| そういう人々 第二章 |
| 「ええと」 椅子の上の黒猫と数十秒見つめあった後、ハボックがボリボリと頭を掻いて言う。 「マスタング大佐?」 と、黒猫の顔を覗き込むようにして言えば、黒猫が仰け反るように身を引いて言った。 「わっ、私はマスタング大佐じゃないぞッ」 「あのね、猫が喋っちゃ認めてるのと一緒っスから」 「あっ!いやその、だから私はっ」 がっくりと肩を落として言うハボックに、黒猫は大慌てで肉球のついた手を振って喚く。その人間くさい仕草にハボックは思わずプッと吹き出した。 「だから、喋っちゃダメですってば」 クックッと笑いながらハボックは椅子のすぐ側にしゃがみ込む。まん丸に見開く黒曜石を見つめてハボックは言った。 「落ち着いて、大佐。ヒューズ中佐から事情は聞いてます」 「そっ、そうなのか?」 「オレは味方っスよ」 ハボックはそう言って黒猫の頭を大きな手でわしわしと撫でる。立ち上がって執務室の扉に鍵をかけ、開けたばかりの窓を閉めた。 「中佐から電話があってアンタが例のやつだから面倒見てやってくれって頼まれたっス」 「そうか、ヒューズのやつ……」 黒猫はホッとしたようなため息をついて、後ろ足を投げ出すようにして座る。がっくりと前足をついて項垂れたのが、どうやら人間で言うところの肩を落としたらしい事に気づいて、ハボックは笑みを浮かべた。 「副司令官になるのが決まってから判ったって聞いたっスけど」 ハボックは椅子のすぐ側の床に座り込んで尋ねる。そうすれば黒猫のロイが頷いた。 「ああ。一週間ほど前にいきなり発症したんだ。それでヒューズに相談した」 「身内に他に発症した人は?」 「少なくとも私が知る範囲ではいないな」 「そうっスか」 そう説明する黒猫をハボックはじっと見つめる。真っ黒な毛並みは艶があって美しく、尻尾は太すぎも細すぎもせずバランスのとれた長さでどこからどう見ても一匹の黒猫だ。ただ一つ彼がロイ・マスタングであることを示しているのは猫になっても変わらない黒曜石の瞳だった。 「猫になっても瞳の色は変わんないんスね」 「どうせなら目の色だけでなく全身変わりたくなかったがな」 黒猫は鼻面に思い切り皺を寄せて言う。その表情が妙に可愛らしくハボックが笑みを浮かべればロイがジロリと睨んだ。 「それで、クシャミすると猫になっちまうわけ?戻るのはどうするんです?」 「三十分もすれば勝手に戻る」 「三十分〜?もっと早く戻る方法ないんスか?」 周りに誰もいない状況であれば三十分待つのもいいだろう。だが、そんな場合ばかりとは限らず、急いで戻りたい場合はどうするんだとハボックが尋ねれば、黒猫は嫌そうに顔を顰めた。 「あるにはあるが」 「どうするんです?」 聞かれてもロイはすぐに答えない。促すように「大佐」と呼ばれて、黒猫は渋々口を開いた。 「水をかければ元に戻る。まあ、水でなくても液体ならなんでも戻ると思う」 「水をかければ……」 「だが、緊急事態でない限り出来ればその方法はとりたくない」 「そうでしょうね」 水をかければおそらく人間に戻ったとき、ロイはびしょ濡れになっているはずだ。出来れば三十分かけて戻りたいというロイの気持ちも判らないではなかった。 「とりあえず今すぐ誰か来ることはないでしょうから、今回は三十分待ちましょう」 「ありがとう」 ホッと息を吐きながら礼を言う黒猫にハボックが言う。 「ただね、猫になってる時、人間の言葉喋んないこと。これだけは絶対守ってくださいね」 「判った」 「じゃなくて、“ニャー”」 「…………ニャー」 ハボックに続いて至極不満そうにニャーと鳴いてみせる黒猫に、ハボックはやれやれとため息をついた。 獣人族。 かつてこのアメストリスにはそう呼ばれた種族がいた。人間と変わらぬ外見を持ちながら、その能力は人間を遙かに凌駕した一族だった。そしてなにより特徴的だったのは彼らに動物の姿を模す力があったことだ。犬や猫だけでなく鷹や狼などその種類は多岐にわたり、そのどれもが美しかった。頭脳の優れた者、運動能力に秀でた者、得意分野は個によって違っていたが、彼らはただ一人の例外もなく優秀な種族であり、アメストリスの発展に貢献してきた。 だが。 優秀な者があればそれを妬む者が現れるのが世の中の常だ。獣人族ではないただの「人間」達は、彼らより優秀な種である獣人族を畏れ迫害した。罪をでっち上げて拘束し、ろくな裁判も行わないままその命を奪った。もともと種としての生殖能力が低かった獣人族は瞬く間にその数を減らし、半世紀も経たないうちに絶滅したと思われていた。 しかし、そんな迫害の中、追求を逃れた獣人族が僅かながらに存在した。素性を隠して人間と交わり生き延びてきた彼らの遺伝子は、持ち主の中で静かに眠っているのが常だった。ところが最近、突然獣人族としての特徴──獣人化──が表に出てくる者が現れた。アメストリスを支配する人間達は再び獣人族がその数を増やし、かつて自分達がそうしたように人間という種を滅ぼそうとするのではという妄想にとりつかれた。「発症」した獣人族の末裔は見つかれば即研究所と呼ばれる収容施設に送られ、二度と世の中に出てくることはなかった。 |
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