月の鏡  第五章


「────」
 長々とだらしなくソファーに寝そべったハボックは、カーテンの隙間から零れる朝の陽射しにゆっくりと目を開ける。手の甲を目元に当てて深いため息を零したハボックは、ゆっくりと身を起こした。
 月の光に古から続く血が騒いで、夕べは森の中で一晩を過ごした。満月の光を浴びて内から溢れる力のまま木々の間を駆け高い枝に飛び移って、ハボックは大声で吠えた。ハボックの声に答えるように欠けることない円を描いた月はその光をハボックの体に降り注いで、ハボックは身の内から止めどなく力が溢れてくるのを感じた。それと同時にその力が堪らなく厭わしく、ハボックは何もかも打ち壊してしまいたい衝動に駆られるまま一晩中森を走ったのだった。
「くそ……っ」
 一晩中駆け回っていたにも関わらず、月の力はまだ体に残っている気がする。ハボックは普段の長さに戻った金髪をガリガリと掻いてソファーから立ち上がった。服を脱ぎ捨てながら浴室へと向かう。扉を開け浴室の中へ入ると冷たいシャワーを頭から浴びた。
「はあ……」
 壁に手をつきザアザアと降り注ぐ水を浴びる。水が滴る髪は短く壁についた手の爪は綺麗に切りそろえられて、人と変わらぬ己の姿にハボックはホッと息を吐いた。シャワーを止めザッと髪と体を洗い泡を流して浴室の外へ出る。ボトムだけを身につけ濡れた髪をタオルで拭きながらキッチンへ向かうとコーヒーをセットし湯を注いだ。


 ヒューズとの電話を終えたロイはシャワーを浴びて身支度を整える。愛用のコロンをつけ、鏡を覗き込むとおかしいところがないか念入りにチェックした。
「よしっ」
 ロイは言って両手でパンと頬をはたく。目を瞑り大きく息を吸って思い切り吐き出して、ロイはパッと目を開いた。
「今日こそハボックの気持ちを確かめるぞッ」
 もういい加減待つのは嫌だ。ハボックも自分のことを好いていてくれる事には自信がある。そうであればもう迷う必要などないはずだった。
「押して押して押し倒すんだな、ヒューズッ」
 マドンナと言われたグレイシアから結婚の了解を取り付けた男の言葉だ。男女の違いはあれきっと間違いはないだろう。ロイはもう一度鏡を覗いて己の姿を確かめると、勢い込んで家を出た。朝の光が降り注ぐ中、街を抜け小高い丘を覆う森の中へと入っていく。緑の木々の間で鳥が囀るのを耳にして、ロイは目を細めて上を見上げた。ロイの視線を感じたように小さな鳥が羽ばたき空へと駆け上がっていく。晴れ渡る空はハボックの瞳の色と同じで、自然ロイの唇に笑みが浮かんだ。
「ハボック」
 なんだかとっても幸先がいいような気がする。ロイはギュッと手を握り締め、足を早めて丘を登っていった。やがて森が開けて見慣れた屋敷が見えてくる。庭を囲む塀を回り門を抜けて玄関のステップを上がれば、急に緊張してきてロイは足を止めた。
「押して押して押し倒す……間違いないな、ヒューズ。もし間違っていたら燃やすぞ」
 グレイシアと結婚する前にこんがりミディアムに焼いてやる、そんな物騒なことを考えながらロイはギュッと握り締めた手を上げノッカーを掴んだ。


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