八雷神  第九章


 あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか、河はいつしかその幅を増し、流れも緩やかになってきていた。だいぶ光度の落ちた照明でもさほど苦もなく障害物をよけられる。
「どの辺りで河からでるつもり?」
「うん…」
 ハボックは昏い川面を見ながら考える。これ以上照明が暗くなれば河の上を行くのは無理だろう。
(問題はどうやってこの先進むか…)
 ロイがテロリスト達より早く自分達を見つけてくれれば、とそんな考えが浮んで、ハボックは慌てて首を振った。
(自分で何とかするんだ。ミランダとディスクだけでも大佐のとこにたどり着けばいいんだから)
「少尉?」
 考え込んでしまったハボックをミランダが見上げる。その心配そうな視線にハボックは微笑むと言った。
「そろそろ上がろう。テロリスト達に追いつかれないうちに上がっておいた方がいいだろうから」
「わかったわ」
 ハボックはオールを操って船を河岸へと近づけていく。ガガ、と船底があたる音がして、ハボックがグイとオールを河底につくと船が岸に乗り上げた。ハボックはオールを支えにバシャンと水を跳ね上げて船から下りる。手を差し出してミランダに手を貸すと、二人は岸に降り立った。
「あの上を道路が通ってる筈だ。あの近くまで行こう」
 そう言うハボックに頷いてミランダが歩き出そうとした時、遠くから車の音が聞こえてきた。ハッとして顔を見合わせるとミランダは慌てて照明のスイッチを消す。
「どっちかしら」
 道路下の低木の繁みに向かって走りながら不安に揺れる声でそう言うミランダに、ハボックは唇を噛み締めた。
「音が…」
「え?」
「エンジン音。残念だけど…」
 大佐のじゃない、そう思って挫けそうになる気持ちをハボックが奮い立たせた時、二人はようやく繁みにたどり着いた。繁みの中に身を隠した途端、物凄い音を立てて車が次々と止まる。バラバラと降り立つテロリストの一番最後から銀髪の男が車から出てきた。
「そこにいるんだろう、出て来い、錬金術師!」
 銀髪の男の声に身を堅くするミランダを宥めるように頷いて、だがハボックは繁みから出ようとはしなかった。何の反応も返ってこない事に苛立った男がチッと舌を鳴らすと片手を上げて合図する。途端にテロリスト達が構えた銃を横に長く広がる繁みに向かって打ち込んできた。
「くそっ!」
 堪らずハボックは指を鳴らして雷撃の幕を張る。その幕の向こうで銀髪の男が錬成陣の真ん中に置いた車の側に手をつくのが見えた。
「ミランダっ、走ってっ!!」
 ハボックはそう叫ぶとその錬成陣めがけて雷撃を飛ばす。カッと錬成の白い光が輝くのとハボックの雷撃が車に当たるのがほぼ同時だった。光が収まったとき、その中心にデカイ戦車のようなものが現れて、ハボックは息を飲む。ギギと音がして砲身がハボック達に狙いを定めた。
「…っ!」
 呆然とそれを見つめていたハボックはテロリスト達の銃撃が頬を掠めて我に返る。慌ててすり合わせた指先から迸った雷撃は、だがテロリスト達だけでなくハボック達にも降り注いでしまった。
「うわっ!」
「きゃああっっ!!」
 少し先を走っていたミランダが悲鳴を上げて突っ伏す。銀髪の男が車の上から笑いながら近づいてくるのを見て、ハボックはその前に立ちはだかった。
「それ以上近づいたら一発お見舞いするぞ」
「やれるものならやってみろ。まだ上手くコントロールできんのじゃないのか?」
 ピタリとハボックに狙いを定めて男が言う。一か八かやるしかないのかとハボックが手を差し出した時。闇を貫いて焔の龍が舞い上がった。その龍がテロリスト達の間を駆け抜け、テロリスト達は悲鳴を上げて逃げ惑う。新たに現れたもう一匹がその龍ともつれ合うように進んだかと思うと、戦車めがけて体当たりした。
「くっ!」
 間一髪、その龍の炎から逃れると男はミランダに襲い掛かる。押さえ込もうとしたハボックの手をかい潜って男はミランダのポーチをナイフで切り裂いた。
「ディスクっ!」
 倒れながら叫んだミランダのポーチの裂け目からディスクが零れて落ちる。それを掴んで走り出した銀髪の男を追おうとハボックは慌てて駆け出した。
「待てっ!!」
 少し離れた場所に止めてあった車に飛び乗ると男はアクセルを吹かす。ハボックが車のドアに取りすがろうとした時、よく通る声が響いた。
「やめろっ、ハボックっ!!」
 咄嗟に振り向いたハボックの前から車が走り出してしまう。
「あっ!待てっっ!!」
「追う必要はないっ!」
「でも、ディスクが…っ!!」
 道路の方からホークアイと数人の軍人を連れて下りてきたロイは倒れているミランダに手を差し出した。
「少尉、怪我は?」
「大丈夫です」
 ミランダはロイの手を借りて立ち上がるとそう答える。焔に追われてすっかり戦意を喪失したテロリスト達を軍人達が銃を使って一ヶ所に集めるのを横目で確認するとロイはハボックに向き直った。
「ハボック、お前は大丈夫か?」
 そう言ってロイは手を伸ばすとハボックの頬に滲む血を拭う。
「なんで止めたんですっ?ディスク持ってかれて…っ!!」
「落ち着け、ハボック」
「落ち着けるわけないでしょうっ!」
「ハボックっ!」
 ロイはハボックの肩を掴んで言った。
「あのディスクに入っているのはもう何の価値もない情報なんだ」
「…え?」
 ポカンとするハボックにロイは言いにくそうに目を逸らす。側に立っていたホークアイがロイの言葉を引き継いで言った。
「貴方に錬金術で護衛をさせて自信をつけさせようと事件を仕組んだの。本当は軍の錬金術師が犯人役を演じる筈だった。でも、情報が漏れてしまって本物のテロリスト達が列車を襲ってしまったのよ」
 ホークアイの言っていることが飲み込めないハボックに代わってミランダが聞く。
「それじゃ、本当はディスクの搬送も護衛任務もテロリストの襲撃も、全部ウソって事ですか?」
「テロリストの襲撃だけは本物になってしまったがね」
 そう答えるロイにミランダは思い切り顔を顰めた。
「私も騙されたってことですね」
「悪かったよ、少尉」
「あんの、クソオヤジ…っ」
 ギリと唇を噛み締めるミランダにロイはギョッとして目を瞠る。そんなロイにミランダはにこりと笑うと言った。
「あ、大佐のことじゃありません。大佐はただハボック少尉を鍛えようとなさっただけでしょうから。中佐はその手伝いをした、と言うことなんでしょうけど。でも」
 私まで騙すなんてただじゃ済まさないんだから、すっと表情の変わったミランダにロイは、思わずここにいない親友に同情する。ホークアイにミランダを車に乗せてやるよう指示すると、ロイはぼんやりと立っているハボックに声をかけた。
「ハボック」
 ロイの声にハボックがゆっくりとロイの顔を見る。表情のないその顔にロイは躊躇いがちに言った。
「ハボック、私は――」
「もし、テロリストが本物でなかったら、ある程度のところで負けてくれたわけっスか?」
「ハボック」
「それを知らずに上手く出来たってオレが喜ぶのを見て、アンタ、なんていうつもりだったんです?」
「ハボ」
「よくやったなって、内心どうしようもないヤツだって笑うつもりだった?」
「それは違う、ハボック、私は――」
 ロイはハボックの傷ついた顔に言おうとした言葉を飲み込む。思わず俯けた視線の先で、ハボックの指先がバチッと火花を散らすのが見えた。
「ハ、ハボ…?」
「…たいさの…」
 目を瞠ってハボックを見つめるロイめがけて。
「バカ―――ッッ!!」
 ドオオンッと言う音と共に特大の雷が落ちてきたのだった。



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