そういう人々  第三章


「ああ、やっぱりこの方がおちつく」
 普段の姿に戻ったロイはやれやれとため息をつく。疲れきった様子で椅子に背を預けるロイに、コーヒーを出してやりながらハボックが言った。
「しかし、くしゃみすると猫になっちまうっていうのはちょっとばかり危なっかしいっスね」
 そう言われてロイはハボックを見る。コーヒーに手をのばして口を付けたロイは、熱さに顔を顰めた。
「熱い。飲めないじゃないか」
「やっぱ猫舌なんだ」
 猫だもんなぁと、どこか感心したように言うハボックをロイは睨む。熱くて飲めないコーヒーを机に戻し、ハボックを見上げて言った。
「危なっかしいとはなんだ」
「そりゃそうでしょ?くしゃみなんて突然出るもんじゃないっスか。いきなり会議の席でくしゃみしたらどうするんです?」
「会議でくしゃみなんてするか」
 ハボックの言葉にロイはフンと鼻を鳴らす。カップを机に置いたままフウフウと息を吹きかけ舌先でコーヒーの表面をつついて、まだ熱いと鼻に皺を寄せた。
「ハボック、氷」
「どんだけ猫舌なんスか」
「熱いものは熱い」
 ツンと喉を逸らして言う様はどことなく猫っぽい。ハボックはやれやれとため息をつくとカップを取り上げた。
「おい」
 ロイが眉を寄せて言うのに構わず、ハボックは手にしたカップにフウフウと息を吹きかける。暫くそうして息を吹きかけるとロイの前にカップを返した。
「はい、どうぞ」
「……子供じゃないぞ」
 ロイはそう言いながらもカップを取り上げ温くなったコーヒーを啜る。そんなロイを見下ろしてハボックが言った。
「マスクでもしてたらどうっスかね。そうしたらくしゃみも出にくいんじゃないっスか?」
「マスクだぁ?あんなもん煩わしいばっかりじゃないか」
「でも、少しでも危険を回避するためには仕方ないんじゃ────」
「絶対に嫌だ」
 ハボックの言葉を遮ってロイは思い切り拒絶する。その理由が煩わしいというよりカッコ悪いからと言うのを聞いて、ハボックは眉を寄せた。
「意外と見栄っ張りっスね、アンタ」
「顔中マスクになるのが嫌なんだっ」
 私は顔が小さいんだとロイが主張する。それを聞いたハボックが丸くても小さいんだ、と思わず思ったことをそのまんま口にすれば素早く伸びてきたロイの手がハボックの口元を思い切り抓った。
「イテテテテッッ!!」
「次は燃やす」
 赤くなった口元を押さえて涙ぐむハボックを睨んでロイが言う。「酷い」だの「乱暴者」だの言うハボックを無視して、ロイは続けた。
「とにかくマスクは却下。私は簡単にくしゃみなんてしないから大丈夫だ!」
「さっきはしたくせに」
「何か言ったか?」
 ジロリと睨まれてハボックは口を噤む。マスクは嫌だというならどうするか、ハボックが「うーん」と考えた時、扉をノックする音がした。


「鍵かけたままだった」
 いきなり入ってこられないよう鍵をかけたままだったとハボックは急いで鍵を開ける。そうすれば扉の向こうにホークアイが立っていた。
「大佐、そろそろ会議が始まるお時間です」
「会議……」
 たった今話していた事が頭をよぎってハボックとロイは顔を見合わせる。くしゃみ対策を決めていないとはいえ会議に出ないわけにはいかず、ロイは立ち上がりながら答えた。
「判った、今行く」
「あ、じゃあオレも!」
 言って執務室を出ていこうとするロイにハボックが慌てて言えば、ホークアイが怪訝そうな顔をする。それにハボックはヘラリと笑って言った。
「いやほら、大佐の護衛になったことだし、一応みんなにも知っておいて貰った方がいいかなぁって」
 ボリボリと頭を掻いてへらへらとした笑みを浮かべるハボックに、ホークアイは尋ねるようにロイを見た。
「それもいいだろう。それに私もまだここの司令部は不案内だしな」
「判りました」
 ロイがそう言うならとホークアイは頷く。手にしていた会議関係の書類が入ったファイルを差し出せば、ハボックが手を伸ばしてそれを受け取った。
「よろしく、少尉」
「アイ・マァム」
 軽く敬礼すればそれに頷いたホークアイがロイに黙礼して執務室を出ていく。なんとなく二人してため息をついてハボックとロイは顔を見合わせた。
「行きましょうか」
「ああ」
 頷くロイの半歩後に従って、ハボックは執務室を後にした。


 東方司令部に着任して初めて会議に出席するロイのために名前だけの自己紹介が終わると会議が始まる。特に大きな問題について話し合うというより定期報告的な会議の内容は至極退屈で、ロイの後ろに立って会議を聞いていたハボックは欠伸を噛み殺すのに必死だった。
(ねむ……。大佐が欠伸して猫になる体質じゃなくてよかった)
 後ろに立っているからロイの表情は伺いしれないが、さっきから書類にヘタクソな落書きをしているところを見ればロイも会議に退屈しているのだと判る。こんなところで欠伸をしてうっかり猫になったりなどしたら大変だとハボックが思った時、コンコンと会議室の扉をノックする音が聞こえた。
「遅くなって申し訳ありません、資料をお持ちしました」
 そう言って入ってきた事務官が持っているのは古いファイルの山だ。半分寝惚けていたハボックはよく聞いていなかったが、どうやら会議の途中資料を持ってくるような話の展開になっていたらしく、事務官は恭しく埃を被ったファイルをロイのすぐ近くの左官の前に置いた。
「汚いファイルだな、せめて埃くらい払ってきたまえ」
 左官は顔を顰めてそう言うと、表紙の埃を手で払う。ふわりと舞い上がった埃に鼻孔を擽られたハボックは、沸き上がったムズムズとした衝動にハッとしてロイを見た。
「〜〜〜〜ッ」
(やばッ!!)
 顔を顰めてスーッと息を吸い込むロイにハボックがギョッとする。
(大佐ッ、駄目ッ、くしゃみ駄目っス!!)
 必死に背後から合図を送るがロイが気づくはずもなく。
「ハァ────」
「ッッ!!」
 思い切り吸い込んだ息をロイが吐き出そうとする寸前、ハボックはロイに向かって腕を伸ばした。


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