幻想女神  第十章


「大佐、これ、Tシャツの上にこのシャツ着るんスか?」
 ロイに遅れて少ししてからダイニングにやってきたハボックが言う。ロイはコーヒーを落としながら答えた。
「その方が胸を気にしなくていいんじゃないか?生憎この家には女性用の下着はないからな」
「……あったら怒りますよ」
「ヤキモチか?」
「そうっス」
 からかうように尋ねればごく素直に返事が返ってきてロイは僅かに目を瞠る。そんなロイの表情に気づかず、ハボックはジーンズの裾を捲りながら言った。
「大佐、ジーンズなんて持ってたんスね」
「え?ああ、一応な。滅多にはかないが」
「……くそう、意外と脚、長いんでやんの」
 何となく悔しそうに言いながらハボックは裾を捲り終える。それから白いシャツの袖も肘の下あたりまで捲って言った。
「オレ、作りますよ。卵、なにがいいっスか?」
「ん、じゃあ目玉焼き」
「片面でいいんでしたよね?」
「ああ、焼きすぎるなよ」
「了解。新聞読んでていいっスよ」
 フライパンに油を引きながらハボックが言う。ロイは言われるままハボックに朝食の支度を任せると、ダイニングの椅子に座り新聞を広げた。暫くするといい匂いが漂ってくる。ハボックはキッチンとダイニングを何度か往復して手早くテーブルを整えて言った。
「大佐、どうぞ」
 その声に新聞から顔を上げればテーブルの上で美味しそうな湯気が上がっている。ロイは新聞を畳んで脇に置くと、向かいの席に腰を下ろすハボックに向かって言った。
「ありがとう、ハボック」
「どういたしまして。ささ、熱いうちに食いましょう」
「それはちょっとな……」
 猫舌なロイはふうふうと切り分けた卵に息をかけている。なんとなく子供っぽいその仕草にハボックはクスリと笑って、熱い卵を大きな口に放り込んだ。
「よく食えるな……」
 ハフハフと言いながら次々に口に運ぶハボックをロイは呆れたように見る。得意げに笑ったハボックはロイの顔を見て言った。
「大佐は今日も仕事でしょ?」
「ああ。お前も来るか?電話番くらいできるだろう?」
 そう言われてハボックは眉を顰める。口に運ぼうとしたパンを皿に戻して手元を睨みながら言った。
「行きたくないっス。きっと気味悪がられるし」
 その言葉にロイは無言のまま片眉を跳ね上げる。それに気づかずハボックはロイを見上げて言った。
「オレ、ちょっとまた手がかり探しに行ってみます」
「それはダメだ」
 言った途端即座に反対されてハボックは目を見開く。
「ダメ……って、なんで?」
 少しでも情報を集めて一刻も早く元の体に戻りたい。時間が経てばたつほど戻れなくなりそうな気がして、ハボックはテーブルの上に身を乗り出すようにして言った。
「ダメってなんでっスか?少しでも探せば何かしら手がかりが見つかるかもしれないじゃないっスか」
「そんな格好のお前を一人でうろうろさせるわけにはいかん」
「昼間なら大丈夫っスよ!ちゃんと気をつけるしっ」
「駄目だ」
 ピシャリと言われてハボックは息をのむ。ゆっくりと乗り出した体を椅子に戻して言った。
「なんで?オレ、一刻も早く元の体に戻りたいんス。だから少しでも情報集めないと…ッ」
「ハボック」
 テーブルの上で握った手を食い入るように見つめながらハボックが言う。ロイは手にしたフォークを皿の上に置くと立ち上がってハボックの傍までやってきた。そうして跪いてハボックの手を取る。
「ハボック。今のお前はいつものお前とは全然違う。気をつけているつもりでもそれだけじゃ全然足りないんだ。お前が一人でウロウロしているかと思うと、私は心配で仕事どころじゃなくなってしまう」
「でも、たいさっ」
「判ってる。半分は私のわがままだ。だが残りの半分は事実なんだ、ハボック。お前は今のお前の姿が周りに及ぼす影響を判ってない」
 まっすぐに見つめながらそう言われて、ハボックは唇を噛んで押し黙る。ロイはハボックの手を優しく撫でながら言った。
「お前の気持ちは判る。私も早く元のお前に戻って欲しいと思う。だがだからといって危険な目にはあわせられない」
 そう言うロイをハボックはじっと見つめる。自分の手を撫でるロイの手をギュッと握り返して言った。
「でもオレ、ここで一人でじっとしてんの、ヤダ。不安に押し潰されちまう。何か探したりしてれば気も紛れるけど」
「じゃあ一緒に司令部に来るか?」
 ハボックの言うことも判らないこともない。仕事を休んで探してやりたいのは山々だったが、立場上そうも行かなかった。
「それは嫌っス」
「ハボック」
 ロイの提案にハボックは首を振る。ロイの手を握り締めたまま俯いていたハボックは、「あ」と声を上げて言った。
「だったらマスターのとこに行っててもいいっスか?」
「マスターのところ?」
 鸚鵡返しにそう問いかければハボックが頷く。
「マスターならオレのこと判ってくれてるし、それにあそこなら司令部から近いから、大佐、仕事終わったらすぐ来られるでしょう?」
 そう言われてロイは少し考えたが頷いて言った。
「判った。マスターなら事情も知っているし判ってくれるだろう。だが、くれぐれも営業の邪魔はするなよ」
「判ってますよ。男おんなは厨房の隅で皿洗いでもしてますから」
 そう言って笑うハボックの言葉にロイはため息をついて肩を落とす。
「そんなだから心配だと言うんだ……」
「は?なんか言ったっスか?大佐」
 ボソリと呟いたロイの言葉を聞き取れずにハボックが聞き返せば、ロイはため息をついて立ち上がった。ハボックの髪をくしゃりとかき混ぜると言う。
「じゃあ今日はそう言うことにしよう。中尉に調整して貰えば明日からは一緒に探せるだろうし」
「ホントっスか?」
「ああ、だから今日はイイコにして待ってるんだぞ」
「アイ・サー!」
 ニコッと満面の笑みを浮かべて見つめてくる空色の瞳に、ロイはため息混じりに笑うとハボックの額にキスを落とした。

「そんなわけでマスター、迷惑だとは思うんだが」
 司令部に行く前に二人してコーヒーショップに寄ったロイとハボックは、モーニングの客を相手に忙しいマスターに向かって言う。マスターはコーヒーをカップに注ぎながらにっこりと笑った。
「うちは全然構いませんよ。ハボックさんも一人きりで家にいたら不安で堪らないでしょうし、大佐も気が気じゃないでしょうからね」
「すまんな、マスター。助かるよ」
 苦笑混じりに礼を言うロイにハボックが唇を突き出す。
「オレが不安だっていうのはそうだけど、大佐が気が気じゃないって、なんスか。オレってそんなに頼りない?」
 不満そうに言うハボックの言葉にロイとマスターが顔を見合わせる。
「これだからな」
「大佐も気苦労が絶えませんね」
 そう言いあって苦笑する二人にハボックは頬を膨らませた。
「なんだよー、二人して!こそこそ言い合って笑っちゃってさ」
 ムカつくと文句を言うハボックの頭をロイはポンポンと叩く。
「いいから。とにかくマスターに迷惑かけるんじゃないぞ。マスターの言うこと聞いてイイコにしてなかったら、後でお仕置きするからな」
「もうっ、オレは子供じゃないっス!」
 ロイの言うことに益々頬を膨らませて言うその表情はいかにも子供なのだが、本人は全く気づいていないらしい。ロイはそんなハボックに苦笑してマスターを見ると言った。
「それじゃあマスター、すまないが今日一日コイツを頼むよ」
「判りました、任せてください、大佐」
 笑ってそう言うマスターにロイは頷く。ふて腐れてそっぽを向いているハボックを見て言った。
「じゃあ、ハボック。行ってくるよ」
 優しくそう言う声にハッとしてハボックはロイを見る。これから夜までロイがいないのだと思うと、俄に不安になってハボックは顔を歪めた。
「たいさぁ」
「そんな顔をするな。心配になって司令部に行けなくなるだろう?」
「じゃあ、行かないでください」
 子供じゃないとふて腐れた事など忘れたようにハボックはそう言ってロイの体にしがみつく。柔らかいその体をギュッと抱き締めてロイはハボックの耳元に囁いた。
「急いで仕事片づけてくるから」
「絶対っスよ?残業なんかになったら怒るっスからね」
「判ってる」
 スンと鼻を鳴らしてすり寄ってくるハボックの額にキスをして、今一度抱き締めるとロイはハボックを離す。
「じゃあ行ってくるよ。マスター、よろしく頼みます」
「ああ、いってらっしゃい、大佐」
 にっこりと笑うマスターに頷いて、ロイはハボックの髪をくしゃりとかき混ぜると司令部へと出かけていった。


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