| そういう人々 第六章 |
| 「ふぅん、猫から見ると世の中っていうのはこんな風に見えるのか」 中庭に出たロイは、そう呟きながらきょろきょろと辺りを見回す。人間よりもずっと低い場所から見る世界は、なんだかなにもかも奇妙に大きく感じられた。 「立葵がやけに背高のっぽだ」 丁度横を通ったスラリと背の高い花を見上げる。人間の姿の時は見下ろしていた花を見上げるというのはなかなかに新鮮な驚きで、ロイは緑の葉の間に見えるピンク色の花を見つめた。また少し行くと姫女苑の白い花が咲いているのを見つける。普段は気にも留めない雑草に、ロイは鼻面を近づけて匂いを嗅いだ。 「ふむ、こういうのもいいものだ」 ロイは満足そうに目を細めて言う。そうすればすぐ側の花からひらひらと蝶が飛び立って、ロイは思わず肉球のついた手を伸ばした。後ろ足で立ち上がり、ひらひらと舞う蝶にじゃれるように手を伸ばす。捕まえられるかと思えば僅かなところで右に左にとよける蝶に、ロイはムッと狭い額に皺を寄せた。 「くそ……っ」 何度か繰り返すうち、蝶はロイの手が届かない高さまで飛んでいってしまう。なんとなく蝶に弄ばれたようで、ロイは前脚をおろしてフーっと息を吐き出した。 「まあ、本気で捕まえてしまったら可哀想だからな」 わざと捕まえないでいてやったのだと言いたげにロイは呟く。気を取り直して歩きだしたロイの目に、司令部の建物から出てきた女性事務官の姿が映った。 「あれは総務部のアリーナ嬢じゃないか」 司令部にきてから一週間しか経っていないのに、しっかり覚えていた女性の名を口にする。ロイが尻尾をピンと立てていそいそと近づいていけば、ブルネットの美女が緑の目を見開いた。 「あら、どこから入り込んだの?猫ちゃん」 アリーナは目を細めて言うとロイの前にしゃがみ込む。手を伸ばして黒猫の小さな頭を優しく撫でた。 「うふふ、可愛い」 両手で頬を挟むようにして撫でられ、ロイは目を細める。褒めてくれた女性に「ありがとう」と言いそうになって、ロイは慌てて口を噤んだ。 「綺麗な毛並みね。首輪はしてないけど、野良じゃないの?」 顔を覗き込むようにして尋ねられ、ロイは野良じゃないが飼い猫でもない自分はなんだろうと考える。うーんと小首を傾げれば、アリーナがロイをヒョイと抱え上げた。 「可愛いっ、私の質問に考えてるみたい」 アリーナはロイの黒い毛に覆われた小さな顔に頬摺りする。思わずふにゃんと顔を弛めるロイを、顔を離して真正面から見つめて言った。 「誰かの猫じゃないなら飼いたいけど、アパートじゃ無理だからなぁ」 嘆くように言ってアリーナは額をロイの小さなそれにくっつける。その時、建物の扉のところからアリーナを呼ぶ声がした。 「いけない、行かなくちゃ」 アリーナはロイを地面に下ろすと慌てて立ち上がる。名残惜しそうにロイの頭を一撫ですると、小走りに中へ戻っていった。 「ふむ、なかなか新鮮な体験だ」 ロイは女性の背を見送ってそう呟く。これまで女性と親密な距離で接してきたことは幾度となくあったが、あんな風に頬を撫でられたり、ましてや抱き上げられたりしたことなどなかった。 「アリーナ嬢は猫が好きなのか、覚えておこう」 上機嫌に笑みを浮かべて思いがけず得た情報を頭の片隅に刻み込むと、ロイは再び歩き出す。少し行った先の木の陰をヒョイと曲がったロイは、反対側からやってきた男に蹴飛ばされそうになった。 「うわっ!……猫?」 慌ててよけた反動でふらつきながら男が言う。顔を顰めて見下ろしてくる男をどこかで見たとロイは考えたが、すぐには思い出せなかった。 「何故こんなところに?誰かの飼い猫か?」 そう言った男はキョロキョロと辺りを見回す。近くに誰の姿もないことを確認すると、男はロイに手を伸ばした。ロイの前脚の付け根に手を入れるとヒョイとその体を持ち上げる。ロイはいきなり男の背の高さまで抱え上げられて、思わず上げそうになった声を飲み込んだ。 (なにをするッ!) と言う言葉の代わりに「ニャーッ!」と眉間に皺を寄せて鳴く。そうすれば男はだらしなく顔を弛めて言った。 「可愛いじゃないか。美人だな、お前」 男はそう言ってロイにスリスリと頬を擦り寄せる。男の頬に顔を擦りつけられて、ロイは内心「ギャーッ!!」と悲鳴を上げた。 「ほッ」 (──ほを擦り付けるなッ!気色悪いッッ!!) 咄嗟に言いかけた言葉の続きを心の中で叫べば、男が怪訝そうな顔をした。 「ほ?」 そう言う男にじっと見つめられて、ロイはギクリとする。 (見るなッ、そんなに見るんじゃないッ!) ジーッと見つめられれば正体を見透かされるような錯覚に陥る。どうしようと、毛に覆われた背中に嫌な汗をかきながらロイは必死に考えを巡らせた。 「どこ行きやがった、あのクソ大佐」 ハボックは口の中で罵りながら廊下を足早に歩く。幾ら何でも司令部から外へは行かないだろうと、一階まで階段を駆け降りたハボックは窓から外をチラチラと見ながら歩いていった。 「やっぱ庭かな」 窓から木を伝って出ていったのだ。建物の中よりは外にいる可能性の方が高いとハボックは外へ出る扉を探す。確かこの先にあった筈と廊下の角を曲がると、丁度その扉から入ってきた事務官の女性がもう一人別の女性と一緒にハボックの方へ向かって歩きだしたところだった。 「猫がいたのよ、真っ黒な猫」 「黒猫?縁起悪くない?」 「そんなことないわ。とても綺麗でとても可愛いの。アパートじゃなければ連れて帰りたかったわ」 「そんなこと言って、誰かの猫だったらどうするのよ」 苦笑混じりに友人の女性に言われて庭から戻ってきた女性が口を尖らせる。なんとはなしに耳に入ってきた会話の中の“黒猫”という言葉に、ハボックは事務官の女性に近寄ると尋ねた。 「ちょっとごめん、その黒猫、どこで見たのかな?」 「えっ?あら、あの黒猫、ハボック少尉のだったんですか?」 「ええと、まあそんなもんかな」 ハボックが曖昧に頷けば女性は残念そうな顔をする。 「中庭で花を眺めてたわ。まだいるんじゃないかしら」 「ありがとう!」 「今度また猫ちゃん抱かせてね」 そう言って笑うと立ち去る女性に「ははは」と笑い返してハボックは中庭に出る扉をくぐる。 「……誰だったかな」 事務官だから総務か人事で見かけたのだろうが名前まで思い出せない。向こうは自分の名前を知っていたなと首を傾げて考えたが、ハボックは今はそんなことはどうでもいいとすぐさま女性の事を頭から追い出した。 「そんなことより大佐だ、早く見つけないとッ」 猫になってからどれくらい経つのだろう。早いとこ取っ捕まえて人目に付かないところへ連れていかねばと、ハボックはキョロキョロと見回しながら中庭を歩いていった。 |
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