近くて遠いあなた  第三章


「ハボックの部隊は作戦通りに裏手から。頼んだぞ」
「イエッサー!」
 ハボックはそう答えると足早に司令室を出て行く。その潜入服に包まれた背を見送って、ロイはため息をついた。
『アンタが好きなんです』
 ハボックにそう告げられてから1ヶ月が過ぎた。部下としてしか見ることが出来ないと答えたロイに、最初のうちこそ何か言いたげなハボックではあったが、ロイの態度が告白の前と後で変化がなかったことで、結局二人の間は1ヶ月前と何も変わらなかった。少なくとも表面上は。
 正直なところを言えば、ロイはハボックとの関係を変えたいとは思わなかった。ハボックは信頼できる部下であり、ロイが懐に入れることの出来る数少ない人間の一人だ。その人間をこんな極プライベートなことが原因でなくしてしまうのは惜しかったし、それだけは絶対に避けたいとも思っていた。
(もし、私がハボックの気持ちを受け入れたらどうなるのだろう)
 ロイがもし、ハボックの気持ちを受け入れたとしたら、仕事の上でもプライベートでも何の混乱もなくスムーズに事態が回っていくのだろうか。
 そんな事を考えてロイは緩く首を振る。相手がハボックであるにしろそうでないにしろ、今のロイにプライベートで誰かを近づけるということは考えられなかった。確かに女性とデートを重ねたりしていたし、それはロイに取って楽しい時間であることは確かだったがそれはただそれだけでしかなかった。デートをした相手に特別心を惹かれるでもなく、気持ちを乱されるわけでもなく、ロイにとって女性との付き合いはその場だけの楽しい時間に過ぎなかった。
 そもそも自分は誰かを好きになってその人を独占したいと思ったことがあったろうか。
 そんな考えまでもが頭に浮かび、ロイは思わず苦笑する。
(少なくともこんな考えを起こさせるだけ、ハボックは私にとって特別になったということかもしれないな)
 とはいえ、それがハボックに心惹かれることへと直結するわけではない。
 ロイはハボックとの事もそこから派生した考えも、全て締め出してしまうと今かかるべき仕事へと頭を切り替えた。

 自分に任された任務を完璧にこなしてハボックは司令部に戻る。結局、内通者からの密告により計画されたテロは実行には移されず、首謀者達もハボック達の手によって拘束された。
 司令部に戻ったハボックはとりあえず口頭でロイに任務完了の報告を済ませて労いの言葉を貰うと、執務室を出てロッカールームへと向かう。シャワーを浴び服をいつもの青い軍服に着替えながらハボックはため息をついた。
 ロイのハボックへの信頼は篤い。それはハボックがロイに好きだと告げた後も少しも変わらなかった。いつだってロイはハボックを信頼して作戦の中でも一番重要な部分を任せていた。ハボックの軍人としての能力とハボックのロイへの忠誠心と、全てひっくるめて信頼してハボックを送り出した。以前なら、そのロイのハボックへの信頼は極素直に嬉しいものとして受け止められたろう。だが今は違う。ハボックのロイへの極個人的な気持ちもロイのなにも変えることが出来ないのだという事実は、ハボックを酷く傷つけ苛立たせた。それでも表面上ハボックが何も変わっていないように見えるのは、ただただ彼がそう見せたいと望んでいるからに過ぎない。ほんの微塵も変わらないロイのことで自分が揺らぎ、変わってしまうのはハボックのプライドが赦さなかった。だからといって本当のところ変わっていないわけではないのだ。
(いっそ嫌悪でも侮蔑でもしてくれりゃいいのに)
 ロイという存在の中に、自分と言う存在を何一つ残す事が出来ない事に、ハボックの中にゆっくりと昏く澱んだものが降り積もっていった。

「ハボ〜〜っ、今夜はとことん付き合ってくれよーッ!!」
「おわっ!なんだよ、突然ッ」
 司令部に入ってきた途端、そう喚きながら圧し掛かってきたブレダにハボックは椅子から突き落とされそうになりながら悲鳴を上げる。ブレダはハボックの襟首を掴んでその空色の瞳を覗き込みながら言った。
「ここんとこ事件が立て込んでたろ?暫く会えないでいたら『他に好きな人が出来た』って」
「なんだ、フラれたのか」
「なんだとは何だッ、傷心の友人に向かって言うセリフかぁッ?!」
 キーッと噛み付くブレダを「まあまあ」と宥めながらハボックは内心苦く笑う。
(オレなんてフラれた相手と一緒に仕事してるっての)
 その方がよっぽどキツイと思ったものの口に出してはブレダを慰める言葉を言った。
「チキショウ、大佐だって俺らとおんなじように仕事してるのに、どうして大佐はフラれないんだろうなぁ」
 がっくりとうな垂れて言うブレダにハボックは肩を竦める。
「さあな。直接本人に聞いてみたら?」
 いちいち考えて答えるのが面倒でハボックがそう言えばブレダが目を輝かせた。
「あ、それいいな。よし、今夜は大佐のおごりで俺の激励会と女性にフラれない為の指南会を開いてもらおう」
 そう言ってブレダはハボックから離れると執務室へと足を向ける。
「えっ?ちょ、ブレダ?!」
 半ば冗談で言ったような言葉に思いがけず食いつかれて、ハボックは慌ててブレダを引き止めた。だが、ブレダは執務室の扉を叩くとさっさと中へと入っていってしまう。呆然とする間にブレダは執務室から出てくるとニッと笑って言った。
「そんなわけで今夜はロイ・マスタング大佐主催のブレダ少尉を元気付ける会、及びに女性にフラれない為の指南会を行う事と相成りました。ハボ、さっさと仕事片付けとけよ」
 ブレダはそう言うとさっさと自席に座り仕事に取り掛かる。ハボックは口をあんぐりとあけてブレダを見つめていたが、やがて椅子の上にズルズルと沈み込んだ。
「女性にフラれないための指南会って……なんでオレがそんなものに出なきゃいけないんだよっ」
 呻くように言ったハボックの文句など聞こえた様子もなく、楽しそうに仕事をするブレダだった。

「俺としてはですね、会えないなりにちゃんと彼女には気を遣っていたつもりだったんですよ?それなのに他の男に心変わりするなんて」
 あんまりですよね、と管を巻くブレダに苦笑しながらロイが何かを言うのをハボックは向かいの席からぼんやりと見つめていた。
(ブレダの気持ちなんてこの人には欠片も判んねぇんだろうな)
 恐らくはハボックの気持ちも。
 そうでなければここまで変わらぬ態度を続けていけるはずがないとハボックは思う。そう考えればまた心の中にゆっくりと昏いものが舞い降りて沈殿していった。

 フラレた鬱憤晴らしと称して散々にロイにたかったブレダが、いい気持ちでつぶれてしまうとロイが困ったようにハボックを見る。ハボックは肩を竦めて煙草を灰皿に押し付けると言った。
「暫くほっときゃ起きますから。ここ、馴染みの店だしほっといていいっスよ。それよりアンタ、送りますから」
 ハボックはそう言って立ち上がる。ロイは心配そうにブレダを見て言った。
「本当にいいのか?ほって置いて。誰かついてた方が」
「平気っスよ。外じゃないんだし。介抱ドロもいやしません。アンタ、明日早いんでしょ?さっさと帰った方がいい」
 そう言うハボックに促されてロイは立ち上がる。ブレダに気に掛ける視線を投げかけながらも支払いを済ませ店を出た。二人並んで歩きながらハボックはチラリと頭ひとつ低いロイを見る。酔いで薄紅に染まった頬を目にしてゾクリと背を震わせた。
「あんまり飲んでなかったな?お前にしては珍しい」
 奢りなのに、と言うロイにハボックは肩を竦める。
「ブレダを元気付ける会なんでしょ?それにアンタ送ってかなきゃだし」
 ハボックがそう言えばくすりと笑うロイに、ハボックは苛々とした。そんなことには気付かずロイは上機嫌に道を歩いていく。繁華街を抜けて暫く行けば閑静な住宅街へと入っていった。カツカツと二人の靴音だけが響き渡る通りを満月に近い月が煌々と照らし出す。ハボックはそんな道をロイと二人だけで歩いている事に突然息苦しさを感じて立ち止まった。
「ハボック?」
 突然立ち止まったハボックをロイは不思議そうに見る。以前と変わらぬその顔をハボックはじっと見つめたが何も言わずに再び歩き出した。そのまま歩き続ければロイの家の門が見えてくる。ハボックはいつもロイを送ってきたときにはそうするように先にたって門を開けた。扉の鍵を開け、中に何も異常がないことを確かめるとロイを中へと通す。普段ならそこで何かしらの挨拶を交わし、帰っていくハボックがその場に立ちつくしたままでいるのをロイは不思議そうに見上げた。
「ハボック?どうした?気分でも悪いのか?」
 何の警戒心もなく見つめてくる黒い瞳をハボックは見つめる。その冷たいガラスのような瞳にロイがゾクリと背筋を震わせた時、ハボックの唇から低い声が零れた。
「アンタにとってオレってなんなんスか?」
「え?」
 そう言ってじっと見つめてくる瞳にロイはひとつ瞬きすると答える。
「お前は私にとって大切な信頼できる部下だ」
 そう答えればハボックが苦い笑みを浮かべた。
「そんなもの望んでません」
 キッパリとそう言うハボックにロイは目を丸くする。
「信頼される部下なんて真っ平だ」
「ハボ――」
 吐き捨てるようにそう言ったハボックに噛み付くように唇を塞がれて、ロイはその逞しい腕の中で目を見開いた。


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