深淵に偲ぶ恋  第二章


「どうぞ、殿下」
 ハボックはそう言って手にしたキーで扉を開ける。ハボックに促されるまま中に入って、ロイはグルリと部屋を見回した。
「アメストリス滞在中はこちらのホテルが殿下のお住まいになります。警護にはオレの他にチェンとスレッジがつきますから」
 ハボックはそう言って一緒に入ってきた男二人を紹介する。ロイに視線を向けられて、男たちは軽く会釈すると部屋の外へ出た。
「滞在の間、殿下のお世話をする人間をカウィルからは」
「連れてきていない。私は一人で来たからな」
 皆まで言わせず言葉を引き取って答えるロイをハボックは驚いたように見る。王族であるにも関わらず身の回りの世話をする者を同行させていない事に驚きを示すハボックに、ロイは苦笑した。
「私に近しい者たちは国に残って暗殺計画に荷担した人物を調べてる。勿論彼らも適当な者をつけてくれようとしたが私がいらんと言ったんだ。いても面倒なだけだ」
 肩を竦めて言うロイをハボックはじっと見つめる。どうやらこの王子サマは人の好みが煩いらしく、気に入らない者を側に置くくらいなら自分なんでもした方がいいと考えるタイプらしいと察して、ハボックは言った。
「では、さしでがましいかもしれませんが、オレがやらせて頂きます」
 そう言われて驚いたように見つめてくる黒曜石にハボックは言った。
「別に着替えの手伝いなんて事はしませんよ。ここでは勝手が判らない事もあるでしょう?なんかあったらなんでもオレに言ってくださいってことっス」
「…………着替えの手伝いなんて普段からして貰ってない」
 ハボックの言葉にロイは眉を顰めて言う。そんなロイにハボックはクスリと笑った。
「持ってこられた荷物はそっちの寝室に運び込んであります。失礼かと思いましたがザッと中を改めさせて貰いました」
 そう言えばロイが明らかに不快そうな顔をする。
「妙なものが仕掛けられていたら困りますんで。アンタはこの国にとって大事なお客さんっスから、警護を担当する者として万に一つも間違いがないようにしたいんスよ」
 何でもない事のように平気な顔で言うハボックを、ロイは睨むように見つめていたがやがてフイと顔を逸らした。
「判った。私はお前の国にやっかいになる身だからな。やりやすいようにしたいい」
「ありがとうございます」
 僅かに眉を寄せて言う白い横顔にハボックは礼を言う。
「お疲れになったっしょ、今飲み物を運ばせますから夕食まで休んでください」
 そう言ってハボックが部屋を出ていくのを見送ると、ロイは窓辺に近づきカーテンの隙間から外を見た。
「結局カウィルにいる時とさほど変わらんということか」
 本当に信頼できる者以外に気を許す事はできない。警護担当のハボックですら本当に信頼できるかなど、まだ判りはしないのだ。
「せっかく国を出たのにな」
 飛行機の上から見下ろした時に感じたワクワクとした高揚感はどこかに消えてしまった。ロイはそっとため息をついてカーテンをギュッと握り締めた。


 少ししてハボックが飲み物を載せたワゴンを押して戻ってくる。ロイが窓際に立って外を見ている事に気づいて、ハボックは眉を顰めた。
「カーテン開けないでください。あんまり無闇に窓際に立たないで」
 言われてロイがハボックを振り向く。不快げな光を浮かべる黒曜石にハボックが言った。
「ここの警備は万全だし、ガラスは強化ガラスです。でも窓際に立つ癖は付けない方がいい。余所で同じ事した時、狙撃の危険がないとは言えないっスから」
 ハボックは言いながらソファーの前のテーブルにカップを置き紅茶を注ぐ。大きな手が器用にお茶の支度を整えるのを見ながらロイが言った。
「意外だな、今のSPはそういうこともするのか?」
「必要であればなんでもやるっスよ」
 ちょっぴり秘肉のこもる言葉にハボックはサラリと返す。「どうぞ」と進めれば、ロイが窓辺から離れてソファーに腰を下ろした。ロイはカップに手を伸ばし飲もうとして寄せた唇を反射的に離す。フウフウと一生懸命息を吹きかけて冷ます様に小さく笑みを零したハボックは、ワゴンを部屋の隅に寄せて言った。
「オレは部屋の入口んとこの小部屋にいます。なんかあったら呼んでください」
 そう言ってリビングを出ていこうとするハボックをロイが呼び止める。何か?と視線で問えばロイが言った。
「ここにいるんじゃないのか?」
「幾ら護衛っていっても四六時中側で見張られてたら落ち着かないっしょ?ここは一応安全っスから、オレはあっちにいます」
 ハボックはそう言って出ていってしまう。パタンと扉が閉まれば広い部屋に一人取り残されて、ロイはそっとため息をついた。


 気がつけば陽が落ちて窓の外は暗くなってきている。ロイが持ってきた本を読んでいるとパチンと音がして部屋の中が明るくなった。
「返事がないから眠っているのかと思ったら」
 いきなり部屋が明るくなって驚いて顔を上げたロイの目に、扉のところに佇むハボックの姿が入る。
「こんな薄暗いところで本を読んだら目が悪くなるっスよ」
 呆れたようにそう言われて、ロイは数度瞬いて言った。
「本に夢中で気づかなかった」
「アンタね」
 ため息混じりに言ってハボックはロイに近づく。ロイが手にした本を見下ろして尋ねた。
「そんなに夢中になるなんて、よほど面白い本なんスか?」
 そう尋ねてくるハボックにロイは手にした本を差し出す。受け取ると表紙を眺めパラパラとページをめくって、ハボックはロイに本を返した。
「すんません、オレには理解出来ないっス」
 本の内容もそんなに夢中になる理由も、と素直に感想を告げるハボックにロイはクスリと笑う。そのまま再び本を読もうとするロイにハボックは慌てて言った。
「本はその辺にして出かける準備をしてください。今夜は殿下の歓迎パーティっスから」
 そう言われてロイは眉を寄せて窓の外へと目を向ける。立ち上がろうとしないロイにハボックが促すように呼びかければ、ロイはため息をついて渋々と立ち上がった。
「歓迎パーティか……歓迎なんてしてないんじゃないのか?」
「殿下」
 窘めるように呼ぶ声にロイは苦笑して言った。
「悪かった。着替えてくるから待っててくれ」
「判りました」
 答えるハボックに頷いて、ロイは寝室に入って扉を閉めた。


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