| 幻想女神 第九章 |
| 「やっと出てきたか」 あられもない格好で飛び出してきたかと思えば、今度は待てど暮らせど一向に戻ってこないハボックが漸くダイニングに来たのを見てロイが言う。茹で蛸のように真っ赤になったハボックはよろよろと歩いてくると、ドサリと椅子に腰を下ろした。 「あっつー」 ハボックはそう呟いてバスローブの胸元をだらしなく開く。裾を持って長い脚がむき出しになるのも構わずパタパタと扇いでいるハボックにロイは思い切りため息をついた。 「お前、さっき私が言ったことを聞いていなかったのか?」 「だって暑いんスもん」 ハボックはそう言いながら胸元を更に開こうとする。その手をペシッと叩くと、ロイはスープの皿をハボックの前に置きながら言った。 「結構長風呂だったな。恥ずかしがってすぐ出てくるのかと思ったら」 「恥ずかしくてなかなか洗えなったんス」 ハボックはそう言うとロイが座るのを待って食事を始める。スープを口に運びながらため息をついた。 「自分の体なのにこんなに恥ずかしいって変っスよね」 「私もお前を見てこんな妙な気持ちになるとは思ってもみなかったぞ」 「大佐も恥ずかしい?」 「まあな」 ロイの答えにハボックが意外そうな顔をする。ジロリとその顔を睨めばハボックがペロリと舌を出した。 「だって大佐なら女の人の裸も見慣れたもんだろうなって」 「お前、私をどういう目で見てるんだ」 ハボックの言葉にロイは思わずヘタリ込みそうになる。 「私だってデートする女性全てとベッドインするわけじゃない」 会話を楽しんだからといってセックスもしたいと思うわけではない。ましてやハボックと付き合うようになってからというもの、デートはしてもセックスをした女性は皆無だった。 「でも、大佐とデートしたらセックスもしたいと思うんじゃないっスか?」 相手はアメストリスでも有名なあの焔の錬金術師だ。少しでも深くおつきあいしたいと思う女性だって多いのではないだろうか。ハボックが自覚のない嫉妬に胸をチクリと痛めながらそう言えばロイがニヤリと笑った。 「それはお前がいつもそう思っているということか?だったら遠慮はいらんな」 「えっ?べっ、別にそんな事言ってねぇじゃないっスかッ」 思いがけない方向に話を持っていかれてハボックは焦る。ワタワタと必死に言い訳しようとするハボックにほんの少し不満そうな顔をしたロイは、急いで食事を済ませてしまうと言った。 「ほら、くだらない事を言っていないでさっさと食え。少しでも早く休んだ方がいいだろう?」 「あ、だったら後片付けはオレがするっスから大佐、シャワー浴びてきちゃってください」 「いいのか?」 「その方が二人とも早く休めるっしょ?」 そう言われてロイは僅かに首を傾げる。それから頷いて言った。 「そうだな。だったらそうさせて貰おう」 そう言うロイにハボックがニコッと笑う。二人は手早く食事を済ませてしまうと、ロイはシャワーを浴びに、ハボックは食べ終えた食器を洗いにそれぞれ席を立った。 「やっぱ胸って邪魔……」 カチャカチャと食器を洗いながらハボックはそう呟く。それにやたらと肩が凝るのはこの重たい代物を胸にぶら下げているせいではないだろうか。 「今度からは安易にボインがいいなんて言わないようにしよう……」 思いがけずボインの不便さを実感して、そう呟くハボックだった。 「ハボック」 シャワーを浴びてさっぱりして出てくればソファーでうつらうつらしているハボックの姿が目に入る。ロイは無防備なその寝顔にクスリと笑ってその金髪に手を伸ばした。 「ハボック」 そう呼んで金色の髪をかき混ぜれば眠そうな目を開けたハボックがポヤンとしてロイを見上げる。 「たいさぁ…?」 やはり色々あって疲れていたのだろう。ロイが自分の事に気付いてくれた事で安心したのかもしれない。夢の国に半分足を突っ込みながら見上げてくる空色の瞳にロイは優しく笑った。 「そんな無防備な顔、私以外に見せるんじゃないぞ」 「んー……?」 ロイが言っていることを理解しているのかいないのか、ハボックは髪をかき混ぜる手に懐くように顔を寄せる。その仕草に俄に煽られて、ロイはハボックを引き寄せるとその唇を塞いだ。 「ん……ふ、ぁ………」 ぴちゃ、と音を立てて舌を絡めればハボックが甘い吐息を零す。更に深く唇をあわせ口内を余すところなく舐めて、飲みきれない唾液が唇の端から零れる頃になって漸く唇を離せば、ハボックはすっかりと夢の国の住人となり果て、くたんとロイの胸にその体を預けてくるのを見たロイはクスリと笑った。 「まったくお前は……」 ロイは苦笑混じりにそう呟いて唇の端から零れる銀色の糸を指で拭ってやる。それからハボックを抱き上げるとリビングを出て階段を上り寝室へと運んだ。そっとハボックの体をベッドに横たえ自分もその横に潜り込む。ハボックを引き寄せればなんの抵抗もなくすり寄ってきたハボックが安心したようなため息を零した。 「ん……たいさ……」 そう呟いてすり寄ってくるハボックの体はいつもよりずっと柔らかい。ハボックをギュッと抱き締めようとして、ロイはその豊かな胸が思いの外邪魔であることに気付いた。いつもなら胸から腰、下肢から足先までぴったりと寄り添う事ができるのに、胸があるばかりに微妙な隙間ができるのだ。 「くく……ッ、まったく、面白いものだな」 ハボックと付き合う前、女性と寝ていてもそんな事はまったく気にならなかった。ハボックを抱き締めて得られる充足感が何なのか、具体的に考えたことはなかったが、こんな些細なところにもその理由があったらしい。 「色々と気づかされるという面では、あながち今回の事も悪いばかりではないようだな」 ロイはそう呟くとハボックの体を抱き締めて穏やかな眠りに落ちていった。 「う……ん……」 ゆっくりと眠りの淵から引き戻されてハボックは目を開く。目の前にある端正な顔にほわりと笑ってロイにすり寄ろうとしたハボックは、なにやらロイとの間を邪魔する物体がある事に気付いて顔を顰めた。 「んーっ、何これ……邪魔……っ」 そう言ってその物体を掴んだ途端、それが自分の胸だと気付いて飛び上がる。ウヒャアッと大きな声を上げて飛び起きた途端、寝ぼけたままベッドを後ずさったハボックは、そのままベッドから転げ落ちた。 「ぐえっ」 大きな叫び声とドタンッという物音、それに引き続いて聞こえたカエルが潰れたような声に眠りを引き裂かれて、ロイが渋々と目を開ける。ベッドの下でバスローブの裾を乱して転がっているハボックを見下ろして言った。 「何をやってるんだ、お前は」 「えっ、や、だって、胸が……ッ」 顔を赤くしたり青くしたりしながらそう騒ぐハボックを見つめたロイは思い切り顔を顰める。 「ハボック、胸と脚」 そう言われて自分の姿に目をやったハボックは、着ていたバスローブがはだけて胸が零れ長い脚が付け根まで露わになっていることに気付いて、慌ててバスローブをかき合わせた。 「うわわ……」 そう言いながら見上げればロイがさわやかな朝には似つかわしくないため息をつく。そもそも自分はいつの間にベッドに来たのだろうと不思議に思ってロイに尋ねれば、ベッドから立ち上がったロイが欠伸をしながら答えた。 「ソファーで転た寝していたからな。私が運んだんだ」 「うわ、すんません…っ」 言って洗面所に入っていくロイの背にハボックは言う。立ち上がって己の姿を見下ろしたハボックは少しして戻ってきたロイに言った。 「オレが昨日着てた服、どうしましたっけ?」 風呂に入った時脱いだ後どうしたか、逆上せてふらふらになっていたこともあって記憶にない。首を捻ってそう尋ねればロイが平然と言った。 「捨てた」 「……はい?」 「捨てたと言ったんだ」 ワイシャツの袖に腕を通しながらロイが繰り返す。ポカンとしてその顔を見つめたハボックは次の瞬間グワッと目を見開いて怒鳴った。 「なんでッ?!」 「ムカついたから」 「は?」 「あんな下衆どもに触られた服、お前に着せられるか」 さも当然と言う顔をして言うロイにハボックは開いた口が塞がらない。 「んなの、洗えばいいじゃないっスか」 地面に押し倒されたりもしたし、確かにそのまま着るわけにはいかないだろう。だが、破かれたわけでもないのだから洗って着る分には何ら問題はない筈だ。 「気に入らないものは気に入らないんだ。服なら私のを貸してやる」 そう言ってクローゼットを開くロイをハボックは呆れたように見る。 「どんだけ心が狭いんスか」 「悪かったな」 ムッとした顔で睨んでくるロイにハボックはため息をついた。だが、次の瞬間には弛んでくる顔をどうすることも出来ない。 「何をニヤニヤしているんだ」 「や、別に」 眉を顰めながらシャツとズボンを差し出してくるロイにハボックは必死に笑いをこらえながら答えた。気に入らないというロイの言葉の裏にあるのは嫉妬だ。脱がされかけた服にすら嫉妬するほど自分を想ってくれているのだと思えば、なんだか嬉しくなってきてしまう。 「あ、でもやっぱあのジーンズは捨てないで下さいよ」 高かったんスから、と言いながら受け取った服に着替えるハボックにロイは言った。 「ジーンズの一枚や二枚買ってやる。文句を言うな」 「えーっ、でもあれ給料はたいて買ったのにっ!」 「やかましいっ、さっさと着替えろ。飯にするぞ」 ロイは尖らせたハボックの唇を指でピンと弾くと、寝室を出ていったのだった。 |
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