幼愛  第二十三章


「なん……ッ、なんだよッ」
 暫くの間ロイが出て行ったリビングの扉を呆然と見ていたハボックは顔を紅くしてそう喚く。自分が他の誰かとヤると嫉妬に狂いそうになるというからヤらずに帰ってきてやったのにと、ハボックはカンカンになりながらボトムを身につけた。
「ムカツクッ!」
 ハボックはそう言うと床に散らばった野菜を手に取る。怒りに任せて投げつけようとして手を振り上げたが、ムゥと唇を突き出すとその手を下ろした。ロイの瞳に浮かんだ昏い嫉妬の焔。その焔を見た時自分のうちに浮かんだあのゾクゾクとした高揚感は何だろう。それに、とハボックは散らばった野菜を拾い集めながら不思議に思う。
「外でしてこないで大佐の前で一人エッチするんだから喜んだりしないのかな」
 自分の欲をとりあえず満たして、尚且つ昂る姿を曝け出してやろうというのだから嬉しいとは思わないのだろうか。少なくとも今までハボックがセックスしてきた相手はハボックが一人でシてる姿をみたら喜んだものだった。
「わっかんねぇ…」
 ハボックはそう呟くと野菜を手にキッチンへと入っていく。さっきまで体を支配していた筈の熱は疾うにどこかへ行ってしまった。こんな事も初めてでハボックは益々首を捻るしかない。ハボックは一つため息をつくとナイフを取り出し食事の支度を始めたのだった。


「大佐?」
 圧力鍋のおかげであっという間にポトフを作り上げてしまうとハボックは二階のロイの部屋を覗く。だが部屋の中にはロイの姿は見当たらず、ハボックは眉を顰めた。
「なんでいないわけ?」
 自分が料理をしている間にどこかへ出かけてしまったのだろうか。ハボックは顔を歪めると乱暴に扉を閉め階段を駆け下りる。そのままの勢いで玄関を飛び出ると夜闇の中、一直線に駆けていった。


 ハボックにズボンを投げつけてリビングを飛び出したロイはその脚で外へと出る。カッカと湯気が出そうなほどの怒りを抱えたままどんどんと歩いていき、一番最初に目に付いた酒場に入っていった。狭い店内の奥にあるカウンターのスツールに腰を下ろすとバーテンに酒を注文する。出て来た酒を一気に煽ると乱暴にグラスを置いた。
「くそ……」
 ハボックが誰かと一緒にいたと思っただけで湧き上がってくるどす黒いものを抑えることが出来なかった。今までのハボックを考えればとっくにこうなっていてもおかしくはなかったのだ。ロイは目を閉じるとギュッとグラスを握り締める。その時、ハボックが言った言葉が脳裏に浮かんだ。
『やましい事、してないっスもん。むしろ途中でやめちゃったから体疼いてしょうがないんだから』
 ハボックは確かにそう言っていた。つまり誰かと一緒にそういう場所へ行きはしたが途中で帰ってきたということだ。
「……どうして?」
 当然スル気で行ったに違いないのにどうしてハボックは途中で帰ってきてしまったのだろう。ロイには言う必要などないと突っぱねておきながら「見て」と自慰する姿を見せようとする。ロイは空のグラスを押し出しておかわりを注文すると出て来た酒を今度はゆっくりと飲みながら考えた。だがどうにもハボックの考えを量りかねてロイは唸るしかない。ため息をついたロイの鼻腔を甘い香りがくすぐり、ロイが見つめていたグラスから目を上げればグラマラスな美女がロイを見つめていた。
「お一人?それともどなたかを待ってらっしゃるの?」
 そう尋ねてくる美女にロイは笑い返すと椅子を勧める。バーテンにカクテルを注文すると出て来たグラスを彼女の前に置いた。
「ありがとう」
 美女はにっこりと笑うと優雅な仕草でグラスを手に取る。チンと軽くグラスを合わせると二人は酒を口にした。にこやかに微笑んで明らかに誘いをかけてくる美女にロイは全くその気になれない。頭に浮かぶのはたった一人の姿だけで、ロイはどれだけ自分がハボックを好きかを自覚するしかなかった。それでも差し障りのない会話を続けていたロイの耳にバンッと大きな音が聞こえてくる。マナーの悪いヤツがいるものだと眉を潜めた時、ドカドカと歩く音が響いたかと思うと、ロイの肩を誰かがグイと引いた。
「何やってんのさ」
「ハボック」
 空色の瞳をキラキラと輝かせてハボックはロイを睨む。その手首をグイと掴むと強引にロイを立ち上がらせた。
「帰る」
 そう一言告げるとロイを引き摺るようにして歩き出す。
「な……まてっ、支払いっ」
 何が何だか判らないまでもこのまま店を出たら無銭飲食になってしまう。ロイはハボックの手を振りほどくと懐から金を取り出しカウンターに置いた。それを見ていたハボックが、ロイが金を置くや否やその腕を掴むとドカドカと歩き出す。ズルズルと店から引っ張り出されたロイは再びハボックの手を振りほどこうとしたが、今度は思うようにはいかなかった。
「ハボックっ!」
 ロイの顔を見もせずに歩いていくハボックをロイは呼ぶ。だがそうすれば腕を握る手に一層力が入っただけで、ハボックは口を開こうともロイを見ようともしなかった。グイグイと引き摺られるようにして家に帰るとハボックはロイをダイニングへと連れて行く。ドンと肩を押すようにして椅子に座らせるとキッチンへと入っていった。呆然と椅子に座ったままハボックの動きを目で追うロイの前にハボックはポトフの皿をドンと置く。ポカンとするロイにハボックは言った。
「食って」
 そう言うと自分も席についてスプーンを取るとがつがつと食べ始める。ロイは目を丸くしてハボックを見ると聞いた。
「作ったのか?」
 コクリと頷くハボックにロイはもうひとつ尋ねる。
「どうして?」
 そう聞かれてハボックはスプーンを置くと皿を見つめたまま答えた。
「だってアンタ、オレが作んないとピザばっか食うじゃん」
 ハボックはそう言うと眉間の皺を深くする。
「嫌だったんだ。何でかわかんないっスけど」
 ボソリとそれだけ言うとハボックは再びガツガツとスプーンを口に運ぶ。ロイは暫くの間そんなハボックをじっと見つめていたがフッと笑うとスプーンを手に取った。ふた口みくちと口に運べば優しい暖かさが体に広がっていく。
「美味いな」
「……どうも」
 そうとだけ言葉を交わすと、二人は後は何も言わずに黙々と食事を続けたのだった。


「大佐、ハボックのヤツ、どうしてます?」
 書類を差し出しながらブレダが聞く。ロイは受け取ってざっと目を通すとサインをしてブレダに返した。
「さぁな、よく判らん」
 頼りない返事にブレダは眉を顰めて言う。
「だって、一緒に暮らしてるんでしょう?何か進展ありました?」
 そう聞かれてロイはギシリと椅子に体を預けるとため息をついた。
「私の世話をするのが楽しいようだよ。部屋を片付けたり掃除をしたり、食事を作ったり。多分今までやった事がないので目新しくて面白いんだろうな。そういやハボックに一通りのことは出来るようになっておけと言ったのは少尉だそうじゃないか」
 言葉の語尾に僅かな嫉妬を滲ませて言うロイに今度はブレダがため息をつく。
「ハボックを連れて士官学校に入ったときはその先どうなるかさっぱり判らなかったですからね。一人で暮らしていけるように大概の事は出来るようになっとけって言ったんですよ」
 ブレダはそう言うと言葉を続けた。
「でも、ハボックが今まで誰かの為に何かしてやろうとした事なんてなかったですよ。それだけでもいい変化じゃないですかね」
 ブレダがそう言えばロイは顔を顰めた。
「懐いてはくれてるんだろうな。でもそれだけだ」
 あの時以来、ハボックが誰かと過ごして来る事はなくなっていた。仕事がない限りまっすぐに家に帰ってきてロイの為に食事を作り洗濯をして甲斐甲斐しくロイの世話を焼く。だがそれは好きな人の為にしているというよりもママゴトの様に誰かの面倒をみるのが楽しいのだと思っているようにしか見えなかった。だが、それを聞いたブレダはちょっと首を傾げるとロイに聞く。
「大佐、ハボックがそうやって色々世話焼いてくれるの、恋愛感情を抜きにして嬉しいですか?」
「え?そりゃまあ勿論。今まで家で食事と言えば決まりきったものばかりだったし、ハウスキーパーが来る直前なんかは家の中は荒れ放題だったがそういう事もなくなったしな」
 ロイが素直にそう答えればブレダは笑った。
「じゃあ、アイツも嬉しいと思いますよ。そんな風に誰かに感謝されて必要とされた事なんてきっとハボの記憶にはないでしょうから」
 なんで嬉しいかって言う自覚があるかは判らないけど、と言うブレダにロイは目を瞠る。
(少しずつでも変わっていってるんだろうか)
 いつか自分の想いがハボックに届く時がくるのだろうか。ロイはほんの少しでもいいからそうなって欲しいと窓の外の空を見上げて思ったのだった。



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