七日目の兎  中編


 仕事を済ませ家に戻ったハボックは鍵を開けて中へ入るとリビングの灯りをつける。柔らかい照明に照らされたそこは、だが、人気がなくてひんやりと静まり返っていた。
 ハボックは脱いだ上着を椅子に放り投げると冷蔵庫からビールの缶を取り出す。ゴクゴクと一気に半分ほども飲み干すと大きなため息とともにソファーに腰を下ろした。いつもならこの後キッチンに立って夕食の準備など始めるのだが、正直自分一人のために食事の支度をする気にはなれなかった。
「大佐、誰と飯食ってるんだろう…」
 友人と言っていた。男なのか、女なのか、大勢で会っているのか、それとも二人きりなのか、年はいくつか……考え始めるとキリがない。こんなに気になるのならもっと詳しく聞いておけばよかったと、ハボックは呻きながら頭を掻き毟った。

 壁の時計を見るともうとっくに10時を回っていた。気がつけばテーブルの上にはビールの缶が散乱していたが、酔いは一向に訪れようとはしなかった。
「そろそろ帰ってきてもいい頃なのに…」
 飲みにでかければもっと遅くなることもある。ロイだっていい大人なのだからと思いながらどうにも苛々する気持ちを抑えきれず、ハボックが空になった缶を握り潰したとき、「ただいま」という声にハボックは弾かれたように立ち上がると玄関へと飛び出した。
「遅かったじゃないっスかっ!」
 ロイの顔を見るなりそう怒鳴る。ロイは目を吊り上げて睨んでくるハボックに思わず銀時計を取り出して時間を確かめた。
「遅いって、まだ10時過ぎじゃないか」
 時計の針が指さす時間を見てロイが言う。ハボックの脇をすり抜けて奥へと行こうとしたロイから甘い香りが漂って、ハボックは咄嗟にロイの腕を掴んだ。
「香水の匂いがする」
「そりゃ女性と一緒だったから」
「大佐っ?アンタデートしてきたんスかっ?」
 グイと顔を覗き込むようにして言うハボックにロイはうんざりとしたため息をついた。
「一緒に食事したくらいじゃデートって言わないだろう。子供じゃあるまいし」
 そう言ってロイはハボックの手を振り解くとリビングへと入っていってしまう。慌てて追いかけるハボックがリビングへと入れば、ロイは懐から小さな包みを取り出した。
「ほらこれ、今日行ったレストラン特製のクッキー。お土産に買ってきた。一緒に食べよう、ハボック」
 そう言ってにっこりと笑うロイに、ハボックはそれ以上怒ることが出来ずに唇を噛んだのだった。

 翌日は家で食事をとったものの、その次の日ももその次の次の日もロイは食事はいらないと言って出かけていった。そのたび香水の匂いをさせて帰ってくるロイにハボックがきつく問い質してもロイは「食事をしてるだけ」と言い張った。
「あらかじめ出かけると言って食事をしに行くことになんの問題があるんだ」
「でもちょっと回数多いっしょ?しかもたんび香水の匂いさせて帰ってきて!」
 一緒に食事をするくらいでそんなに移り香がするものだろうか。だが、さすがにそう尋ねる事も出来ず不愉快そうに顔を歪めるハボックにロイは言った。
「だったらお前も出かけてきたらどうだ?自分だけ家で待ってるから苛々するんだろう」
「別にオレも出かけたいっていってる訳じゃねぇっスよ!」
「だったらなんだと言うんだ?」
 心底判らないと言う顔をするロイにハボックはため息をつく。それからロイを引き寄せて唇を合わせると言った。
「ねぇ、大佐。オレのこと好き?」
「当たり前だろう……あっ、ンッ………ハボ…っ」
 何度も口づけながらハボックはロイの身体をまさぐる。触れてくる熱を持った大きな手のひらにロイは身を捩って言った。
「ハボっ、ちょっと待てっ」
「いいでしょ、ちゃんと留守番してたんだし」
「だったらベッドに……んあっ!」
 シャツの中に忍び入ってきた指に胸の飾りを摘まれれてロイはのどを仰け反らせて喘ぐ。ハボックはそのままロイをソファーに押し倒すと更に深く口づけた。
「ハボっ、ここじゃヤダっ」
「これ以上待てませんッ」
 半ば怒鳴るように言って口づけを落とし、肌に触れてくるハボックにロイはため息をつく。それを聞きつけたハボックが傷ついたような目で見ればロイはクスリと笑った。
「しょうがない奴だな」
 そう言ってロイは腕を伸ばしてハボックの身体を引き寄せる。自分から口づけてくるロイにホッと息を吐いて、ハボックはロイの服を脱がせていった。

「ハボック、今夜の食事はいらないから」
 視察から戻って司令室への廊下を歩きながらロイが言う。
「またぁっ?」
 ハボックが思わず足を止めてそう言えば、数歩先に行ったロイも立ち止まる。肩越しにハボックを見上げるとうんざりしたように言った。
「ちょっと友人と食事をしてくるだけだろう?そういちいち目くじらを立てるな」
「でもっ」
 自分が狭量な事を言っているのはよく判っている。だが香水に匂いをさせて楽しげに帰ってくるロイを見るのは耐え難くて、眉間に深い皺を刻んで睨んでくるハボックに向き直るとロイはハボックの胸に手を触れた。
「私の気持ちは判っているだろう?」
 そう言ってロイはうっすらと笑う。欲望のまま煌々と灯りの灯るリビングでロイを抱いたのはほんの2日ほど前の事で、最初は嫌がったロイも切羽詰まった様なハボックの様子に、途中からは積極的に身体を開き、ハボックを受け入れたのだった。
「そりゃ判ってますけど…っ」
「だったらいいだろう?ちょっと遅くなるかもしれないが心配するな」
 ロイがそう言った時、向こうから歩いてきた士官がロイに声をかける。それに答えて話し出すロイに、ハボックはそれ以上なにも言えず、その綺麗な横顔を食い入るように見つめていたのだった。

 きらびやかなレストランの入口が見える路地の物陰にハボックは身を潜めていた。時計を見て時間を確かめるとハボックはひとつため息をつく。豪奢な金髪の美女を伴ってロイが入っていったレストランの入口をじっと見つめた。
 今夜も食事がいらないと言うロイに、ハボックは家で待っていることが出来ずにこっそり後をつけてきてしまった。正直なんとみっともない真似を、と思わないでもなかったし、見つかればロイに詰られることも判ってはいたが、それでもハボックにはおとなしく家でロイを待っていることが出来なかった。
(そりゃ大佐がオレを好きでいてくれるのは判ってるけど…)
 そう胸の内で呟けばついこの間リビングで抱いた時のロイの姿が思い浮かぶ。滾る牡で貫けば涙を零しながら喘ぐロイの顔。情欲に濡れた黒曜石の瞳は快楽に蕩けきっていて、プライドの高いロイが好きでもない相手にそんな姿を晒け出す筈もないことはハボックにもよく判っていた。
(だからって美人と二人きりで出かけるの、黙ってみてられるわけないだろ…)
 自分はロイが好きなのだ。たとえ一時でも自分以外の相手がロイの瞳に映るのはどうにも耐えられなかった。
 時計を見れば二人がレストランに入ってから3時間になろうとしている。食事だけならいい加減レストランから出てきてもいいはずだとハボックが思った時、ロイが女性を伴ってレストランから出てきた。女性はロイの腕に手を添えるとうっとりとロイの顔を見つめる。ロイは極上の笑みを浮かべて二言三言何か言ったかと思うと女性の腰を引き寄せた。そうして。
 ロイは女性の顎に手を添えるとゆっくりと顔を近づける。ロイの唇が女性の真っ赤に染めたそれに重なるのを見た途端、ハボックは隠れていた路地から飛び出していた。
 荒々しい足音に何事かと顔を上げたロイはハボックがもの凄い形相で近づいてくるのに気づいて目を丸くする。明らかにヤバイと狼狽えるロイの傍まで来てロイの腕を取ると、驚いた顔をしている女性ににっこりと笑った。
「すみません、レディ。マスタング大佐に急ぎで処理していただきたい案件が出てきまして」
 ハボックはそう言って女性を追い払ってしまう。その間もハボックは掴んだロイの腕を離さなかった。
「ハボ、痛いっ」
 そう苦情を言えばギロリと睨まれる。ハボックは掴む手に力を込めるとものも言わずにロイを引きずるようにして歩きだしたのだった。



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