そういう人々  第十六章


「まったく、本当に忌々しい体だ」
 夜になって家に戻ったロイはシャワーを浴びて浴室から出てくる。濡れた髪をタオルで拭きながら、やれやれとソファーに腰を下ろした。
 結局今日も自分の意志で猫から戻ることは出来なかった。時間切れでホークアイに見つかる前にとハボックに頭から水をかけられた事を思い出して、ロイは思い切り顔を顰めた。
「まったく、なんて乱暴な奴だ。あと五分も頑張れば元に戻れたというのに」
 本当はとてもそうは思えなかったが、頭から水をかけられた事が悔しくてロイは唸るように言う。くそうと呟いてロイは己の白くて指の細い手をしげしげと見つめた。
「いったいどういうカラクリなんだろう」
 等価交換を真髄とする錬金術師でる自分としては正直この変身は受け入れ難い。それでも現実として突きつけられている以上否定することも出来ず、ロイはウーッと低く唸った。
「それにしても他の獣人族はどうしているんだろう」
 確かにハボックが言うとおり見つかれば即研究所送りの運命が待っている事もあり、今まで獣人族が近くにいたという話は聞いたことがない。急に姿を見かけなくなったという話題もないから、少なくともこのイーストシティに獣人族はいないのかもしれなかった。
「それとも上手いこと正体を隠しているのか?」
 ロイだってヒューズとハボックに知られているとはいえ、それ以外は誰にも知られずこうして過ごしている。だったらロイ以外にもそうやって暮らしている獣人族がいないとも言えなかった。
「何とか集めることは出来ないものだろうか」
 昼間ハボックに言ったことは苦し紛れの冗談ではない。実際問題として獣人族を上手く組織に活用出来れば、アメストリスにとってプラスになりこそすれマイナスにはならない筈だった。
「ヒューズに持ちかけてみるか」
 ハボックは他の獣人族に心当たりはないようだが、ヒューズなら誰か知っているかもしれない。他の獣人族だって正体を隠して過ごさなければいけない今の状況が改善されるというなら、きっと協力してくれるはずだ。
「よし、明日にでも聞いてみることにして……今日はもう休むか」
 ロイは「ふああ」と大きな欠伸をしながら立ち上がる。
「他の獣人族か……」
 もしいるなら会ってみたい。不意にそんな考えがロイの頭に浮かぶ。会う時が来たとしてその獣人族は一体どんな獣の姿をしているのだろう。
「鳥だったら少し羨ましいな。大空を飛べたならさぞかし気持ちがいいだろうに」
 高い空から見下ろす地上はどんな景色なのだろうか。そんなことを考えているうち、ベッドに潜り込んだロイはいつの間にか眠ってしまった。


「ああ、その通りに手配してくれ」
 ボウカーは電話の相手にそう言うと受話器を置く。書類の続きを書こうとペンを取った時、ドンドンと叩く音と同時に乱暴に執務室の扉が開いた。
「中佐っ、大変ですッ」
「何事だ、騒がしいぞ」
 入室の許可も得ずに飛び込んできた副官に、ボウカーは不愉快そうに顔を顰めたもののその尋常でない様子に咎めるよりも先に問い質す。そうすれば青い顔をした副官が答えた。
「クレイトン准尉が……ッ、准尉が……ッッ」
「クレイトンがどうした。落ち着いて説明せんか!」
 鋭い声に副官は鞭打たれたようにハッとして背を伸ばす。見つめてくるボウカーの視線を受け止めて一、二度息を吸っては吐くとゆっくりと口を開いた。
「クレイトン准尉が獣人族の症状を発症して研究所に送られました」
「なんだと?」
 その言葉を聞いてボウカーは弾かれたように立ち上がる。暫くの間副官の顔を食い入るように見つめていたが、やがてドサリと腰を下ろした。
「そうか」
 低く呟いてボウカーはそっと目を閉じる。これからが楽しみだった優秀な部下の顔を思い出してそっと息を吐き出した。
「残念だ」
「中佐」
 縋るように見つめてくる副官を、ボウカーは目を開いて見つめ返す。
「助けてやることは出来ないのでしょうか」
「無理を言うな、大尉。獣人族と判った以上どんなに優秀な者でも研究所行きは免れん。それがこの国のルールだ。ルールを破れば秩序を守れなくなる。准尉には可哀想だが仕方ない」
「しかし、先日子供が産まれたばかりで……ッ」
 悔しそうに言う副官の言葉を聞いて、ボウカーは眉を寄せた。
「子供か。その子を軍病院に隔離するよう手配しろ」
「中佐っ?」
「准尉の血を引く子なら獣人族である可能性が高い。野放しには出来ん。即刻隔離するんだ」
 上官の言葉に目を見開いた大尉が唇を噛み締める。
「夫が研究所送りになった上、子供まで取り上げるんですか……」
「獣人族は危険因子だ。情けをかけることは出来ない。それはお前もよく知っているだろう?」
 そう言われてハッとしてボウカーを見た大尉はギュッと手を握り締めた。
「すぐ、隔離の手配をします」
「頼む」
 言って敬礼する副官に向かってボウカーが頷く。扉の向こうに副官の姿が消えると、ボウカーは深いため息をついた。


「大佐っ、聞きましたかっ?」
 ノックもなしに開いた扉から飛び込んできたハボックをロイは書類を書いていた手を止めて睨む。咎めようとした言葉をロイが口にするより早く、ハボックが言った。
「獣人族の症例を発症した者が研究所に送られたっス」
「なんだって」
 ロイは驚きのあまり飛び上がるように立ち上がる。机に手をついて身を乗り出してくるロイを見下ろして、ハボックが言った。
「ボウカー中佐の部下の准尉だそうです。生まれたばかりの子供は軍病院に隔離されたって」
「子供も発症したのか?」
「いいえ、予防措置だそうですが、もしかしたらそのまま────」
 最後まで言葉に出来ず口ごもるハボックにロイは目を見開く。ドサリと椅子に体を戻すロイを見下ろしてハボックは言った。
「大佐、気をつけてください。万一大佐がそうだとバレたら幾ら大佐でも即刻研究所送りっス」
「子供まで隔離されるくらいだからな、容赦なしだ」
 ロイは椅子に沈み込むようにして呻く。
「くそっ、冗談じゃないぞ。早くこの国の仕組みを変えんことにはおちおち眠ってもいられん」
「とにかくうっかり猫にならないでくださいよ」
「判ってる。研究所送りはごめんだ」
 ロイは唸るように言ってガリガリと頭を掻いた。


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