| そういう人々 第十三章 |
| 『よお、少尉。調子はどうよ』 疲れきって戻ってきたアパートの扉を開けた途端鳴り響く電話の音に、嫌々ながら受話器を取ったハボックの耳にヒューズの陽気な声が飛び込んでくる。ハボックは思い切り顔を顰めて答えた。 「もう最悪っス」 『────なんだよ、まさかロイの正体がバレたとか言うんじゃないだろうな』 不安を滲ませたヒューズの声にハボックはため息をつく。 「いっそバレちまった方がオレの精神衛生上はいい気がしますけど」 『おい』 低い凄みのある声にハボックはため息とともに言った。 「大丈夫、今んところバラす気はないっスから」 『少尉』 「すんません、ちょっと飲みもん取ってきていいっスか?」 ハボックはそう言うとヒューズの返事を待たずに受話器を置く。冷蔵庫から缶ビールを出しそれを手にソファーに腰を下ろした。 「お待たせしました」 受話器を肩と耳とで挟んで、プシュッと缶を開けながらハボックは言う。ゴクゴクと半分ほどを一気に飲んでハアとため息をつけば、受話器から半ば呆れたような声が聞こえた。 『お前、上官をなんだと思ってるんだ』 「仕方ないっしょ。たった今帰ってきて滅茶苦茶疲れてるんスから」 多少は悪いと思いつつハボックはそう答える。そうすればヒューズはそれ以上責める言葉を口にはしないでくれた。 『で?なにがあった?』 とは言え、聞かないわけにはいかないとヒューズが尋ねてくる。ハボックはビールを置くと煙草に火をつけて言った。 「中佐、あの人危機意識なさ過ぎっスよ」 ハボックは煙混じりのため息をつきながら答える。 「今日だって猫の姿のまま部屋の外に出ちまったんスよ?三十分たったら戻っちまうのに」 『おい、まさか誰かに見られたりしてないだろうな』 「一応。でも、ちょっとヤバかったっス」 そう言ってハボックが中庭での出来事を伝えれば、ヒューズが低く呻いた。 『アイツは昔っからそういうところがあるんだよ。頭がいいいくせに抜けてるというか……。まあ、だからお前にサポートを頼んだんだがな』 「サポートしきれねぇっス」 『少尉』 ハボックがうんざりして言えばヒューズの宥めるような声が聞こえる。不満を表すようにグビリと音を立ててビールを喉に流し込んでハボックは言った。 「とにかくあのボウカー中佐がヤバいっスよ。すっげぇご執心で、顔あわせたら絶対抱かせろって言われるっス」 『なんかヤラシイ言い方だな』 大事な話の最中ではあるものの、ヒューズがクッと笑って言う。ハボックは「ああ」と頷いて答えた。 「大佐も誤解してホテルで喚いてました。“なんであんな男に抱かれなければならないんだ”って」 『マジかよ』 ブハッとヒューズの笑い声がハボックの耳を打つ。ハボックが少し受話器を耳から離して待てば、一頻り笑ったヒューズが真面目なトーンで言った。 『絶対ロイに近づけるなよ。ボウカーは錬金術師が嫌いなんだ。ロイがそうだと判れば躊躇なく研究所送りを申し出るだろう』 「判ってます」 ハボックは最初に会議室であった時のボウカーを思い浮かべながら頷く。いかにもたたき上げの軍人といったボウカーには錬金術師は相性が悪いだろう。 「大佐には自分の意志で猫の姿から元に戻る練習をして貰ってるところっス。それが出来るようになれば少しは危険も減ると思うんスけど」 『そうだな』 「中佐も少し言ってやってくださいよ」 『あー、俺が言ってもなぁ。まあ、ボウカー好みの猫でも探しておいてやるよ』 「大佐より美人の猫がいりゃいいっスけど。中佐、猫になった大佐見たことあります?」 ハボックは黒猫のロイを思い浮かべて言う。至極迷惑な話ではあるがボウカーが黒猫のロイにご執心なのも頷けるほど、黒猫姿のロイは優美で可愛らしいとハボックは言った。 『獣人族の獣姿は例外なく美しいっていうからな。まあ、ともかく』 くれぐれもよろしく頼むと念押しすると、ヒューズからの電話が切れる。ハボックはやれやれとため息をつくと受話器を戻した。 「よろしく頼まれてもなぁ」 くしゃみ一発で猫になってしまう体質を考えると不安が拭い切れない。 「ともかく自力で戻れる訓練するしかないか」 ダガーの的になるのはまっぴらご免だ。ハボックはボリボリと頭を掻くと、せめて今日の疲れを洗い流すべく浴室へと入っていった。 「ハアックションッ!」 シャワーを浴びてさっぱりしたところで本を読もうとソファーに座ったロイは、一つ大きなくしゃみをする。慌てて口元を押さえた手の可愛らしい肉球を見て、ロイはがっくりと肩を落とした。 「まったく、忌々しいったら」 この手ではページがめくれない。ロイは悔し紛れに長い尻尾でペシッと本を叩くとソファーから飛び降りた。ゆっくりとリビングを歩けば周りの家具がやけに大きく感じられる。飾り棚のガラスに映る己の姿を見て、ロイはため息をついた。 「どうして猫なんだ」 せめて猿なら本も読めるのに、とロイは思う。獣の姿になった時なんの獣になるのか、一体なにを基準にして決まるのだろうと、ロイはガラスの前でクルリと一回転して全身を映しながら考えた。 「好きな動物……というわけでもないしな」 特別猫が好きなわけでもない。猫を飼っていたこともないし、今までの人生、猫と触れ合う機会もそう多くはなかった筈だ。 「獣人族か。考えてみれば不思議な種族だ」 一体どういうカラクリで人が全く形体の違う獣になれるのだろう。ロイはそう考えながらソファーを見上げる。少し腰を引いて力をためるとヒョイとソファーに飛び乗った。そのままの勢いでソファーの背に乗りそこから更にすぐ側に置いてあるルームランプのシェードに飛び移る。揺れる足場の上で絶妙なバランス感覚で体勢を整え、ひときわ高い棚の上へと飛び乗った。 「っと」 ふう、とため息をついてロイは棚の上に横たわる。前脚の上に顎を乗せ、目を閉じた。 「猫になれば深く考えずとも自然に動けるしな」 人から猫の姿になった時にも違和感は全くない。生まれた時から猫であるように動けるのがとても不思議だった。 「一体どういう仕組みなんだろう」 薄目を開けてロイは肉球がついた己の手を見つめる。そのままじっと見つめていると昼間の疲れが眠気を誘って、ロイはうとうととし始めた。そして三十分後。 「イタッ!」 狭い棚の上で体を起こそうとしてロイは強かに打ちつけた頭を押さえる。 「しまった、こんなところで元に戻るとはっ」 ロイは今度は頭をぶつけないようにそろそろと身を起こしたが、どうやって降りたものかと眉を顰めた。 「─────くそう」 狭い隙間で降りようと四苦八苦したもののどうにもならずロイは忌々しげにため息をつく。 「くしゃみだ、くしゃみ!どうしてこういう時は出ないんだっ」 出て欲しいときには出ないくしゃみを待って、ロイはその後三十分も棚の上で苛々と過ごす羽目になった。 |
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