月の鏡  第六章


 コーヒーが落ちきったのを見てハボックは戸棚からカップを取り出す。その時、コンコンとノッカーの音が響いて、ハボックは手にしたカップを置くと玄関に歩いていった。
「ロイ」
 カチャリと玄関の扉を開けると目の前に現れた白い顔にハボックは笑みを浮かべて目を細める。どこか緊張した面もちのロイにハボックは言った。
「おはようございます、今日は早いっスね」
 ハボックの言葉にロイはハッとしてハボックを見る。ボトムだけを身につけ逞しい上半身を晒しているハボックの姿に、ロイは顔を赤らめて言った。
「す、すまんっ、まだ休んでたか?」
 ハボックの気持ちを確かめたいという思いだけが先走って、時間を気にする余裕もなかった事に気づいてロイは慌てて謝罪の言葉を口にする。そんなロイにハボックはクスリと笑って言った。
「起きてたから大丈夫っスよ。そんなに読みたい本があったんスか?」
 こんなに早くからやってくるとは、余程読みたい本でもあったのだろうかとハボックは思いながらロイを中へと通す。書斎へと促され、ロイは慌てて首を振った。
「今日は本を読みに来たんじゃないんだっ、そのっ、き、聞きたいことがあって……ッ」
「聞きたいこと?オレに?なんスか?」
 その場で足を止め尋ねられて、ロイは困ったように視線をさまよわせる。いつにないロイの様子に小首を傾げてハボックは言った。
「メシ、食ってきたっスか?」
「えっ?い、いや」
「なんか作るっスよ、こっちへどうぞ」
 そう言って歩き出すハボックをロイは慌てて追いかける。ダイニングの椅子を勧められて、ロイは仕方なしに腰を下ろした。
(なにをしてるんだっ、私はッ!いやでもハボックがあんな格好してるから……ッ)
 ハボックの気持ちを確かめたくて仕方なくて、そんな時にヒューズから「押して押して押し倒せ」とアドバイスを受けて堪らず家を飛び出すようにここへとやってきた。いざ家に着けば俄に緊張してきたところへ惜しげもなく逞しい体を晒すハボックを目にして、ロイはもうすっかりとテンパってしまっていた。
(あんな、格好……してるから)
 ロイはそう思いながらダイニングから続き間になっているキッチンをチラリと見遣る。ロイの場所からはキッチンに立つハボックの背中が見えて、肩から背中、引き締まった腰へと続く見事に鍛えられた体にロイは顔を赤らめた。
(押して押して押し倒す……押し倒されたいのか、私は)
 ふと、そんな考えが思い浮かんでドキンと心臓が音を立てる。逞しいハボックの腕に抱き締められる己の姿を思い描いたその時、コトリとオムレツの乗った皿が目の前に置かれた。
「どうぞ」
「わあッ!」
 思わず大声を上げてしまった口を手で押さえて見上げれば、ハボックが目を丸くしている。ロイは引き攣った笑みを浮かべて言った。
「す、すまん……ちょっと考え事をしていて……」
 もごもごと言い訳するとハボックがクスリと笑う。温めたパンとサラダ、コーヒーのカップを並べてハボックはロイの向かいに腰を下ろした。
「どうぞ。大したものはないっスけど」
「ありがとう。……お前の分は?」
 用意された食事は一人分だ。もしかしてハボックが食べるはずのものではと言うロイにハボックは答えた。
「夕べメシ食うのが遅かったんでまだあんまり腹減ってないんスよ。オレはこれで」
 ハボックは言ってテーブルに置かれた籠からリンゴを取り上げる。シャクリと音を立ててリンゴに齧りつくハボックが唇の端から零れた汁を手の甲で拭う仕草に、ロイはドキドキして慌てて目を逸らすとオムレツをガシガシと突き崩して口に運んだ。
(くそ……ッ、オムレツなんて食べてる場合じゃ……ッ!あ、でも)
「おいしい」
 ふわふわと柔らかく口の中でバターの香りが広がるオムレツに思わず言葉が口をついて出る。そんなロイにハボックが笑みを浮かべた。
「そいつはよかった」
 その声にロイは視線を上げてハボックを見る。椅子に斜めに腰掛け背もたれに片腕を預け、もう片方の手で持ったリンゴを齧るハボックをロイはうっとりと見つめた。
『押して押して押し倒せ!』
 不意にヒューズの声がハボックを見つめるロイの耳にする。その声に後押しされるようにロイはゆっくりと立ち上がった。


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