幻想女神  第三十五章


 翌日は朝からよい天気だった。二人はホテルのレストランで朝食を済ませると、近くのパンやで頼んでおいたサンドイッチを受け取り、借りた馬に跨って町から一時間ほどの小さな森へとやってきた。森の入り口に馬を繋ぎ、食料と水筒を入れた小さなリュックを背負ってロイが言った。
「ホテルのボーイが言っていた湿地と言うのはこの小道を行ったところだな。そっちに行く前に森の方で採取出来るものを集めてしまおう」
「はい、大佐」
 ホテルで書いてもらった簡単な地図を見ながら言うロイにハボックは頷く。二人は道から外れてごつごつした木の根や草の蔓延る森の中へと足を踏み入れた。ロイは一本一本木の種類を確かめながら歩いていく。
「ハボック、これの枝を取っておいてくれるか?」
「あ、はいっ」
 立ち止まったロイが幹に触れながら言うのを聞いて、ハボックは慌てて駆け寄るとポケットから取り出したナイフで木の枝を切り取り、肩から下げていた布製の袋に放り込んだ。その間にもロイは木を見上げながら歩いていく。時には自分で、時にはハボックに言って、若々しい新緑の葉やゴツゴツした樹皮を集めていった。
「ハボック、これは樹皮だ」
「は、はいっ」
 言われるままハボックはナイフで幹に切り目を入れ、樹皮を剥ぎ取る。正直ハボックには自分が集めているのが一体なんの樹皮や葉なのか、皆目見当がつかなかった。
(やっぱオレが一人で来ても全然判んなかったかも……)
 絵を描いてもらうなり、説明を聞くなりすれば薬草集めなど大したことではないと思っていた。だが、実際現地に来てみると木も草も同じようにしか見えなかった。
(よっぽど葉っぱに特徴があるとかなら判るけどなぁ)
 ハボックはそう思いながらイチョウの木を見上げる。さっきロイが扇形の若葉を取っていた。ハボックは腕を伸ばして葉を取るとその表面をまじまじと見つめた。
(イチョウって薬草なんだ。銀杏食うしか知らなかった)
「イチョウの葉は老化防止や生殖機能衰退を押さえる効果があるんだ。雌雄異株だから一本きりじゃ実が生らない」
「うわあッ!」
 突然背後から聞こえた声にハボックは飛び上がる。気がつけば先に行ったとばかり思っていたロイがすぐ近くに立っていた。
「もうっ、驚かさないでくださいよ、大佐」
「別に驚かせたつもりはないぞ。難しい顔をして葉っぱを見ていたから説明してやっただけだ」
 ロイはそう言ってハボックが手にした葉を取り上げて袋に放り込む。それから再び奥へ向かって歩きだした。
「ウコギが見つからないんだ。そんなに大きい木じゃないんだが」
「ウコギ?」
「そいつを焼酎に漬けたものは不老長寿の薬酒として飲まれてたんだ」
「へぇ」
 説明しながら歩くロイの後について歩きながらハボックは感心したように頷く。
「大佐の頭ん中ってどうなってるんスか?辞典がまるまる入ってるみてぇ」
「興味を持てばなんだって頭に入ってくるだろう?」
 不思議そうに言うロイにハボックは嫌そうに顔を顰めた。
「どうした?」
 てっきり同意の返事が返ってくると思っていたのに返る言葉がないことを訝しんで振り向けば、眉を寄せたハボックと目があってロイは首を傾げる。
「いいっス。オレと大佐じゃ頭の出来が違うってこと、忘れてたオレが馬鹿でした」
「おい、ハボック?」
 ムスッとして言うとスタスタと先に行ってしまうハボックにロイは目を丸くした。訳が判らないまでもとりあえずハボックの後を追う。
「おい、あんまり急ぐと」
 足下もよく見ずにズンズン歩いていってしまう背に、気をつけて歩くよう注意を促そうとした瞬間。
「ッ?アッ?!」
 短い悲鳴を上げたハボックの姿が突然視界から消える。
「ハボックっ?!」
 ギョッとして慌てて駆け寄れば数メートル下の茂みに蹲まるハボックの姿が見えて、ロイはハボックが滑り落ちた跡をなぞるように滑り降りると、ハボックの側に立った。
「おいっ、大丈夫かっ?!」
「いたたたた……」
 座り込んだまま腰をさするハボックの顔を覗き込んでロイが聞く。
「草が茂ってて、段差があるの気づかなくって」
「あんなに急いで行くからだ。怪我はないか?」
 そう言われてハボックは唇を尖らせてぶつぶつと呟いたが、自分の体を一通り見渡して怪我がない事を確認して答えた。
「平気っス。ちょっと汚れただけ」
 幸い長袖長ズボンに軍手をはめていたおかげで擦り傷のひとつもしなかったようだ。ハボックの手を引いて立ち上がらせたロイは、近くに生えている木を見てニヤリと笑った。
「怪我の功名だな」
「大佐?」
「ウコギだ」
 キョトンとするハボックにロイは指さして言う。ハボックに葉を採るように言うと、自分は木の根本にしゃがみ込みナイフの柄で地面を掘り始めた。そうすれば葉を採ったハボックがやってきて同じように地面を掘る。五分ほども掘ったところで根の一部を切り取ると、ロイは立ち上がって言った。
「どこか適当なところで昼飯にしよう。少し休んだら戻って湿地の方へ行く」
「はい、大佐」
 ロイの言葉にハボックも立ち上がって頷く。二人は少し開けたところに出ると、倒れた木の幹に腰掛けてサンドイッチを頬張った。
「こうしてるとピクニックにでも来てるみたいなのになぁ」
 木漏れ日を見上げて呟くハボックにロイが笑みを浮かべる。
「もう少ししたらピクニックでもなんでも、心おきなく出かけられるさ」
「……そうっスね」
 一瞬の間をおいて、それでも逆らわずにハボックは頷いた。これからどうなるか、それを今言ったところで仕方ない。今はただ薬を作るために必要な材料を集めるだけだ。
「大佐がよかったらもう行きましょう。こんなとこ、日が暮れ始めたらあっという間っスよ」
「そうだな」
 ハボックの言葉にロイは頷いて広げていた包みをしまう。交代で水筒の茶を飲むとロイが言った。
「大丈夫か?疲れたらすぐ言うんだぞ」
「平気っスよ」
 ニコッと笑って言うハボックをじっと見つめたロイは、ハボックの手を取るとそのまま繋いで歩き出す。思わず咄嗟に拒絶の言葉を口にしそうになって、ハボックは慌てて言葉を飲み込んだ。なにも言わずに手を繋いだまま元来た道を帰って森の入り口まで辿り着く。それから今度は教えられた湿地へと続く小道を辿り始めた。
「思った以上に足場が悪いな」
 手を繋いで半歩前を行くロイが呟くように言う。肩越しにハボックを振り向いて言った。
「ここから先は私一人で行ってくるからお前はここで」
「嫌っス」
 最後まで言わせずにハボックは答える。
「絶対に嫌っス。最後まで一緒に行くっスから!」
 そう言ってキッと睨んできた空色の瞳がフッと泣きそうに揺らいだ。
「置いてかないで、大佐」
 俯いた拍子に表情が前髪に隠れる。ロイは足を止めると繋いでない方の手でハボックの顎を掬った。
「判った、一緒に行こう、ハボック」
 チュッと口づけて間近に囁かれる言葉にハボックがホッとした顔をする。二人はどんどん悪くなる足下に注意しながら進むと、見つけた薬草の花や葉を摘み取っていった。
「これ、丸ごと採るんスか?」
 根本を掘り起こしたかと思うと、根っこごと丸々引っこ抜こうとするロイに手を貸しながらハボックが聞く。
「どこを使うのか判らんからな。日記には名前しか書いてなかった」
 いつ間に調べたのか、日記に書き記された薬草の特徴を町の人間に聞いていたらしい。目当てのこの地域にしか自生していない薬草を丸のまま採取して、ロイは泥を振り落とすと袋の中に突っ込んだ。
「あと二つばかりか?」
 ロイは取りこぼしのないよう薬草の名をズラリと書き留めたメモを見て言う。軍手を外し水筒の茶を一口飲むとハボックに渡した。
「ほら」
「ありがとうございます」
 礼を言って一口飲めば冷たい液体にホッと息が零れる。
「あと少しだからな」
「はい」
 励ますように言うロイに、ハボックはにっこりと笑って頷いた。


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