曼珠沙華  第四章


「おい、ハボ。昨日はどうしたんだよ」
 翌朝司令室に入った途端、ブレダがオレに言った。
「ごめん。ちょっと仕事が残ってたこと思い出したもんだから」
 オレがそう言って謝るとブレダは顔を顰めて仕方ねぇなぁと言う。
「今度埋め合わせするって彼女に言ったから、そのときはちゃんと付き合えよ」
 そう言われてオレは曖昧に頷いた。次回があったところでとても行く気にはなれないだろうと思ったが、とりあえず今は言わずにおく。席に座って煙草を取り出すと火を点けた。オレは煙草の煙を吐き出しながら目を閉じる。結局昨夜は家に帰ってベッドに潜り込んでもちっとも眠れなかった。月の光を浴びて立っていた大佐の姿が脳裏に浮んで胸が苦しくて仕方なかった。月光に縁取られた大佐に触れられた髪がそこだけ違うものになってしまった様な気がして、
触るのすら恐ろしくて。馬鹿みたいだと思うけど、どうしようもないんだから。その時司令室の扉が開いて大佐が入ってくる。オレは皆におはようと声をかける大佐の声に目を開くとぼんやりと大佐を見た。大佐はぼうっとしているオレを見ると苦笑する。
「二日酔いか、ハボック?」
 そう言って、だが答えないオレにちょっと首を傾げたがそのまま執務室に入ってしまった。
「ハボ?」
 不思議そうに声をかけてくるブレダの顔をぼんやりと見つめて、オレはゆっくりと立ち上がると煙草を灰皿に押し付ける。
「演習行ってくる」
 オレは呟くように言うとのろのろと司令室を後にした。


 明るい陽射しが寝不足の目にはキツイ。ぼうっとして立っていたら軍曹に思い切り尻を叩かれた。
「何ぼんやりしてるんですか。しっかりしてくださいよ、隊長」
 そう言われて「うん」と呟くように頷けば、軍曹が心配そうにオレの顔を覗き込む。
「どうしたんです、体調でも悪いんですか?」
「いや、何ともない」
 そう言ってへらりと笑えば軍曹は微かに眉を顰めてオレの顔をじっと見た。気遣うようなその視線が苦しくてオレは目を逸らすと部下達に声をかける。今日は室内での銃撃戦を想定して近距離の的を打ち抜く訓練だったなと、オレはぼうっとした頭で考える。物陰から現れる的の中から「敵」だけを撃つのだ。中に混じって人質の的なんかもあるから、それを瞬時に見分けなくてはならない。部隊をいくつかのグループに分けて少人数ずつ訓練を開始する。オレも軍曹と一緒にグループの中に入って銃を構えたのだが。
「…ちゃんと目、開いてますか、隊長」
 オレときたら現れる標的にまともに当たらないどころか、逆に人質まで打ち抜く始末。軍曹だけでなく、他の隊員達も半ば呆れ顔でオレのことを見ていた。
「隊長、昨日飲みすぎたんじゃないんですか?」
「彼女と遊びすぎたとか」
 ニヤニヤと笑ってからかわれて、オレは思わず顔を染める。銃を構えなおそうとするオレの手から軍曹が銃を取り上げた。
「気が入ってないですね」
 オレよりずっと年かさの彼は眉を顰めてそう言う。
「そんな調子じゃ訓練にならないどころか怪我しますよ」
 軍曹はそう言うとオレを押しやって隊員達に訓練を再開するよう声をかけた。そうしてオレを振り向くと言った。
「隊長は今日はもう上がっていいです。そんな腑抜けた状態じゃ周りへの示しもつきゃしない」
 きっぱりと言いきられてオレは返す言葉もなくてうな垂れる。軍曹はそんなオレの様子にため息をついて言った。
「何があったか知りませんが、隊長、そんなことじゃ今もし何か起こったらアンタの大事な大佐殿、守れませんよ」
 そう言われてオレはハッとして軍曹の顔を見る。彼がけっして変な意味でそう言ったのではないことはよくわかっていたが、それでもそんな風に言われた事にオレは二重にショックを受けていた。
「ごめん…今日はもう上がる」
「そうしてください」
 オレは心配そうに見つめる軍曹の顔を見ることが出来ずに目を逸らしたまま片手を上げると演習場を後にする。とぼとぼと司令部の建物に向けて歩くオレの背後で軍曹が部下達に指示を下す声が聞こえた。オレはシャワールームに行くと冷たいシャワーを頭から浴びる。ぼうっとした頭を冷たい水でシャッキリさせたつもりだったのだが、結局この日オレは演習もまともにこなせないばかりか、書類を書けばミスばかり、食堂で人とぶつかってトレイの上のものをぶちまけるわ、コーヒーを書類の上に零すわ、ブレダからは「邪魔だから帰れ」とまで言われるし、ホントに碌でもなかった。


 定時になって追い返されるように司令部を出て、背中を丸めてとぼとぼと道を歩く。まっすぐ帰る気にもなれないオレが向かったのは、昨日大佐と一緒に行った店だった。昨夜大佐が座ったスツールに腰掛けて大佐が飲んだ酒を注文して。そうして昨夜この席に座っていたときの大佐を思い浮かべた。男にしては綺麗な指がグラスを持って口元に運ぶ。ちらりとのぞく舌先にゾクリとしたのを思い出してオレはギュッと目を瞑った。
(たいさ…)
 ホントは大佐のことなんて思い出したくない。昼間大佐の側にいるだけでもう、苦しくて仕方がないのに、どうして側にいない時ですらこんなに鮮明に大佐のことを思い出さなくてはならないんだろう。あの強烈な魂に出会わなければよかったのにと思うと同時に、出会わなかった自分など想像もつかなくて。そうして何度も何度も大佐の姿を自分の中でリフレインする。そんな風にしてどれほどの時間を過ごしていたのだろう。気がつけばつまみも食べないまま杯だけを重ねていた。酒にはかなり強いと思っているけど、でもこの酔い方はサイアクだ。酔ったのは酒じゃなくて大佐の幻。辛くて苦しくて、もう家に帰ってベッドに潜り込んでしまおうとスツールから立ち上がろうとしたオレは、不覚にもよろけてしまった。
「あっ」
 このまま倒れたらテーブルの角にでも頭をぶつけそうだ、何故かそんなことを瞬時に思ったオレの腕を誰かがグイと掴んで、オレは頭をぶつけずに済む。腕を掴む手が繋がる腕を辿って相手の顔に視線がたどり着いた時、オレはギクリと体を強張らせた。
「大丈夫?酔ってるの?」
 そう聞いてくる男はサラリとした黒髪に黒い瞳で大佐によく似ていた。
「ごめん、ちょっと躓いて…」
 そう呟くように答えて掴まれた腕を解こうとすれば、更に強い力で掴んでくる。思わず相手の顔を見れば男は目を細めてニッと笑った。
「アンタ、昨夜も来てたろ、黒髪の男と一緒に」
 なんでそんなこと知ってるんだろうと疑問に思ったのが顔に出ていたのだろう、男はオレが尋ねる前に言う。
「俺、ここでウエイターしてんの」
 そう言われて男を見れば他の店員とお揃いのユニフォームに身を包んでいた。男はオレの腕をグイと引いて体を引き寄せると囁くように言った。
「今上がるところだからさ、外で待っててくれない?な?」
 男はそう言って笑うとオレの腕を離して中へと入っていく。オレは暫く呆然と立っていたが、ワッと上がった笑い声に我に返ると支払いを済ませて店の外へと出た。あんな見ず知らずの男のことなんて待っている義理はないのに、オレは帰ることも出来ず店の横の狭い路地にぼんやりと立っている。それでも自分のバカさ加減に気がついて帰ろうとした時、店の裏口が開いてさっきの男が出てきた。
「やっぱ待っててくれた」
 さも当然というように言われてムッとして睨みつけても、男はまるで意に介さぬように笑うとオレを促す。
「いい店知ってるんだ、行こう」
 そう言って歩き出す男はオレの腕を引いているわけでもなんでもないのに、オレは立ち去ることも出来ずにのろのろと男の後を追って歩き出した。


 すぐ近くのバーに入ると並んでカウンターに腰掛ける。男はオレに聞かずに自分と同じものを注文すると出てきたグラスをオレの前に差し出した。
「オレのおごり。まあ、飲んでよ」
 男はそう言ってオレが握ったグラスに自分のグラスをチンと合わせると口をつける。カウンターに片肘ついてオレの顔をじっと見つめると言った。
「アンタ、あの男が好きなの?」
 そう聞かれて息を飲み込む。凍りついたように身動きひとつしないオレにくすくすと笑うと男は言った。
「あんな色っぽい目で見ちゃってさ、もう抱いてもらったわけ?」
 キッと睨みつけても男はくすくすと笑うだけで、オレの表情を見ると目を細める。
「なワケないか。アイツ、アンタが何考えてるかなんて全然わかっちゃいなそうだったもんな」
 そう言って楽しそうに続けた。
「迫ってみれば?アンタ色気あるし、結構簡単に堕ちるかも―――」
 パシャン。
 気がついたときには男の顔にグラスの中身をぶちまけていた。ひでぇなぁ、と笑いながら手のひらで顔を拭う男にオレは堪らず怒鳴っていた。
「大佐をバカにするなっ!あの人はそんな人じゃないっ、あの人は…っ」
 オレはガタンと席を立つと男をそのままに店を出る。扉をくぐる瞬間、男の声が聞こえた。
「俺はジーノって言うの。覚えておいてよ」
 その声を叩ききるようにオレは乱暴に扉を閉めた。



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