| 深淵に偲ぶ恋 第十四章 |
| 「何か捜し物っスか?」 「えっ?あ、ああ……まあ、その、そうだ」 煩いほどの心臓の音に気を取られていたロイは、不意に聞こえた声にハッとして顔を上げる。いつの間にか図書館についていたらしく、ロイは曖昧に答えるとハボックの側から逃げるように背の高い書架へと歩み寄った。 「ええと……、あった、あれだ」 ズラッと並ぶ本の背表紙のタイトルを目で追って、ロイは目当ての本を探し出す。かなり大判の本を二冊片手に抱え、更にもう一冊書架の上の段にある本を取ろうと、ロイは腕を伸ばした。 「ん……取れん」 みっちりと隙間なく詰め込まれた本は、高い場所にあることもあって指先がかかる程度では抜き出すことが出来ない。爪先立ちで腕を精一杯伸ばし何とか抜き出そうと四苦八苦していると、背後に人の気配がして声が聞こえた。 「これ?取りますよ」 「えっ?」 聞こえた声に慌てて振り向けばハボックがすぐ後ろに立っている。狭い書架と書架の間の通路で、背後から腕を伸ばすハボックに圧し掛かられるような格好になって、ロイは背中に感じるハボックの体温に真っ赤になって書架に縋りついた。 「はい、どうぞ」 「あっ、ありがとうっ」 ロイは差し出された本を引っ手繰るようにして受け取る。本を両腕に抱えて慌てて側を離れると、ロイは本を探すふりをしながら必死にバクバクと音を立てる心臓を宥めようとした。 (な、なんでこんなにドキドキしてるんだっ、私はっ) 今までだってハボックと近くで接したことはある。だが、こんな風に心臓が高鳴った事などなくて、狼狽えれば狼狽えるほど心臓は猛スピードで血液を体中に送り出そうとするようだった。 「持ちますよ」 「ッッ!!」 その時、スッと伸びてきた手がロイが抱えている本を取り上げる。ハッとして見上げれば大きな手で本を持ったハボックがロイを見下ろしていた。 「まだ探すんでしょ?持ってますから探してください。高いところのは取るっスから」 「えっ、あ……いや、そのっ」 訳も判らず暴走する心臓をまだ宥めることすら出来ずにいるところにそんなことを言われて、ロイは益々狼狽えてしまう。しどろもどろでろくに返事を返せずにいるロイを、ハボックは不思議そうに見つめた。 「殿下?どうかしたっスか?なんか顔が紅いっスね。熱でもあるんじゃないっスか?」 「ッッッ!!!」 そんな事を言いながらハボックは長身を屈めるようにしてロイの額に己のそれをくっつける。その途端、ボッと火がついたように顔を真っ赤にしてロイはハボックの手から本を奪い取った。 「何でもないッ!本はこれで全部だからッ」 図書館という場所も忘れてロイは大声で言うと、靴音も荒く図書館の片隅に用意されている机へと向かう。バンッと乱暴に抱えた本を置き、ページをバラバラとめくった。本に目を通しながらもロイの全神経は背後から近づいてくるハボックへと向いている。コツコツと靴音がしたと思うと、ハボックはロイが座る机の角を挟んだ辺に椅子を引っ張ってきて座った。軽く息を吐き出す音に、ロイは顔を本に向けたままチラリと斜め前のハボックを見上げる。そうすれば火が点いていない煙草を咥えた唇が目に飛び込んできて、ロイは慌てて視線を本に戻した。 「ハボックさん」 その時足音が聞こえて司書の女性の声が聞こえる。ロイが聞き耳を立てていると、ハボックが苦笑混じりに答えた。 「火、つけてないっス」 最初にロイとここへ来た時、火気厳禁の図書室で煙草に火をつけてハボックはこっぴどく司書の女性に叱られた。それ以来何となく気安さが二人の間に生まれているようにロイには感じられた。 「うっかり点けないでくださいね。貴重な本がたくさんあるんですから」 「肝に銘じてあります。あんな怖い思いはもう沢山っスから」 「まあ!」 ニヤリと笑って言うハボックに司書の女性が目を吊り上げて見せる。次の瞬間クスクスと笑いあって、司書の女性は本に顔を向けたままのロイに向かって言った。 「殿下、お探しの本がありましたら遠慮なく声をおかけくださいね」 「ああ、ありがとう」 本から顔を上げずにロイが答えると、司書の女性は二人の側を離れて奥へと足を向ける。そっとハボックの顔を盗み見たロイは、その空色の瞳が女性の背を見送るように向けられているのを見て唇を噛んだ。 (私はなにを苛々してるんだ) 胸の中にもやもやとしたものを抱え込んで、ロイは困惑する。女性が親しげにハボックに声をかけるのが嫌でハボックの瞳が女性を見つめるのが嫌で、そんな訳の判らない感情を持て余して、ロイは全く内容が頭に入ってこないまま本のページをめくり続けた。 そうやって暫くの間無駄に本をめくり続けていたロイは、流石に嫌になって本を閉じる。フゥとため息をつくロイにハボックが言った。 「もう終わりっスか?」 「ああ」 結局何も頭に残らなかったと思いながらロイは答える。そうすればハボックがロイの前に本屋の袋を差し出した。 「じゃあ、これ」 「えっ?」 驚いて顔を上げたロイにハボックがにっこりと頷く。促されるように袋の中のものを取り出したロイは、その表紙を見て目を見開いた。 「これは」 「凱旋門のレリーフ、よく見たいって言ってたっしょ?だから」 袋の中から出てきた本は二冊あって、一冊は凱旋門のレリーフを、もう一冊は美術館の所蔵物を取り扱った本だった。ベスパで凱旋門の側を通り過ぎながらよく見られないと残念がったロイに、資料を探しておくとハボックが言っていたのをロイは思い出した。 「今日いなかったのはこれを探しに?あの時の事、覚えていてくれたんだ……」 「まあ、よかったら読んでみてください。あ、そっちの本、もういいなら返してくるっスよ」 ハボックはそう言うと図書館の本を手に取り元の場所へ返しにいく。 (ハボック、私は) (私は) ハボックの背を見つめながらロイは、ゆっくりと形を成していく己の感情に戸惑っていた。 |
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