第十二章


「立ち話もなんスからこっちへどうぞ」
 ハボックはヒューズの鋭い視線もものともせずにこやかに笑って言う。ヒューズの返事を待たずにホールの奥へ進むと、いくつか並んだ扉の一つを開けた。その中へ背の高い姿が消えていくのを見ていたヒューズは、少し迷ったものの後を追って扉に向かう。扉のところから中を見れば、ハボックが戸棚を開けながら言うのが聞こえた。
「生憎コーヒーだの紅茶だのの類はないんスよ。ワインでいいっスか?」
「いらん。おしゃべりしにきた訳じゃない」
「ふふ……つれないっスね」
 冷たいヒューズの口調すら気にした様子もなく、ハボックはグラスにワインを注ぐとそれを手に部屋の中央に設えられたソファーに腰を下ろした。促すような視線にヒューズは部屋に足を踏み入れる。ハボックの向かいにドサリと腰を下ろすと目の前の男をじっと見つめた。
(二十四、五か?身なりもきちんとしてるし、特におかしな素振りを見せる訳でもない。でも)
 笑みを浮かべる空色の瞳を見ていると果てしない奈落に引き込まれるような気がする。この屋敷を包む重く沈んだ空気と相まって恐怖が沸き上がってくるのを感じたヒューズは軽く舌打ちした。
「おしゃべりしにきたんじゃないなら、今日はどういう用件で?」
 そんなヒューズを見つめてハボックが尋ねる。ヒューズはグッと顎を引いてハボックを睨んだ。
「ロイに近づくな」
 そう言えばハボックがピクリと眉を跳ね上げる。手にしたグラスに口を付けながら言った。
「それはロイが言ったんスか?近づいて欲しくないからアンタにそう言ってきてくれ、と?」
「違う。ここへ来たのは俺一人の考えだ」
「じゃあオレがロイに会いに行くのはなんの問題もないっスね」
 その言葉にヒューズが乱暴な仕草で立ち上がる。
「俺が言ったことが判らなかったのか?ロイに近づくなと言ったんだ」
「どうしてっスか?」
 そう問い返されてヒューズは一瞬言葉に詰まった。この違和感と恐怖を当の本人にどう伝えるというのだ。ヒューズはグラスを片手に見上げてくる空色の瞳を見返して言った。
「じゃあ聞くが、一体なんの目的でロイに近づく?」
「魅力的な人とお近づきになりたいと思うのは極普通のことじゃないんスか?」
 言ってハボックが笑う。だがその笑顔にすら底知れぬ何かを感じて、ヒューズは思わず息を飲んだ。
「……お前、何者だ?」
「この間お会いした時名乗りませんでしたっけ?」
 そう言いながらハボックがゆっくりと立ち上がる。ハッとしたヒューズは、次の瞬間テーブルを挟んで向こう側にいた筈のハボックがすぐ傍らに立っている事に気づいてギクリとした。
「な……っ?」
 恐る恐る首を巡らせばすぐそこに笑みを浮かべたハボックの顔。
「ロイがオレを拒んでないのならアンタには関係ないでしょう?これ以上首を突っ込むとどうなっても知らないっスよ?」
「……俺を脅す気か?」
「警告してるんスよ」
 そう言ったハボックの顔から笑みが消える。身をかわす暇もなく首筋に痛みが走ってヒューズはよろよろと後ずさった。
「貴様…ッ」
 無言で見つめてくる空色から逃れるようにヒューズは足を踏み出す。倒れそうになって咄嗟に棚に縋りついたヒューズはその上に置かれた写真を見て目を見開いた。
「これは…っ?!」
 写真の中の男と背後に立つ男を見比べようとして、だがヒューズはそう出来ぬまま意識を失ったのだった。


2010/02/16


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