幻想女神  第三十四章


 町の入口らしきところを過ぎればだんだんと家の数も増えてくる。二人は比較的広い通りの中程に小さなホテルを見つけて中に入った。
「部屋は空いてるか?」
 フロントに立つ男に尋ねればにこやかに笑って頷く。
「はい。ご宿泊のご予定は何泊で?」
「とりあえず二泊。それで用件が済まなければ延長する」
「かしこまりました」
 男は答えて部屋のキーを差し出した。食堂や部屋の様子など一通り説明を受ければ、もう一人まだ若い男が荷物を持って二人を部屋に案内する。チップにもう少し上乗せして渡すとロイは尋ねた。
「この辺りはあまり他にない薬草が採れるそうだな。どこに行けば採れるんだろう?」
「あ、お客さん、お医者さんなんですか?」
「まあ、似たようなもんだ」
 錬金術師というより医者と言った方が馴染みもあるだろう。そう思ってロイが言えば男は眼差しに尊敬の念を浮かべて答える。
「ホテルから歩いていくと結構ありますよ。途中まで馬を借りるといいです」
 男はそう言ってホテルから一時間ほどのところにある湿地の場所を教えてくれた。
「そちらの女性は看護婦さんなんですか?」
「えっ?……え、ああ、まあ…」
 突然そう聞かれてハボックは飛び上がる。言葉を濁して答えれば男は考えながら言った。
「足場悪いからなぁ。女の人には大変かもしれないです。俺だったら一人で行きますけどね」
 遠回しにハボックは置いて行けと言う男に、ロイは礼を言って追い返す。パタンと扉が開いて二人きりになるとロイはハボックを見た。
「ここで待っていろと言っても」
「聞くわけねぇっしょ。一緒に行きますよ」
 ロイに皆まで言わせずハボックが返す。睨むように見つめてくる空色の瞳に、ロイはやれやれとため息をついて言った。
「ここから一時間でそれから薬草探しを始めたらすぐ暗くなってしまうな。今日はホテルの周りを見て歩いて、明日早くから出かけるとしよう」
「はい、大佐」
 とりあえず「来るな」とは言われなかった事にハボックはホッとして頷く。窓に近寄り外を見下ろして言った。
「ここがファントム・レディが生まれる発端になった町なんスね」
「そうだな」
「……怖かったろうな」
「ハボック?」
 コツンとガラスに額を押しつけて呟くハボックをロイが怪訝そうに呼ぶ。なにも答えずにカーテンを握り締めて俯くハボックを、ロイは背後からそっと抱き締めた。
「なにが怖かっただろうって?」
 耳元に囁くようにして尋ねればハボックの体がピクリと震える。ハボックはそっと目を閉じて答えた。
「自分の体が少しずつ変わっていくのを見るのは怖かっただろうなって。綺麗な人だったんだろうに」
 結婚も決まり錬金術師とその恋人にとって、世界はまさしく光り輝いていた事だろう。将来にあるのは幸せばかりと信じきっていた二人にとって、風土病は考えうる全ての厄災の中でも最悪のものだったに違いない。
「オレも自分の体がこんなになって、怖くて怖くてたまんなかった。誰もオレのこと判ってくれなくて、このまんま元に戻れなかったらどうしたらいいんだろうって。大佐にも誰にも相談出来なくて、自分一人じゃ全然どうしようもなくて、オレ……ッ」
「ハボック」
 絞り出すように言うハボックをロイはギュッと抱き締める。ハボックの首元に顔を埋めて言った。
「あと少しだ、ハボック。あと少ししたらなにもかも元通りになる」
「その錬金術師も彼女にそう言ってたのかな。あと少ししたら元に戻れるって」
「ハボック!」
 背後から抱き締めるロイの腕をギュッと掴んでそう呟くハボックに、ロイは声を荒げる。グイとハボックの体を反転させ正面から見つめて言った。
「そんなに私が信用出来ないか?私はその程度の男か?」
「そう言うつもりじゃ……でもっ」
「でも、なんだ?」
 じっと見つめてくる黒い瞳を見返していたハボックがクシャリと顔を歪める。
「怖いっス……ここまで来て、それでも駄目だったらって…っ」
 ここへ来る馬車の中で、ここでも元に戻る方法が見つからなかったら、それ以上のことはしてくれなくていいと言った。ロイだけでなくホークアイ達にも多大な迷惑をかけている現状で、これ以上の迷惑はかけられないと思ったが故に出た言葉であった。だがそう言いはしても恐怖心は別の問題だ。怖くて怖くてたまらない。日が経つにつれその恐怖心は大きくなり、ハボックは押し潰されないようにするのに必死だった。
「私がいるだろう、ハボック。なにが起きようと私が一緒にいる」
「大佐ぁ……ッ」
 抱き締めてくるロイの力強い腕に、ハボックもロイをギュッと抱き締め返したのだった。

「丁度花のシーズンなんだ」
 ホテルの近くにあった公園を歩きながらハボックが呟く。花壇の花に顔を近づけて、大きな雄しべをチョンチョンとつつくと指先についた花粉を雌しべの先に移した。
「受粉」
「なにやってるんだ、お前……」
 背後から聞こえた声に振り返ればロイが呆れた顔をして見ている。
「蜜蜂ごっこ」
「あのな」
 そう答えて悪戯っぽく笑うハボックにロイはため息をついた。それでもそれがロイに心配をかけないように振る舞っているのだと思い至れば、ロイは愛しそうにハボックを見つめた。
「ねぇ大佐。イーストシティに帰ったら弁当持って公園行きましょ。みんなも誘って。オレ、大佐の好きなもん作るっスよ」
「そうだな、アンダーソン伍長も誘ってやろう。色々迷惑もかけたからな」
「あ」
 アンダーソンの名を出されてハボックが声を上げる。どうしたと尋ねればハボックは眉を寄せて言った。
「マイク、中尉に怒られなかったかなぁ」
 ついホークアイに直接話をするのがはばかられて、アンダーソンに伝言を頼んでしまった。今考えれば相当狡かったなと、アンダーソンに悪いと思う気持ちでいっぱいになって言うハボックに今度はロイが眉を寄せる。
「ピクニックに誘ってやるんだからいいだろう?そもそも部下なんだからそれくらい当然だ」
「……アンタ、オレ達にもそう思って色々やらせてますね?」
 何となく面白くなくて言えば、ハボックから返ってきた思いがけない言葉にロイは慌てて首を振った。
「そんなことないぞっ、人聞きの悪い。私がそんな事をする男に見えるか?」
 そう言えばじーっと見つめてくる空色の瞳に居たたまれず、ロイは満面の笑みを浮かべる。
「さ、そろそろホテルに戻ろうか。今日は早く休んで明日に備えよう」
 言ってさりげなく肩に腕を回してくる男にハボックは一つため息をついてホテルに戻ったのだった。

 その夜は食事を済ませると早々にベッドに潜り込んだ。二つあるベッドの一つに身を寄せ合えば互いの温もりにホッと息が零れる。
「明日は朝から一日仕事だ。よく休んでおけよ」
「はい」
 と頷いて目を閉じようとしたハボックはふと思いついて体を起こした。
「ハボック?」
「ねぇ、大佐。明日行こうとしてるとこって錬金術師達が入った場所なんスか?もしそうならヤバくねぇ?」
「どうして?」
「だって」
 土地の者が入りたがらなかった場所に入って錬金術師の恋人は病にかかった。それなら同じことが自分達の身に起きないとも限らない。
「大佐、やっぱり明日はオレ一人でいくっスよ。オレならもうこんななりになっちゃったし、風土病の一つや二つかかったところで平気っスもん」
 今更どんな病気にかかろうと今以上に悪くなる事などない。だが、ロイを病気にさせるわけにはいかないとハボックが言えばロイが答えた。
「病気にさせたくないと思うのはお互い様だ。それに大体薬草を取りに行きたいと行って場所を尋ねたのに、そんな危険な場所を教えると思うのか?」
「あ、そうか」
 ロイの言葉にハボックは目を瞠る。なんだと脱力する体をロイは引き寄せて抱き締めた。
「お前は余計な心配をし過ぎだ。もうなにも考えないでゆっくり休め」
「……はい、大佐」
 そう答えて今度こそ目を瞑るハボックの髪に顔を埋めて、ロイもそっと目を閉じた。


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