七日目の兎  前編


「大佐、オレ、アンタが好きなんです。つきあって貰えないっスか?」
「……でも、お前の好みはボインの女性なんじゃないのか?」
「オレの一番の好みはアンタっスからッ」
 直球で想いをぶつけてくる空色の瞳にロイは大きく目を見開く。
「………うん」
 決死の覚悟で告げた想いはめでたくも受け入れられて、ハボックとロイは晴れて恋人同士になった。

「コーヒーどうぞ、大佐」
「ありがとう、ハボック」
 例によって書類の山に埋もれたロイの机の上にハボックはコーヒーのカップを置く。ロイはにっこり笑って礼を言うとペンを置いてカップを手に取った。
「あーあ、疲れた。どうしてこう、飽きもせずに書類を作ってくるんだか」
「飽きるとか飽きないとかの問題じゃないと思いますけどね」
 うんざりした様子で言うロイにハボックが苦笑する。好みの甘さと熱さに整えられたコーヒーを啜ってホッと息を吐くロイを見つめながら言った。
「今日の晩飯何にします?食いたいものありますか?」
 そう尋ねられてロイはうーんと眉を寄せる。両手でカップを握り締めながら答えた。
「鴨のオレンジソース煮」
「鴨っスか。んじゃ帰りに市場の肉屋に寄るかな…。んで、今日はこの山全部片づけてから帰宅?」
 ハボックはそう言って書類の山を指さす。ロイはうんざりしたように眉を潜めて答えた。
「冗談だろう?とりあえず急ぎはこの山だけだからこれだけ済ませたらとっとと帰る」
 と、ロイは一番小さな山を指さして言う。ハボックは胡散臭げにロイを見て言った。
「ホントにその山だけで大丈夫なんでしょうね。後になってやっぱりこっちの山もやっとかなきゃいけなかったなんてことにならんで下さいよ?」
 ハボックがそう言えばロイは忌々しそうにハボックを睨む。だが、実際2日ほど前にまさしくハボックが言った通りの事をやったばかりのロイとしては、言い返せずにふて腐れたように唇を尖らせた。そんなロイの子供っぽい表情にクスリと笑ってハボックはロイの髪をかき上げる。見上げてくる黒い瞳を見つめて言った。
「おいしいメシ作って待ってますから仕事頑張って下さいね」
「……ん」
 その言葉に嬉しそうに笑って頷くロイの唇にハボックはキスを落とした。

 付き合うようになってさほど間をおかずに二人は一緒に住むようになっていた。もともとハボックはロイの食事の世話を焼いていたりしていたのだが、
「付き合ってるんだしわざわざ通いで作りにくるくらいなら、いっそここに住んだらどうだ?」
 というロイの一言でハボックはロイの家に荷物を運び込んだ。そうしてハボックは今まで以上に甲斐甲斐しくロイの世話を焼くようになったのだが。
「………遅い」
 ハボックはそう呟いて壁の時計を見上げる。時刻はとっくに8時を過ぎていてハボックは苛々と吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。
「やっぱり他の山にも急ぎの書類があったのかな」
 ハボックはそう言っていくつも積み重なった書類の山を思い浮かべる。あれだけため込んでいれば急ぎの書類が紛れていたところで不思議はなかった。
「それにしたって連絡くらいくれたっていいのに…」
 ロイは身内に対してはどうもいい加減なところがある。外部の人間、特に女性に対しては非常に気を回して決して不快な思いはさせないくせに、自分の直属の部下達に対しては相当にいい加減なのだ。勿論本当に大事な事はきちんとやるし、いい加減なのもそれだけ信頼して甘えているのだと思えば悪い気はしない。だが。
「ちょっと連絡いれてみよう」
 ハボックはそう呟いてそらで覚えている番号をダイヤルする。だが、散々鳴らした電話に出たのはロイではなく、しかも肝心のロイはとっくに司令部を出たという返事だった。
「どこ行ったんだ、あの人」
 そう聞けば俄に心配になってくる。ハボックは上着を掴むと外へと飛び出した。

 ロイが行きそうなところを探し回って、だが結局見つけられずにハボックは家に戻ってくる。探してる間に帰ってきてるかもと抱いていた期待はあっさりと裏切られ、ロイの姿は見あたらなかった。
「まさか何かあったんじゃ…」
 心配しだすときりがない。座ることもできず、うろうろと部屋の中を歩き回っていたハボックの耳にガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえて、ハボックは慌てて玄関へと飛び出した。
「大佐っ?!」
「ああ、ハボック。ただいま」
「こんな時間までどこ行ってたんスかッ?!」
 出てきたハボックににっこりと笑ったロイは、いきなり凄い剣幕で怒鳴られて目を丸くする。脱いだ上着をハボックの胸元に押しつけて上目遣いに見上げると言った。
「ごめん、ハボック。実は以前何度か食事したことのある女性とばったり会ってな。今度結婚することになったというのでお祝いにご馳走してたんだよ」
「ご馳走、って…オレが飯作って待ってんの判ってるのに?!」
「明日にはもうセントラルに立つと言うもんだから。連絡しなかったのはすまなかった、連絡の取りようがなかったんだ」
「司令部に連絡したらもうとっくに出たっていうし、何かあったんじゃないかって、すげぇ心配したんスよ?」
 乱暴に両肩を掴まれて、ロイは目を見開いてハボックを見る。その空色の瞳に浮かぶ焦燥と安堵と幾ばくかの嫉妬を見て取って、ロイはうっとりと笑った。
「ごめん、ハボ。お前が待っていてくれてる事は判ってたんだがどうしても祝って上げたくて。赦してくれ」
 ロイはそう言ってハボックの胸に顔を埋める。本当のところを言えば、食事をしている間はハボックが待っている事などすっかり忘れていたのだが、それは一切言わずにしおらしく目を伏せた。そうすれば、頭上から諦めたようなため息が降ってくる。そっと見上げれば優しく見下ろしてくる瞳と目があって、ロイはうっすらと笑った。
「これからはちゃんと連絡してくださいね。それと……オレ、やっぱり心穏やかじゃいられないっス。アンタが女の人と二人で食事してると思ったら」
「もう人妻になると決まった女性だぞ?」
「オレ、ヤキモチ焼きなんで」
「バカだな。私が好きなのはお前だけなのに」
 そう言って笑うロイを抱き締めて、ハボックはホッと息をついた。

「あれ?大佐?」
 司令部の廊下を歩いていたハボックはすらりと背筋の伸びたほっそりとした姿に気づいて足を止める。窓の向こう、中庭に続く通路の片隅で女子職員と楽しそうに話すロイに、ハボックは思い切り顔を顰めた。
 ハボックが見ていることなど気づきもせず、ロイは女性を魅了してやまないとっておきの笑みを浮かべて見せる。その笑顔に女子職員が顔を真っ赤にするに至って、ハボックは乱暴に扉を開けると通路へと出た。
「ハボック?」
 扉が開く大きな音にロイは目を丸くしてハボックを見る。ハボックはロイの腕を掴むと引きずるようにして建物の中へと戻った。
「ハボックっ?おい、いきなり何なんだっ!」
 乱暴な所業にロイは目を吊り上げて怒鳴る。だが、ハボックはそれには答えず手近な会議室の扉を開けるとロイを押し込んで後ろ手に扉を閉めた。
「ハボックっ?」
 責めるように睨んでくるロイをグイと引き寄せたかと思うと、ハボックは噛みつくようにロイに口づける。目を見開いて逃げようともがくロイを抱き締めてハボックはその耳元に囁いた。
「この間も言ったっしょ?オレ、ヤキモチ焼きなんスよ。オレ以外のヤツにあんな顔、見せないでください…っ」
「ハボック…」
 抱き締めてくる腕にロイは呆れたため息を零す。ハボックの胸を手の甲で軽く叩いて言った。
「話してただけだろう?しょうもないヤツだな」
 ロイはそう言ってハボックの腕から抜け出る。会議室の扉を開けながら思い出したように言った。
「ああ、そうだ。今夜は出かけるから食事はいらない」
「えっ、出かけるって誰とっスか?」
「友人。別に構わないだろう?あらかじめ言ってるんだし」
 ロイは素っ気なくそう言うとさっさと歩いていってしまう。ハボックはその背を見つめながら唇をギュッと噛み締めた。



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