幻想女神  第三十二章


「錬金術師達が行った場所に行くって……場所、判るんスか?」
「ああ、今は町の名前が変わっているようだが、日記を読んだ限りではアエルゴとの国境に近いところのようだな」
「そんなとこっ」
 ロイの説明にハボックはガタンと椅子を蹴立てて立ち上がる。
「そんなとこ、アンタが一人でのこのこ行ける場所じゃねぇでしょ。大体日にちだって足りないっスよ。中尉がオレ達にくれた時間は一週間スもん」
「そこに行けばお前を治せる可能性があるというのに、場所や時間を気にして断念しろというのか?出来るか、そんなことが、ふざけるな!」
 珍しくハボックが冷静に事態を判断し、ロイの方が感情的に言い返す。ハボックはテーブルに身を乗り出すようにして言った。
「アンタはロイ・マスタング大佐なんスよ。もしそこにオレを治す為の薬草だかなんだかがあるなら、オレ一人で取りに行ってきます。アンタはこっちに残って中尉と一緒に待っててください」
「お前が見たってそれがその薬草かなんて判らんだろう?」
「絵に描いてもらえれば判るっスよ」
「無理だな、私は絵が壊滅的にヘタクソだ」
「大佐っ」
 フフンと全く自慢にならないことを偉そうに言ってみせるロイにハボックが声を荒げる。本音を言えばどんな事をしてもなんとしても元に戻りたかった。だが、散々に迷惑をかけていると判っている現状で、これ以上ロイに負担をかけるわけにはいかないと思うのも事実だった。
「どんな薬草が必要なのか、詳しく教えてください。地元の人に協力して貰って、ちゃんと取ってきますから」
「土地の者も入りたがらない場所でどうやって協力して貰うと言うんだ」
「だ、だったらオレ一人でもなんとか…ッ」
「ハボック」
 テーブルに身を乗り出して必死に言い募るハボックをロイはじっと見つめる。手を伸ばしてハボックの手に己のそれを重ねると言った。
「私が必ずお前を治してやると言っただろう?お前が心配する事なんて何もないんだ、私に全部任せておけばいい」
「でもッ」
「それに私はロイ・マスタング大佐であるより先にお前の恋人のロイ・マスタングでありたい」
「たい…っ」
 そう言えばハボックがくしゃくしゃに顔を歪める。ロイは重ねたハボックの手をそっと撫でながら言った。
「愛してる、ハボック。私が必ず元に戻してやる」
「たいさ…ァっ」
 そう言って優しく笑うロイに、ハボックはボロボロと涙が零れて止まらなかった。

「夜が明けてちゃんと中尉に説明して休暇延ばして貰ってからの方がよくないっスか?」
 夜道を駅に向かって走りながらハボックが言う。ロイは持っていた鞄を右手から左手に持ち変えながら答えた。
「急げば最終の列車に間に合うんだ。一晩待った方がいい理由があるならそうするが、そうじゃないんだから」
「でも、中尉の怒り具合が違う気がするっス」
「中尉も文句は言っても怒ったりはしないさ」
 ハボックを元に戻す為にこれが取り得る最前の策だと判れば、ホークアイも頭ごなしに怒る事はないだろう。
「それに、あんまり女性のままの姿でいると、元に戻れなくなるかもしれんしな」
「えっ?!」
 ロイの言葉にハボックが走っていた足を止める。
「それ……ホントっスか?もしかして、今薬作って飲んでも、もう元に戻れないとか……?」
 呆然として呟くハボックに、ロイは肩越しに振り向いて言った。
「そうなる可能性も無きにしも非ずと言うことだ。それが嫌ならとっとと走れ、ハボック!」
「は、はいっ」
 言われてハボックが弾かれたように走り出す。二人は息を切らせて駅にたどり着くと最後の力を振り絞ってホームに駆け込んだ。
「大佐、あれ!」
「急げ、ハボック、飛び乗るぞっ!」
 ピーッと高い汽笛を鳴らしてゆっくりと走り出す列車に向かって二人は走る。徐々にスピードを上げていく列車の最後尾のデッキに鞄を投げ込んだロイは、手すりに掴まって列車に乗り込んだ。
「ハボック!」
「大佐っ!」
 そうしてハボックに向かって手を伸ばすと、ハボックの腕を掴んでデッキに引き上げる。勢い余ってデッキに倒れ込んだ二人は、ハアハアと肩で息をしながら互いに顔を見合わせた。
「ま…間に合った……」
「こんなに必死に走ったのって…初めてっスよ……つか、胸、重ッ!」
 随分慣れたと思っていたが、いざとなるとやはり普段ついていない物の存在は邪魔でしょうがない。それに、鍛え上げていた体とは違って、今の体は体力も持久力も格段に劣っていた。
「こんなところで夜風に吹かれていたら風邪を引く。中へ行くぞ、ハボック」
 ロイは呼吸が整ってくるとそう言って立ち上がる。鞄を拾い上げ、ペタンと床に座り込んだままのハボックに手を差し出した。
「ほら、行くぞ」
 もう一度そう言ってロイは差し出した手の指先でチョイチョイと手招く。だが、ハボックは緩く首を振って言った。
「もう少し休んでから行くっス。先中に入っててください、大佐」
 ハボックはそう言うとデッキの柵に寄りかかって目を閉じてしまう。夜闇に髪から金色の滴を撒き散らすように風にその髪を嬲らせているハボックを、ロイは少しの間見下ろしていたが、鞄を肩にかけると床に座り込んでいるハボックに手を伸ばした。
「……えっ?」
 フワリと浮き上がった体にハボックが驚いて目を開ける。目の前にある端正な顔に、ハボックは自分が抱き上げられたのだと気づいた。
「ちょ…っ、大佐っ!」
「いいから、じっとしていろ」
「でもっ」
 慌ててもがくハボックに構わずロイは器用に扉を開けて列車の中に入る。まばらに埋まった座席の中程まで通路を行くと、ハボックをそっと下ろした。鞄を網棚に放り込み、ロイはハボックの隣に腰を下ろす。そうしてハボックの頭を引き寄せて言った。
「着くのはどうせ朝になる。寝心地は悪いだろうが、私に寄りかかって少しでも休んでおけ」
「駄目っスよ。オレが起きてますから大佐が休んでください」
「ハボック」
 引き寄せられた体を腕を突っ張って離れようとするハボックをロイが呼ぶ。見上げてくる空色の瞳を見つめて言った。
「向こうについたら馬車に乗って移動だ。目的地に着くまではまだだいぶかかる。ここで休んでおかないと体が持たないぞ。私もちゃんと休むからお前も休むんだ。駅で私が帰ってくるのを待つのは嫌だろう?」
「そんなの絶対イヤっス!!」
「だったら私の言うことを聞け」
 そう言われてハボックは目を見開く。キュッと唇を噛んで頷くと、ロイの体に身を寄せて目を瞑った。
「イイコだ、ハボック」
 ロイはそう言ってうっすらと笑うと、自分もそっと目を閉じた。

「え?隊長、今どこですって?」
『だから、アエルゴの近くのハータンってとこ。ここから馬車でカバラに行く。そこがファントム・レディが生まれる発端になった町なんだって。そこでならオレを元に戻す薬が作れるかもしれないんだ』
「本当ですかっ?」
 アンダーソンは受話器を握り締めて声を張り上げる。なんだ?と視線を向けてくる同僚達に気づいて、慌てて声を潜めると受話器を抱え込むようにして言った。
「じゃあ、元に戻れるんですね、隊長…!」
『まだ判んないけど。だから中尉にこの事伝えてくれる?ちょっと休暇延びちゃうけど、すんませんって』
「えっ?俺がですかっ?」
 言われてクールなホークアイの姿が目に浮かぶ。なんだかそれはちょっと嫌な役回りではと思ったアンダーソンが何か言う前に、ハボックが言った。
『あ、大佐が呼んでる。じゃあ、悪いけど、頼んだよ、マイク』
「あっ、隊長っ?ちょっと待っ……!」
 止める間もあらばこそブツリと切れてしまった受話器をアンダーソンは恨めしげに見つめる。そばにいた隊員がそんなアンダーソンを見て言った。
「電話、隊長からか?まだ調子よくなんねぇの?」
「えっ?あ、ああ、そうみたい。俺、ちょっとホークアイ中尉のとこ行ってくるわ」
 一応病欠扱いになっているハボックを心配する隊員に向かって、アンダーソンはそう言って急いで詰め所を出ていく。
「ずるいよなぁ、隊長。あれ、絶対文句言われるの嫌で俺んとこかけてきたよな」
 ハボックが元に戻れるかどうかがかかっているのだ。ホークアイも怒りはしないだろうが、やはり二人の不在は日に日に負担になっている違いなく、多少の文句は出るだろう。
「……ま、仕方ないか」
 自分がハボックの為に出来ることと言ったらこんな些細な事しかない。それなら多少の小言は代わりにきいてやるのも仕方ないだろう。アンダーソンはそう思いながら司令室の扉を叩いたのだった。


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