第九章


 穏やかな風が吹き抜ける庭をロイは今日も彷徨う。以前は病気の薔薇がないか、水は足りているか、そんな事を考えながら歩いていたロイだったが、今では薔薇の海の中に佇む長身を探すばかりになっていた。白い首筋に刻まれていた痕は殆んど判らないくらい薄くなっているにも拘らず、そこから湧きあがる熱は日に日に強くなっていく様な気がする。ロイがその日何度目になるか判らない溜息を零した時、この数日間待ち望んでいた声がロイの耳に届いた。
「こんにちは、ロイ」
「───ッ!」
 柔らかな声に弾かれたように振り向けば空色の瞳がロイを見つめていた。その瞳を食い入るように見返したロイの瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。震える自分の体を抱き締めて俯いてしまったロイに、ハボックは驚いて手を伸ばした。
「ロイっ?どうしたんスか?もしかして驚かせちゃいました?」
 ロイの腕を掴んで心配そうにハボックが聞く。ロイはその声に俯けていた顔を上げるとハボックを見た。
「どうしてもっと早く来てくれなかった?」
「ロイ?」
「ずっと待ってたのに……ッ」
 叫ぶように言ってロイはハボックの胸に縋りつく。ハボックは一瞬大きく見開いた空色の瞳をスッと細めて言った。
「でもオレ、薔薇が枯れる頃に来るって言ったっスよ?」
「判ってる。だから私は毎日毎日早く薔薇が枯れる事ばかり願って……」
「アンタの大事な薔薇なのに」
「それでもッ!」
 揶揄するように笑いを含んだ声で言うハボックにロイは顔を上げて言う。
「…………会いたかったんだ…」
 切なくそう告げたロイの瞳から新たな涙の滴が零れた。ハボックは優しい笑みを浮かべるとロイの涙を指先で拭う。ひんやりとした指に触れられた途端背筋を何かが走り抜けて、ロイはゾクリと体を震わせた。そんなロイを薄っすらと笑って見下ろしていたハボックがロイをそっと引き寄せる。
「オレも……会いたかったっス。でも、迷惑かと思って……。アンタから貰った薔薇、大事にしなくちゃって世話しながら、どうしてなかなか枯れないんだろうって」
「ハボック……」
 薔薇が枯れる事を願っていたのが自分だけではなかったのだと知り、ロイの胸に温かいものが広がる。
「ロイ……」
 薔薇の香りの中、ロイは嬉しそうに微笑むとハボックの胸に頬を寄せた。

「ヒューズ様」
 迎え入れた執事にコートを預けながらヒューズは足早に屋敷の奥へと歩いていく。辺りを見回しながら尋ねた。
「ロイは?」
「庭におられると思います」
 執事の言葉に頷いて、ヒューズは庭へと出た。咲き誇る薔薇を見渡してロイの姿を見つけたヒューズは、そちらへ行こうとしてロイが一人出ない事に気付いた。
「誰だ?」
 陽の光に金髪を輝かせて立つ長身は見た事のない男だ。ロイが男に身を寄せるのを見て、ヒューズの瞳が驚きに大きく見開かれた。


2009/10/01



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