来ます!」
「しっかりな」
 ロイにそう声をかけられてハボックは嬉しそうに笑うとピッと敬礼を返した。元気よく司令室を飛び出していく背を見送るとロイは一つ息を吐く。執務室へと戻れば後から書類を手にしたブレダがついてきた。
「サインお願いします、大佐」
 椅子に腰を下ろす間も待てないというように書類を差し出すブレダに、ロイは不満のため息を零すと書類を受け取る。目を通してサインをしたためると書類を返しながら言った。
「ハボックの母親は今どうしてるんだ?」
 突然聞かれてブレダは僅かに目を見開いたが、質問の意味を問い返すこと無しに答える。
「士官学校に入ってから、アイツ、家には一度も帰ってないんです。多分連絡も取ってないんじゃないかな。俺も積極的に連絡取れとは言わなかったですし。本音を言えばハボックをあそこから切り離しちまいたかったですから」
 それが少年だったブレダにその時精一杯できた友達を守る方法だったのだろう。ブレダはボリボリと頭を掻くと続けた。
「俺の両親は今は少し離れた町に移り住んでるんです。聞けば調べてくれると思いますが」
「いや、その必要はない。調べる時はこちらでやるよ」
 そう言うロイをブレダはじっと見つめると尋ねる。
「ハボ、どうですか?相変わらず、ですかね?」
「いや…どうかな。今は色々混乱してるという感じか…不安定だよ、酷く」
 ロイはそう言って一つため息をつくと机に肘をついた。己の手に頬を預ける上司をブレダはじっと見下ろす。
「大佐との関係はどうなってるんです?なんか進展、あったんですか?」
「私か?そうだな、酷く懐いてはくれてるが…。セックスしようと言われたよ」
「えっ?!したんですかっ?!」
「まさか」
 びっくりして尋ねるブレダにロイはムッと顔を歪めた。
「抱けるわけないだろう?セフレは御免だ」
「大佐のことが好きでセックスしようって言ったんじゃ?」
 ブレダの言葉にロイは目を丸くする。ついていた手から顔を上げると言った。
「そんなことはないだろう?訳が判らないっていうのはしょっちゅう言ってるが、好きだと言われた覚えはないぞ」
 そう答える上司の顔をブレダはマジマジと見つめる。うーん、と唸ると肩を竦めた。
「ま、俺の方からもそれとなく聞いてみますけどね。でも大佐、意外とニブチンかもしれないですよ」
「ニブチン?なんだそれは」
「ハボはもう大佐のことが好きかもしれないってことですよ」
 ブレダはそう言ってにやりと笑うと執務室を出て行く。ポカンとしてブレダの背を見つめるロイの視線の先で扉がバタンと閉まった。
「好き?ハボックが私を?」
 これまでそれなりに恋愛ごとを経験してきた。いつだってロイは相手の気持ちを先読み、そつなくスマートに振舞ってきたのだ。相手の気持ちが判らないことなど一度だってなかったのに。
「待て待て。まだそうと決まったわけではっ」
 ロイは思わず弛みそうになる頬をパンと叩いてそう呟く。だが、好きな相手が自分を想っているかもしれないと言われれば男として嬉しくない筈もなく。
「落ち着け。相手はあのハボックだ」
 そう自分に言い聞かせながら、ロイは立ち上がると執務室から出て行ったのだった。


 演習を終えてハボックは外の水場で水道の下に顔を突っ込むと頭からザアザアと水を被る。火照った顔に冷たい水が心地よく、ハボックは水を止めるとブルブルと首を振った。
「ほれ」
 その声と共に差し出されたタオルを受け取ると、ハボックは顔を拭きながら体を起こす。笑いながら自分を見つめる友人を目にしてハボックも笑い返した。
「サンキュ、ブレダ」
「おう」
 ハボックはタオルを首に引っ掛けて水場の淵に手を置くと腰掛けるように体を預ける。首を逸らしてフゥと息を吐くハボックをブレダは見つめると言った。
「今日はこれで上がりか?」
「うん。帰りに晩飯の材料買って帰んなくっちゃ。なんにしようかなぁ…」
 そう言うハボックは酷く楽しげでブレダは笑みを深くする。
「なあ、ハボ。お前、大佐といて楽しいか?」
 突然そう聞かれてハボックはキョトンとしたがすぐににっこりと笑うと答えた。
「うん。知ってた?ブレダ。大佐って外じゃすげぇ気障っぽいけど、家の中だとだらしなくってさ。あんなの見たら女の子、誰も寄りつかねぇよ、きっと」
 言って笑うハボックの顔は晴れやかで、ブレダはまだ何も知らなかった子供の頃を思い出す。
「早く気づけよ、ハボ」
 笑いながらそう言えばハボックが不思議そうな顔をした。
「気づけって、何を?」
 そう尋ねるハボックの言葉には答えず、ブレダは手を振ると歩き出す。司令部の建物に向かって歩きながらブレダはクスクスと笑い出した。
「ニブチン同士、さっさとくっつきゃいいのに」
 ブレダはそう言うと夕焼けに染まる空を見上げたのだった。


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