そういう人々  第十章


「えっ?中尉っ?」
「ど、どうするんだッ?」
 扉の外から聞こえてきた声に、ハボックとロイはギョッとして顔を見合わせる。ハボックがバッと勢いよく立ち上がって早口に言った。
「早く戻ってっ、大佐!」
「無茶言うなッ、戻れる訳ないだろう!」
「人間追い詰められれば何とかなるもんでしょ、早くッ!」
 そう言われてロイは必死に念じてみる。だが、焦るばかりで体は髪の毛一本元に戻る気配はなく、ロイはハボックを見上げて首を振った。
「無理だ、戻れん」
「戻れんって、アンタね」
「マスタング大佐?」
 焦る二人が早口に言葉を交わす間にも僅かに苛立ちを含んだホークアイの声が聞こえる。どうしようとオロオロしながら答えられずにいれば、更にホークアイが言った。
「どうかされましたか?大佐────入ります」
 その声と同時にノブが回る。咄嗟にハボックがロイの首根っこを掴み、ゆっくりと開く扉に背を向けて庇うようにロイの体を腕に抱き込んだ時。
 ボンッ!
 白い煙と共にハボックの腕の中のロイの重みが増して、ハボックは堪らず床に倒れ込んだ。
「────なにをなさってるんです?」
 もつれ合うようにして床にヘタり込んでいる二人を見おろして訝しげに眉を顰めるホークアイに。
「いや、ちょっと捜し物を」
「あはは、どこに行っちゃったんスかね」
 疲れきった笑みを浮かべて答える二人だった。


「あー、疲れた」
 ロイは椅子に沈み込んでそう呟く。こんなに激しい疲労を感じたのは、これまでの人生で一度たりとてなかった。
「大体自分の意志で獣の姿になったり人の姿に戻ったりしろなんて、無茶に決まってるんだ。勝手なこと言いやがって、あの馬鹿少尉」
 ロイは顔に似合わぬ汚い言葉でハボックを罵る。
「私だって好きでこんなことになった訳じゃないんだ」
 正直自分に獣人族の血が流れているなど考えたこともなかった。両親は勿論、数代遡った親族の中にも獣人族がいたなど聞いたことはなく、ロイはどうして自分がと運命を呪わずにはいられなかった。
「獣人族か」
 ロイは行儀悪く軍靴を履いた足を机の上に投げ上げ、腹の上で手を組んで呟く。かつてそんな種族がいたことは知っていたが、それは単なる知識の一部でしかなく彼らがどんな種族でどんな運命を辿ったか、突き詰めて考えたことは一度もなかった。
「ふむ」
 一度きちんと調べてみたら何か役に立つことがあるかもしれない。ロイが目を閉じてそう考えたとき、ガチャリと執務室の扉が開いた。
「大佐、書類出来て────って、アンタなに寝てんスか」
「寝てない」
 責めるような声にロイは答えて目を開ける。
「それよりお前、扉を開ける前にノックをしろ、ノックを」
「ニャンコ大佐になってたら困りますもんね」
 言えば途端にそう返してくる部下を睨むロイにハボックが言った。
「寝てなくてもサボってたっしょ?書類、終わってないじゃないっスか」
「サボってない、考えごとをしてたんだ」
 ロイはそう言いながら机の上に投げ出していた足をおろす。机に肘をついていかにも嫌そうに書類をめくるロイにハボックは尋ねた。
「考えごと?なにを?」
「獣人族のことについて調べたら何か対処の方法が判るかもしれんと思ってな」
「ああ」
 頷いたハボックは書類の山に手を置いて言う。
「だったらオレが資料集めておいてあげますから、この書類、さっさと処理してください」
 言えば不服そうに見上げてくる黒曜石にハボックはきっぱりと言った。
「今の優先事項は書類の処理っス。アンタに資料集めなんてする時間の余裕はねぇ。今夜はチャリティパーティーに出るっスからね、サボらずちゃっちゃと片づけて下さい」
 それだけ言うとロイに反論する暇を与えずハボックは執務室を出ていく。ロイは忌々しげに閉じた扉を睨むと書類の山に視線を移した。
「まったく、猫使いが荒いぞ」
 そう呟いてしまってからハアとため息を零して、ロイは仕方なしに書類に手を伸ばした。


「中佐、そろそろお出になりませんと」
「ん?ああ、今夜はチャリティパーティーだったな」
 促す副官の大尉の声にボウカーは書いていた書類から顔を上げる。急いで目を通すと最後にサインを認めて決済済みの箱に放り込んで立ち上がった。
「車は玄関に回してあります」
「うむ」
 頷いてボウカーは執務室を出る。足早に玄関に出ると用意された車に乗り込んだ。
「ふぅ」
 シートに背を預けて目を閉じる。そうすれば昼間中庭で見かけた黒猫のことが頭に浮かんだ。
「美人だった」
「えっ?なにか仰いましたか、サー」
 無意識に呟いた言葉に運転する警備兵から声がかかって、ボウカーは薄目を開け煩そうに手を振る。警備兵が運転に集中するのを確認して、ボウカーは再び目を閉じた。
(あんな美人の猫がいるとは)
 ボウカーはそう思いながら昼間の黒猫を脳裏に思い描く。しなやかな体、緩やかに伸びた尻尾、艶やかな毛並み、そしてなにより猫にしては珍しい真っ黒な瞳を思い描けば自然ボウカーの口元が笑みに崩れた。
 あまり公にはしていないが、実はボウカーは猫好きだ。猫が大好きで大好きで、犬好きの妻を何とか説得して漸く猫を飼う許しを得、今は好みの子を探している真っ最中だった。
(ハボック少尉とか言っていたな)
 ボウカーが中庭で見つけた猫を自分のものだと言って掻っ攫っていった尉官を思い出して、ボウカーは眉を顰める。大柄なハボックの腕に抱かれた黒猫は余計に小さく可憐に思えて、ボウカーはため息をついた。
(あんな大男にあの猫は勿体無さすぎる)
 下手をしたら潰してしまいそうではないか。自分の方が余程あの猫に似合っている。
(やはりあの時返すべきではなかった。あの猫もきっと私と一緒にいたかったに違いない)
 なにを言おうとあのまま連れていってしまえばよかった。ボウカーは可愛い女の子に恋する少年のように勝手なことを考えながら車の揺れに身を任せていた。


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