そういう人々  第十四章


「おはようございます、大佐」
 コンコンとノックをした後、ハボックとしては一呼吸待ってから扉を開ける。それでもジロリと睨んできたロイを見返せば、ロイはなにも言わずにため息をついた。
「なんか疲れてるっスね。────まさか夜出かけたりしてないでしょうね……?」
 くしゃみ一つで猫に変わってしまう危ない体のくせに一人で出かけないで欲しいと言うハボックに、ロイは眉を顰めながらも答えた。
「そうじゃない。ちょっと色々大変だったんだ」
 夕べ猫の姿で高い棚の上の隙間に上ったロイは、その場でうっかり居眠りしてしまい人間の姿に戻ってしまった。結局そのままでは降りられず、次にくしゃみが出るまでの三十分狭い隙間で無駄な悪足掻きをしたせいで、折角シャワーを浴びたのに埃塗れになるは体は痛くなるはで散々だったのだ。
「アンタって意外とぬけてますよね」
 それを聞いてハボックが言えばロイがムッと眉を寄せる。
「中佐が言ったんスよ」
 ロイが何か言う前にハボックは言って、それ以上ロイの機嫌を損ねる前にと手にした書類を差し出した。
「一時間したら会議っスから。それまで猫から戻る練習しときましょうか」
「またやるのか?」
「出来るようになるまでは毎日特訓っス」
「なにも朝一番でやらなくてもいいだろう?」
「朝一番の方が元気も集中力もあるっしょ」
 そう言って胡椒の小瓶を取り出すハボックに、ロイが情けなく眉を下げる。
「どうして私がこんな目に遭わねばならんのだ」
「つか、なんでアンタ、自分の意志で猫になったり元に戻ったり出来ないんスかね」
 心底不思議そうに言うハボックを、ロイは驚いて見上げた。
「獣人族って、自分で姿を変えられる筈っしょ?」
「そんなこと誰が言ったんだ」
「────なんかで読んだことがあるっス」
「デマだな」
 ちょっと考えてから答えるハボックにロイは腕を組んできっぱりと言う。偉そうに椅子に背を預けてなにやら持論を()とうとするロイの鼻先に、ハボックはパッパッと胡椒を振りかけた。
「ハァクションッッ!!」
 途端にくしゃみと共にロイは猫の姿になってしまう。肉球のついた手を見つめてブルブルと震えたロイはキッとハボックを睨み上げた。
「なにをするッ!」
「グチャグチャ言う暇があるならさっさと練習してください」
「少しくらい私の話を聞いたっていいだろうッ?」
「大佐」
 キーッと頭から湯気を上げる黒猫にハボックはため息をつく。
「実際問題として言っても仕方のない事を主張するより、好きな時に猫になって好きな時に戻れるようになった方がいいと思わないっスか?」
 猫は猫なりに便利でしょう?と言われてフムと考え込むロイにハボックは続けた。
「とにかく最善を尽くすべきっス。くしゃみ一つで猫になるアンタの体質が変えられないなら、せめて自力で戻れるようにならないと。自分以外の何かに自分の運命を左右されるなんてアンタのプライドが赦さないんじゃないんですか?」
「それは確かにそうだが」
「頑張ってください、焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐!せーのっ」
「あ、ああ」
 にっこりと笑ってかけ声をかけてくるハボックにつられるように、ロイは狭い猫の額に皺を寄せて一生懸命元に戻るように念じ始めたのだった。


 書類にサインを認めてボウカーはハアとため息をつく。そのどこか物憂げな様子に、書類を纏めていた副官が首を傾げた。
「どうかなさいましたか?中佐」
「……いや、なんでもない」
 尋ねる言葉にボウカーは首を振って答える。上官がこんな風に言う時には追求しないに限ると、副官はそれ以上はなにも言わずに纏めた書類を持って部屋を出ていった。
「……いかんな」
 パタンと閉じた扉を見てボウカーは呟く。ふと手元のメモを見ればいつの間に描いていたのか、スラリとした黒猫の絵を見てボウカーはため息をついた。
「いかん。仕事に集中できん」
 猫好きのボウカー、やっと妻の了解を得て飼うための猫を探していた矢先出逢った黒猫が忘れられなくなっていた。
「まさしく理想の猫だ、あの子は……ッ」
 ボウカーは大きな手を握り締めて唸る。小さい頃から猫が好きで子供の頃は何匹も猫を飼っていたが、こんなに惚れ込んだ猫は初めてだった。
「ハボック少尉の猫だとはな……。譲ってくれと言っても譲ってはくれんだろうし」
 とても可愛がっている様子のハボックを思い出してボウカーは唸る。気がつけばまたメモの端に猫を描いてしまっていて、眉を寄せたボウカーはふと思い浮かんだ考えにパッと顔を輝かせた。
「そうだ、司令部で飼わせればいいんだ。どうせ日中は狭いアパートに一人置き去りにされているんだろうし……おお、可哀想に……っ」
 狭いアパートに置き去りにされた黒猫の姿を勝手に想像してボウカーは呟く。いい考えが浮かんだと、ボウカーはヨシと頷いた。
「早速ハボック少尉にそう言って猫を連れてこさせなくては!」
 ボウカーが言ってガタンと椅子を蹴立てるようにして立ち上がるのとほぼ同時に、ノックの音が聞こえる。出鼻を挫くようなノックに、ボウカーはムッとしながらも答えた。
「中佐、会議のお時間です」
「──判った」
 そう告げる副官にボウカーは渋々と答えると、書類を取り上げ部屋を出ていった。


 会議室に向かって歩いていたボウカーは、少し先の角を横切る二人連れにハッとする。そのうちの一人がハボックだと判れば、丁度いいとばかりに足を早めた。ハボックを引き留めようと声をかける一瞬早く、ハボックと一緒に歩いていた人物が口を開いた。
「まったく、猫なんてこの世からいなくなればいいんだっ」
 その言葉にボウカーは目を見開く。隣を歩くハボックに、ロイは忌々しそうに言った。
「動物が猿ばかりならこんな思いはしなくて済んだんだ。猫なんて大嫌いだッ」
「まあまあ、大佐、落ち着いて」
 苦笑して宥めるハボックに向かって猫の悪口を並べ立てるロイを、ボウカーは足を止めて見送る。
「猫を悪く言うなんて……やはり錬金術師など碌なものじゃないッ」
 ボウカーは低く唸るとクルリと二人に背を向け、会議室に向かって歩いていった。


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