幼愛  第二十章


 もうハボック達のことなど忘れてバタバタと部屋を出て行く学校長の背を見送ってブレダはハボックを見る。呆然としているその肩をグイと掴むと言った。
「おいっ、ハボ、大丈夫か?」
 ただの教官というには親密な関係を持っていた相手の突然の惨事にショックを受けているであろうと、ブレダが気遣うようにその顔を覗き込めばハボックが空色の瞳を向ける。大きく見開かれたそれに慰めようとブレダが口を開きかけた時、ハボックが呟いた。
「まさかロブが…」
 その呟きをしっかりと聞きとめたブレダは眉を寄せる。ジロリとハボックを睨んで言った。
「お前、何か心当たりがあるのか?」
「えっ、や、その……ッ」
 ギクリとして視線を泳がせるハボックの顎をグッと掴むとブレダはその瞳を覗き込む。目を細めて低い声で言った。
「言え。隠し立てしたらぶっ飛ばす」
「う…」
 その声に首を竦めるハボックをじっと睨み続けるブレダに、ハボックは迷った末に口を開く。
「え、と…その……リンドレーって知ってる?ブレダ」
「ああ、ちょっと堅物だけど堅実な作戦立てるヤツ…って、お前まさか…ッ?」
「フォルベックとヤッてるとこ、見られたんだ。レイプだって勝手に誤解して盛り上がってたから…丁度フォルベックもセントラルに行ってていなかったし、暇つぶしに、その………イテッ!」
 説明の途中で思い切り殴られてハボックは頭を抱えると恨めしげにブレダを見た。本気で怒っているその顔にさすがにシュンとうな垂れるハボックをブレダは暫く黙ったまま睨みつけていたが一つ大きく息を吐いて言う。
「リンドレーのことは何も言うな。いいな」
「えっ、でも……ロブが言ったらばれるじゃん」
「言わねぇよ、多分な」
 ブレダはそう言うと軽く首を振った。キョトンとしてわけが判らないと言う顔をしているハボックを見てため息をつく。恐らくリンドレーの気持ちなどハボックには欠片も届いてはいないのだろう。ハボックにとってセックスは遊びでしかなかったし、人を傷つけてしまうほど誰かを想うなんていうことは想像する事も出来ないに違いない。
「どうやったらお前をそこから引っ張り出せるんだろうな…」
「え?何、ブレダ?」
 キョトンと目を丸くするハボックの幼い顔にブレダはかける言葉が見つけられずにいたのだった。


「それで、結局どうなったんだ?」
「フォルベックは一命を取り留めましたけど退官しました。リンドレーも学校を辞めて、その後どうなったのかは…」
「ハボックは?その件について何と?」
「…何も。つか、アイツは何にも判っちゃいませんでしたから。リンドレーの気持ちとか、そういうの」
 ブレダはそう言うとグラスに口をつける。手にしたグラスを満たす液体を見つめながら言った。
「好きって気持ちとセックスとはハボックにとっちゃ全然別次元の話なんですよ。っていうより、アイツ、人を好きになんてなったこと、ないんじゃないかな。自分から好きにならなくてもそれなりにアイツに好意を寄せるヤツらはいつだっていたし、その中から自分の欲を満たす相手を選べばよかった。相手はハボックが体を赦すことで自分を好きなんだと思うけど、ハボックはそうじゃない。当然もめますよね。アイツがやたらと大勢でセックスしたがるのは無意識にもめるのを避けてるんだと思うんですけどそれじゃ結局は問題の解決にならないから」
 眉間に皺を寄せて話を聞いているロイをブレダはじっと見つめる。それからゆっくりと口を開いた。
「で、大佐はなんでわざわざ俺を食事に誘ってまでこんな話を聞こうと思ったんですか?」
 単なる興味本位だけではなさそうだとは思ったものの、その真意を量りかねてブレダはロイに聞く。ロイはブレダの視線を正面から受け止めると言った。
「ハボックを好きだから、だと言ったら?」
 そう言われてブレダが目を丸くする。ロイの顔をまじまじと見つめると言った。
「大佐、ここまで話聞いといて、その冗談は笑えませんよ」
「こんな事が冗談で言えると思うか?」
「これまで俺が知る限りじゃ大佐が男と付き合ってたことはないと思うんですが」
 大佐、女性が好きでしょう、と聞くブレダにロイは頷く。
「そうだな、悪いが男はお断りだ」
 これまでロイにも言い寄ってくる男はいたが、そういう相手には丁寧にお引取りをお願いするか、それでも聞かない相手は容赦なく叩きのめしてきた。
「そうでしょう?だったらハボのことだって――」
「うん、だがどうにもアイツのことが気になって仕方ないんだ」
「それは単に興味があるだけっていうんじゃ」
「ハボックが他の男に抱かれていると思っただけで腸が煮えくり返りそうなほど腹が立って相手の男を燃やしてやりたいと思うのも単なる興味なのかね」
 そう聞かれてブレダは口を噤む。それをいい事にロイは続けた。
「アイツのことを知りたいし私の事を知って欲しい。傍にいて欲しいし傍にいたい。触れてみたい、抱き締めたい。……こういうのは恋とは言わんのか?」
「…………確かにそれは俺が知ってる恋の症状と似てる気がします」
 ブレダはそう言ってから低く呻く。
「まさか大佐が…いや、その悪い意味じゃないんですけど、でもなんていうか、すっごい意外ですよ」
「私もまさか自分の部下に対してこんな気持ちを抱くなんて思いもしなかったよ」
 ロイはそう言うと苦笑した。
「でも考えれば考えるほどハボックのことが好きらしいから仕方ない」
「…まあ、恋ってのは自分じゃコントロールできるもんじゃないですからね」
 そう言うとブレダはロイをじっと見つめる。
「大佐ならハボックを変えられるんでしょうか」
「さあな。話を聞く限りじゃ相当筋金入りらしいからな」
「そうなんですよねぇ。そのうち刺されるんじゃないかって気が気じゃなくて」
 ブレダは呻くように言うとギシリと椅子の背に太目の体を預けた。うーんと唸るブレダを面白そうに見つめてロイが尋ねる。
「少尉はどうしてハボックを見捨てなかったんだ?少尉にとってハボックは所謂そういう対象じゃなかったようだし、正直呆れて放り出したっておかしくないだろう?」
 そう聞かれてブレダは益々うーんと唸った。
「何ででしょうね、やっぱまだへその緒がくっついた頃からの友人だからですかね。何だかどうにもほっとけなくて」
 自分の兄弟より面倒見てますよ、と苦笑するブレダにロイは言う。
「ハボックに唯一幸運があったとしたらそれは少尉のような友人がいたことだろうな」
 そう言われてブレダは何だか照れくさくなってボリボリと頭を掻いた。それからふと真面目な顔になると言う。
「大佐がハボのこと少しでも変えてくれるといいなって思います。その為に俺が出来る事があれば手伝いますから」
 言って笑うブレダに頷いて、ロイは手にしたグラスを掲げたのだった。


「あ、大佐ぁ、おはようございます」
 司令室に入っていけばハボックが自席で斜めに傾げた椅子に背を預けて煙草をふかしているのが目に入る。ちょっとバランスを崩せば背後に倒れ込むような格好にロイは眉を顰めた。
「そんな座り方をして、ひっくり返っても知らないぞ」
「だぁいじょうぶっすよぉ、そんな簡単にひっくり返ったり――っと、えっ、うわわわわっ」
 グラリと背後に倒れそうになるハボックの手をロイは咄嗟に掴む。グイと引いて椅子を平らに戻すと言った。
「言った事じゃない。こんなところでひっくり返ったら頭を打つぞ」
「……平気だと思ったんスけど」
 そう言って不貞腐れたように唇を尖らせる表情はまるで子供のそれだ。ロイは微笑んでその表情を見ていたが口を開くと言った。
「ハボック、この間話した時、お前、色々と知りたいと言ったろう?」
「へ?ああ、そんなこと言いましたっけ」
「それで一つ提案なんだが」
 ロイは言ってにっこりと笑う。
「提案?え、なんスか、提案って」
 なんだか楽しそうなロイの様子にハボックは子供のように目を輝かせて聞き返したのだった。


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