深淵に偲ぶ恋  第一章


「王子さま、間もなく着陸態勢に入ります。シートベルトをお締めください」
「ああ」
 飛行機の小さな窓から外を眺めていたロイに乗務員の女性が声をかける。それに生返事を返してロイは段々と大きくなる地上の景色を見つめていた。母国の水や緑の多いそれとは異なる近代的なビル群が間近に迫れば否応なしに期待と興奮が高まる。ロイが楽しげな笑みを浮かべて窓の外を見ていると、焦れたような声が聞こえた。
「王子さま」
 その声に視線を向ければ、困ったような笑みを浮かべた女性乗務員と目が合う。ロイが肩を竦めてベルトを締めれば女性はホッとしたように笑って、自分も席についた。


 ロイはカウィル王国の王子であり第一王位継承者だ。小国ながら天然の資源に恵まれ、また様々な産業分野でも最先端の技術を誇っていることもあり、世界各国の中でも大きな発言権を有していた。現国王であるキング・ブラッドレイはかなりの高齢でありロイが王位を継ぐのも時間の問題と目されていたが、そんなロイが友好国であるアメストリスに向かう機上にあるのには訳があった。


「暗殺計画?」
 穏やかでない言葉に眉を顰めたハボックは机を挟んだ向こう側に座る上官の顔を見つめる。そうすればハクロは苦虫を噛み潰したような顔をして答えた。
「そうだ。カウィルは近年急速に発展した国だがその分反乱分子を多く内包してもいる。キング・ブラッドレイの唯一の後継者マスタング公の暗殺が計画されているという事実が明らかになったんだが、首謀者の中に国の中枢に関わる者がいて迂闊に手が出せないらしい」
「それで事実がはっきりするまで王子を避難させてくる訳っスか?随分と迷惑な話っスね」
 歯に衣着せぬ言い方でハボックが言えばハクロがため息をつく。
「仕方あるまい。我がアメストリスにとってカウィルは重要な取引国だ。嫌とは言えん」
 ハクロはそう言うと背の高い部下を見上げて続けた。
「この国にいる間にマスタング公に怪我なぞさせるわけにはいかん、暗殺など以ての外だ。そこで公が滞在中、お前を警護につけることに決まった」
 そこで一度切ってハクロはおもむろに立ち上がる。
「向こうの進捗具合にもよるが二、三ヶ月になるだろう。その間、一命を賭してマスタング公の警護にあたれ、いいな、ハボック」
「イエッサー!」
 さっきまでのあからさまに嫌そうな態度とは裏腹に、ハボックは見事なまでの敬礼をピッと返して部屋を出ていった。


 飛行機がゆったりと着陸態勢に入るのが見える。出迎える為に立ち上がったハクロが待合室を出ていくのに続いて、ハボックも部屋を出た。ハボックと同じように地味なスーツに身を包んだ男二人も後に続く。途中アメストリスの高官たちも列に加わり、ロイを出迎えるために駐機場へと出た。暫く待てば滑走路から誘導路を経て駐機場に入ってきた飛行機が目の前に姿を現す。ロイを乗せた専用機がゆっくりと止まり扉にタラップが横付けされた。
「さあ、マスタング公のお出ましだぞ」
 意気込むようなハクロの声にハボックの視線が専用機の扉に引き寄せられる。他の男たちも同じように見守る中、低く軋む音と共に扉が開いた。


「お疲れさまでした」
 にっこりと笑って言う女性乗務員に頷いてロイはシートベルトを外し立ち上がる。ずっと座っていた事で凝り固まった体を解すように動かして、指し示された扉へと向かった。
(アメストリスか)
 と、ロイは扉が開くのを待ちながら思う。ここへくれば安全とは言えないまでも少なくとも誰が敵で誰が味方か、疑心暗鬼の中過ごさなくても済むと言うだけで楽になるような気がした。
(まあ、だからといって気を抜くわけにもいかないだろうが)
 そう考えてロイが内心苦笑した時、ゆっくりと扉が開いた。少し湿気を含む、だがそれでも十分に爽やかな風がロイの黒髪を嬲って吹き抜ける。タラップの上に立ち出迎えの人々を見下ろしたロイの目に、一際背の高い姿が映った。なんとはなしに目が離せないままロイはタラップを降りる。間近まで近づけば男の瞳が夏空を映した空色と解った。アメストリスの高官たちが近づいてきてなにやら言うのに笑みを浮かべて頷いていたロイの前に、ハクロと名乗る男が空色の瞳の男を伴って立った。
「アメストリスへようこそ、マスタング公。アメストリス滞在中、身辺警護にあたるハボックです」
 そう言って紹介された男をロイは僅かに目を見開いて見つめた。


 タラップから降りてくるスラリと背筋の伸びた人物をハボックはじっと見つめる。警護用の資料の中に写真が入っていたからそれがマスタング公だというのはすぐに判った。だが。
(写真と全然印象が違う)
 顔かたちは写真のものと変わらない、男にしては線が細く白く整った顔立ちだ。
(そうか、瞳が違うんだ)
 女性と見紛うその顔を決して軟弱に見せない強い光を放つ黒曜石は写真では判らなかった。
(これがマスタング公)
 ハボックは歓迎の言葉を口にするハクロの声を聞きながらロイをじっと見つめる。こんなに見つめては不躾だろうと思いつつも、苛烈なほどの光をたたえる黒曜石から目を離すことが出来なかった。


「ハボックです。警護の関係上一緒にいる時間が長くなると思いますので、ご要望等ありましたらなんでも仰ってください」
「ああ、よろしく頼む」
 引き合わされるまま握手を交わしたハボックとロイは、その時既に芽吹き始めていた感情に全く気づいてはいなかった。


→ 第二章