深淵に偲ぶ恋  第四章


「ん……」
 寝返りをうった拍子に肩が出て、ロイはブランケットを引き上げる。もぞもぞと潜り込んでそのまま睡魔に身を任せてしまいそうになったロイは、ハッとして目を開けた。
 ガバリと体を起こし、部屋の中を見る。見慣れないその部屋に数度瞬いてから、ロイは再びバタリと横になった。
「そうだった、アメストリスに来てたんだった」
 そう呟いてロイはホッと息を吐く。他国であるにも関わらず久しぶりにゆっくりと眠れた事に気づいて、ロイは苦笑した。
「ん……起きるかな」
 このまま二度寝を決め込むわけにはいかないだろう。うーんと伸びをしたロイは、枕元の時計を見て伸びをしたままの格好で固まってしまった。
「十一時?時計が止まってるのか?」
 ロイはそう呟いて枕の下に突っ込んでいた懐中時計を引っ張り出す。パチンと蓋を開けて文字盤の針が同じ時間を指しているのを見たロイは、ベッドから飛び降りた。
「嘘だろうッ?私としたことが寝過ごすなんてっ!」
 今までこんな事など一度もなかった。いつだって目覚ましなしで六時には目が覚めていたというのに。
 ロイはクローゼットを開けると白いシンプルなシャツと黒のスラックスを取り出す。手早く身につけ寝室の扉を開けると、窓辺に立つハボックの姿が目に入った。
 窓から射し込む光の中、佇むハボックの金髪が煌めく。鍛えられた体をスーツに包み込んだハボックの姿に吸い寄せられるように視線が向けば、ロイが出てきたことに気づいたハボックが振り向いた。
「おはようございます、殿下」
 そう言って笑みを浮かべるとハボックは窓の側を離れる。部屋の隅の電話に歩み寄ると受話器をとり二言三言話してからロイに向き合った。
「すぐ食事の用意が出来ますから」
 ハボックは食事を取るための小さいテーブルにクロスを広げてセッティングする。てきぱきと食事の用意を調える男を見て、ロイは言った。
「どうして起こしてくれなかったんだ?」
 責めるようなロイの口調にハボックが首を傾げる。
「夕べ、明日の朝はゆっくりしてくださいと申し上げましたから。それに」
 と、ハボックは続ける。
「オレが覗いたのも気づかないくらいぐっすり眠ってたっしょ?起こすの可哀想で」
 そう言われてロイは頬を染める。睨んでくる黒曜石に構わず届けられた食事の皿をテーブルに並べて、ハボックは言った。
「温かいうちにどうぞ。あ、でも殿下、猫舌みたいっスから少し冷めてた方がよかったっスかね」
 悪気はないのだろう、だがハボックの言葉にロイはムッと眉間に皺を寄せて乱暴な仕草でテーブルにつく。いただきますと呟いて熱々の卵料理を口に運んだ途端、「あつッ」と口元を押さえた。
「慌てなくても大丈夫っスよ。今日は午後からしか予定が入ってないっスから」
 笑いを押し殺した声でそう言う男をロイは思い切り睨む。それでも熱いものを食べるのが苦手なのは確かなので、ロイはフウフウと冷ましながらゆっくりと食べた。チラリとハボックを見れば、また窓辺から外を見ている。陽射しの中煙草を吸う横顔は思っていたよりずっと端正で、思わず見入ってしまったロイは慌てて視線をハボックから引き剥がした。
(何を見入ってるんだ、私は。たかだかSPに)
 そう思ったものの気がつけば視線がハボックに向いてしまう。もうこの際ハボックの事をよく観察しようと、ロイは食べる手を休めずにハボックを見た。
(意外と若いんだな、同じ年代かと思ったが……。二十四、五ぐらいか?)
(他のSPはアイツの部下のようだった。若くてもそれだけの腕があると言うことか)
 ロイ自身、若かろうが年寄りだろうが能力があればどんどん起用していく考えだ。暗殺事件の渦中にある己の護衛として抜擢されたのならそれなりの腕があるのだろう。
(逆に全く使いものにならなかったりしてな。もしくは)
 アメストリスまで暗殺者の手が伸びていて、ロイの命を守るはずのSPにまで手が回っていると言うことがないわけではない。
(もしそうなら一発だな)
 ロイはスープを掬ったスプーンを見ながら考える。幾らSPとはいえこんな風に食事の用意まで任せてしまうのはよくないかもしれない。カウィルから身の回りの世話をする者の一人も連れてこなかったのは間違いだったかもしれないとロイの頭をそんな考えが(よぎ)った時。
「毒なんて入ってないっスよ」
「ッ!」
 そう声が聞こえてロイはハッと顔を上げる。そうすればいつの間にかハボックの空色の瞳がロイを見ていた。
「オレが暗殺者の手先ならとっくに行動起こしてますって。そんな毒殺なんてまどろっこしいことせずにね」
 笑みを刷いた唇で見透かしたように言われればなんだか腹が立つ。ロイはハボックをジロリと睨むとプイと顔を背け、食事に集中した。
(どうして私の考えている事が判るんだ)
 ムッとしながらも、また少しすればハボックの事を見てしまう。その横顔をじっと見つめれば意外にも睫が長いことに気づいた。
(結構いい男なんだ。SPのくせに)
 SPなんて言うのは平凡で目立たない者がなるものだと思っていた。だが、ハボックの金髪と空色の瞳は自然と目が吸い寄せられてしまう。
(どういう男なんだろう)
 夕べも思ったことをロイは考える。これまでこんな風に誰かの事を考えたことなどないことに、ロイはまだ気づいていなかった。


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