| 深淵に偲ぶ恋 第二十三章 |
| ハボックとロイの後を追って男は通りを突き進んでいく。曲がり角では手近の人間を取っ捕まえて尋ねれば、二人が逃げた方向は面白いほど簡単に判った。 「ターゲットが目立つと楽でいい」 ロイは言わずもがなだがハボックもSPには不向きなほど目立つ男だ。本人たちが望まぬとも、周りは何かに追われるように足早に通り過ぎる二人をはっきりと覚えていた。 「そろそろ追いつきそうだ」 途中尋ねる度二人が通り過ぎた時間から間が近くなっている。二人の姿が視界に入ってくるのももうすぐだろう。男はその顔に酷薄な笑みを浮かべると足を早めた。 「あっ!」 「殿下?大丈夫っスか?」 足をもつれさせて倒れそうになったロイをハボックの力強い手が引き留める。うっすらと額に滲む汗を手の甲で拭って、ロイはハボックを見た。 「ごめん」 「いいえ、でも休んでる暇は────」 そう言いかけて背後を振り向いたハボックが、言葉を途切れさせて息を飲む。その視線の先を追ったロイの目が大きく見開かれた。 「ハボック」 「走って、殿下!」 言うと同時にハボックはロイの手を取り走り出す。チラリと後ろを振り返ったロイの視界の隅に、銃を手にした男がこちらに向かって走り出すのが見えた。 「いた」 漸く捜し求めた姿を目にして男はニヤリと笑う。男が気づいたのと同時に気づいたらしい二人が慌てて走り出すのを見て、男も二人に向かって走り出した。二人は角を曲がって水路沿いの狭い路地へと飛び込んでいく。その後を追って角を曲がろうとした男は、咄嗟に積んであった木箱の陰に身を隠した。そうすれば男が隠れた木箱の端を銃弾が抉る。そっと覗き見るとこちらに向かって銃を構えるハボックの向こう、ロイが一人で逃げていくのが見えた。 「フン、マスタング公一人逃がすつもりか?甘いな」 多少腕が立とうがSPなど大した障害ではない。男は身を隠した木箱の陰からのそりと立ち上がる。銃を持った手をだらりと下げたまま路地を歩き出せばハボックが空色の目を見開いた。 「止まれ!」 両手で構えた銃をピタリと男に合わせてハボックが怒鳴る。だが、男はそんな言葉など聞こえていないとでも言うように、真っ直ぐハボックに向かってきた。 「クソッ」 ハボックはチッと舌打ちすると男に向かって発砲する。だが、ハボックが撃った瞬間、男はスピードを上げてハボックに向かって走りだした。 「この……ッ」 向かってくる男にハボックは続けざまに銃を撃つ。数発が男の体を掠めたが、男はまるで躊躇する気配も見せず突進してきた。数メートルの距離まで近づいてきた男がタンッと地面を蹴る。それと同時に銃を持つ手とは反対の手にしたナイフを思い切り横に薙いだ。 「く……ッ」 「ッッ」 転がって銃弾をかわそうとするハボックの右肩を銃弾が掠める。ハボックは手近の酒樽を掴むと男に向かって投げつけた。飛んできた酒樽を男の銃が撃ち抜く。穴の開いた樽から酒が飛び散り、水路を流れる水音のする路地の中をアルコールの匂いが満たした。 「悪足掻きすんじゃねぇ」 男は低く告げると樽の向こうのハボックに向かって続けざまに銃を撃ち込む。それをギリギリのところでかわしたハボックだったが、その足が踏んだのは水路と路地とを隔てる 「う、わ……ッ」 グラリと体勢を崩したところへ男が容赦なく銃を撃ち込む。そうすればハボックの体はなす術なく水路へと落ちていった。 「他愛ない」 男は馬鹿にしたように呟くとハボックが落ちた水路を見下ろす。血の朱が広がる水面からハボックが上がってくる気配がないのを確かめるとククッと低く笑った。 「さあ、後はアンタだけだ、マスタング公」 男は楽しげに言うとロイが去った方角へと走り出した。 ハボックと別れたロイはできる限りの早さで通りを走っていく。散々に走って、もう心臓は早鐘のように鳴り響き今にもその働きをやめてしまうのではないかと思えた。 「はあ…ッ、ハッ……」 空気を取り込もうと必死に口を開けるが、必要な酸素を体の中に取り込めていないかのように苦しくて仕方ない。ロイの足は次第にスピードを緩め、仕舞にはもつれるようにして足を進めていた。 「くそ……ッ」 ロイは足を止めると辺りを見回す。このまま転びそうになりながら走るよりも、少し休んでから逃げた方がマシのように思えた。 「どこか……」 隠れられる場所はないだろうか。辺りを見回しながら歩いていたロイは、丁度通りかかった山積みの木箱の陰へ逃げ込むように潜り込む。そうして木箱に背を預けてズルズルと座り込むと、水路を流れる水音をに負けぬほど弾む息を必死になって整えようとした。 男はロイが走り去った方角へと歩きながら辺りを見回す。ロイの足ならまださほど遠くへは行っていないだろうと、通り過ぎる木箱や酒樽にまるで遊んでいるかのように銃を撃ち込んでいった。 「諦めておとなしく出てこい」 男は楽しげに言いながら次々と弾を撃ち込む。空になった弾倉を取り替えた銃の先を笑いながらペロリと舐めた。その時、水音に混じって荒い呼吸の音が聞こえる。その音を聞いた男の顔に、残忍な笑みが浮かんだ。 「い、行かないと……ッ」 暫くの間座り込んでいたロイは、そう呟いて木箱に縋るようにしてのろのろと立ち上がる。既に足は鉛のように重く、これ以上走れるのか自分でも判らなかった。それでもこれ以上ここに留まるわけにはいかない。そう思ったロイが隠れた木箱の陰から出ようとしたその時、ジャリと地面を踏む音と低い笑い声が聞こえた。俯けていた顔をゆっくりと上げたロイの目に銃を構えた男の姿が映る。 「鬼ごっこはもう終わりだ」 「ッ!!」 低く囁く男の銃がロイの眉間にピタリと向けられ、トリガーにかかった男の指に力が入った。 |
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