能ある鷹は爪を隠す  中編
 
 
喜ぶロイの顔が見たくてハボックはその後もせっせとマスタング邸に通っては食事の世話をやいていた。そんなに上手
とは言えないまでも心を込めて作った料理は腹だけでなく心も満たすものだ。今まで誰かの為に料理などしたことの
なかったハボックだったが、ロイの為にしてやれることがあるという事実が酷く嬉しい。毎日が楽しくてハボックはウキウキ
しながらキッチンに立つのだった。

「ハァックションッッ!!」
書類を待つ間に大きなクシャミをするハボックをロイは目を丸くして見上げる。
「風邪か?」
「はあ、そうっスかねぇ」
ズズズと鼻を啜って答えるハボックにロイは眉を顰めた。
「今日は早く帰って休め。これを出したら上がっていいぞ」
「何いってるんスか。アンタのメシだって作らなきゃなのに」
「調子が悪いんだろう?今日はもう―――」
「大丈夫ですって!」
ハボックの体調を気遣って断わりを入れようとするロイにハボックはへらりと笑うとそう言う。
「ちゃんと風邪うつさない様にマスクもしますから」
「そういうことを言ってるんじゃないんだがな」
心配せんで下さいと言うハボックの言葉にロイはそう呟いたが平気だと言い張られてそれならばと頷いた。ここのところ
毎日そうしているように先に家に帰ると買い物を済ませて家にやってくるハボックを待つ。本を手にソファーに座っていた
ロイは時計を見上げて眉を寄せた。
「遅いな、いつもならとっくに来てる頃なのに」
ロイがそう呟いた時、ガチャガチャと鍵の開く音がする。少し待つと買い物袋を抱えたハボックが顔を出した。
「すんません、遅くなっちゃって。すぐ用意しますから」
ハボックはそう言って笑うとキッチンへと入っていく。その顔が妙に紅い事に気付いたロイは、本を置いて立ち上がると
慌ててハボックを追った。
「おい」
「あ、腹減っちゃいました?今急いで作るっスから――」
「そうじゃなくて!」
ロイはハボックの言葉を遮ると手を伸ばしてその額に触れる。明らかに熱いと判るそこにロイは思い切り顔を顰めた。
「熱があるじゃないか」
「へ?そうっスか?」
ハボックはそう言うと自分の額に手のひらを当てる。よく判らんと首を傾げると言った。
「大して熱くもないから大丈夫っスよ」
「思い切り熱いだろうが!」
ロイはヘラヘラと笑うハボックに声を荒げると睨む。触れた額は燃える様に熱かった。顔が紅いのは高熱があるからだ。
「食事の支度なんていいから横になれ」
「や、でも、アンタのメシ作んないと」
「私の食事なんていいから!」
なかなか食事の支度をやめようとしないハボックにロイは苛々と怒鳴る。そんなロイの様子に流石のハボックもエプロンを
外すと言った。
「…判ったっス。アンタに風邪うつしたら元も子ももないし、今日はもう帰ります」
「今日は泊まっていけ。その方がいい」
「でも迷惑だろうし」
「途中で倒れてるんじゃないかって心配する方が嫌だ」
そこまで言われては断わるのもかえって気が引けて、ハボックは「それじゃお世話になります」と頷く。ロイはホッと息を
吐くと言った。
「客間は2階だ。歩けるか?」
「大丈夫っスよ、大袈裟なんスから」
ハボックは苦笑してそう言うとロイと一緒に2階へと上がる。案内された部屋でズボンと靴を脱ぎベッドに潜り込むと言った。
「ねぇ、やっぱアンタのメシ、作ってから――」
「いい加減にしないと燃やすぞ」
最後までグチグチと言うハボックをロイは睨む。上掛けを肩まで引き上げてやると言った。
「余計なことは考えずに寝ろ」
そう言って心配そうに見つめてくる黒い瞳に。
「…はい」
なぜだかドキドキしながら小さく答えてハボックは瞳を閉じたのだった。

大したことないと思っていたハボックの予想に反して、ベッドに入った途端ハボックの熱はグングン上がりだした。火照る
体に浅い呼吸を繰り返していたハボックはヒヤリと額に触れる冷たさにうっすらと目を開けた。
「…たいさ」
「大丈夫か?やっぱり泊まらせて正解だったな」
ロイはそう言うとハボックの顔に浮かぶ汗を拭ってやる。ハアハアと苦しげな呼吸を繰り返すハボックの顔を覗き込むと
聞いた。
「何か欲しいものがあるか?」
「…みず…すっげぇのどかわいた…」
囁くように言う声を耳を近づけて聞き取ったロイは、テーブルの上に置いたボトルからグラスに水を注ぐ。ハボックの体を
起こそうとその背に手を差し入れたが、ぐったりと力の抜けた体は予想以上に重たく、ロイは困ったようにハボックに言った。
「起き上がれるか?」
だが、目を閉じてぐったりと横たわったハボックから返ってくるのは苦しげな呼吸ばかりだ。ロイはほんの少し迷った末、
グラスを取ると口をつける。ハボックの顔の横に手をつくとゆっくりと唇を寄せていった。
荒い呼吸を繰り返すハボックは唇に触れる柔らかな感触に意識を呼び戻される。続いて流れ込んでくる冷たい液体を必死
に飲み込むと薄く目を開ける。静かに離れていく人影をぼんやりと見送ったハボックの意識は再び闇の中へと沈んでいった。

「あれ?」
パチッと目を開いてハボックは見慣れない天井をまじまじと見つめる。それからガバッとベッドに体を起こせば、額に載せた
タオルがぽとりと落ちた。
「あれ?」
自分の置かれた状況が咄嗟に理解出来ず首を捻っていると扉が開いてロイが顔を出す。ハボックがベッドに体を起こして
いるのを見ると部屋に入ってきて言った。
「目が覚めたのか。気分はどうだ?」
「たいさ?」
ロイはハボックの額に触れるとホッとしたように顔を弛める。
「熱、下がったみたいだな、よかった」
ロイはそう言うとブランケットに落ちたタオルを拾い上げると言った。
「何か食べられそうか?今、リゾットを作ってみてるんだが」
「リゾット?え?アンタが作ってるんスか?」
驚いて聞き返すハボックにロイは慌てて答える。
「見よう見まね、レシピに書いてあるまんまだよ。食べられそうか?」
「え、あ、ちょっとなら」
そう答えるハボックにロイは頷いて部屋を出て行った。その背を見送りながらハボックは眉を顰める。
「大佐が包丁握ってんのかよ。それって危なくねぇか?」
そう考えたら心配で堪らなくなる。ハボックはベッドから下りると脱ぎすてたズボンに足を突っ込みながら急いでキッチン
へと向かったのだった。

「大佐」
キッチンへと顔を出せば包丁を手にしたロイが目に入る。ハボックは思い切り顔を顰めると言った。
「大佐、包丁なんて持ったら危ないっスよ」
オレに貸してと手を出すハボックの大きな手をパチンと叩くとロイは言う。
「病人がバカ言うな。大人しく座ってろ」
でも、と言うハボックを無視してロイは野菜を刻んでいった。その慣れた手つきにハボックは目を丸くする。ロイは呆然と
して立っているハボックを見ると言った。
「まだ熱が下がったばかりだろう。ベッドに戻らないなら少なくとも座っていろ」
そう言われてハボックは言葉もなくキッチンを出るとソファーにぽすんと腰を下ろしたのだった。

出されたトマト味のリゾットは優しい味でとても美味しかった。だが、ハボックはその味すらよく判らないほどショックを受け
ていた。
「口に合わなかったか?」
心配そうに言うロイにハボックは慌てて首を振る。
「やっ、とっても旨いっス」
そう答えてパクッとスプーンを口にしてハボックは思った。
(レシピなんて広げてなかった…包丁だってオレなんかよりよっぽど)
そんな事を考えながらチラリと見やればロイがにっこりと微笑む。何を言っていいか判らず、ハボックはもそもそと食事を
続けたのだった。
 
 
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