| 幻想女神 第二十九章 |
| カーテンから射し込む光にロイはうっすらと目を開ける。傍らを見れば抱き締めて眠ったはずの相手がいないことに気づいて、ロイは慌てて起きあがった。寝衣を脱ぎ捨てボトムに足を通すとベルトを締める間も惜しんでシャツを手に階下へと降りる。階段の途中からいい匂いがし始めて、ロイはホッと息をつくとダイニングへと入っていった。 「ハボック」 そう声をかければハボックがキッチンから顔を出す。ロイの顔を見てにっこりと笑うと言った。 「おはようございます、大佐。結構早かったっスね。もっとゆっくり寝てればよかったのに」 「そう言うお前こそ早いじゃないか」 責めるような響きを含んだ口調にハボックが苦笑する。 「昨日早く寝たから目が覚めちゃって」 「だったら声をかければいいだろう?」 「でも大佐、よく眠ってたし」 ハボックはそう言って笑うと「焦げちゃうっ」と叫んでフライパンの前に戻った。 「食事が済んだら洗濯物干して、買い物行ってきますね」 「私も行くと言ったろう?」 ロイが言えばハボックが一瞬手を止める。それからロイを見て悪戯っぽく笑った。 「でも、女性の服の店っスよ?大佐が行ったら噂になっちゃうんじゃありません?」 「好都合だ。私とお前の間に噂がたてば、お前に妙なちょっかいを出そうという馬鹿者もいなくなるだろう」 「大佐……」 さらりとそんな事を言ってのけるロイにハボックが困ったように俯く。ロイはお留守になっているハボックの手元を指さして言った。 「焦げるぞ、ハボック。カチカチの卵は御免だからな」 「わわ……っ」 その言葉にハボックが慌ててフライパンの卵を弄る。ロイは焦げかけた卵と格闘するハボックをそのままにキッチンを出た。 食事を済ませて洗濯物を干すと、ハボックはリビングへは行かずにそのまま玄関に向かう。ジャンパーを手にそっと玄関を開けようとすれば、背後からかかった声にピタリと動きを止めた。 「私をおいていく気か?」 「大佐」 ため息と共に振り向けばロイが腕を組んで立っている。睨むように見つめてくるロイにハボックは言った。 「服買いに行くだけっスもん。一人で大丈夫っスよ」 「一緒に行くと言っただろう?」 「女性の服なのに」 「構わん」 ロイはそう言ってコートかけにかけてあったコートを取ると腕を通す。困ったように立ち尽くすハボックの脇を通り抜けながらチラリとハボックを見て言った。 「行くぞ」 そう言ってさっさと玄関から出ていってしまうロイに、ハボックは一つため息をつくとジャンパーを羽織って家を出たのだった。 「なんだ、女性の服を買いに行くとか何とか散々私に言ったくせに、来たのはここか」 「だって……やっぱ恥ずかしいし」 そう言って唇を尖らせたハボックが足を踏み入れたのは男性物も女性物も取り扱っているカジュアル服専門の店だった。値段も手頃で着やすいとハボックが普段からよく来る店でロイも何度か一緒に来たことがある。ここならロイが今のハボックと二人で来てもさして噂になることもなさそうだった。 「女性物はあっちかな」 普段は行ったことがない方へハボックは足を向ける。男性物のコーナーにはない色鮮やかなTシャツの中から比較的地味なものを取り出して、ハボックは首を傾げた。 「サイズ、これくらいっスかね」 「私に聞いて判るはずがなかろう」 肩越しに尋ねればロイが眉を寄せる。 「アンタなら抱き締めればサイズくらい一発かと思いましたけど」 「どういう意味だ、それは」 益々眉間に皺を寄せてロイは言うと近くにいた店員を呼んだ。 「すまんが彼女にあうサイズを教えてくれるか?」 「はい、かしこまりました」 にっこりと笑って店員はハボックを見る。ハボックが手にしたサイズより一つ大きいサイズを取り出して言った。 「お客様にはこちらの方がバストが苦しくないと思います」 「あ」 そう言われてハボックは恥ずかしそうに体を縮める。 「試着してごらんになりますか?」 「あ、はい。や、でもズボンも欲しいんスけど」 どうせ試着するなら一度に済んだ方がいい。そう思ってハボックが言えば店員がにこやかに笑って何本か見繕ってくれた。 「試着してきますね、大佐」 「ああ、あっちの方を見てるから済んだら声をかけてくれ」 「見てくれないんスか?」 不服そうに言うハボックにロイは行きかけた足を止める。そう言えばハボックは昔から服を買うときはロイに見て貰いたがっていた。 「そうだったな」 一人で買いに行くから大丈夫だと言い張っていたくせにそんな事を言うハボックに、ロイは俄に愛しさがこみ上げてくる。ロイは服を手にしたハボックについて試着室へ向かった。 結局勧められるまま四セットほども買った服のうち一セット分の値札をはずして貰って、ハボックは自分の体にあった服を着て店を出る。自分で持つと言ったハボックの手から取り上げた店の袋を持ったロイを見上げて、ハボックは言った。 「大佐はまっすぐ家に戻るっしょ?」 「そうだな。日記の続きも読みたいし、あの酒の成分も調べたいし」 ロイはそう言ってからハボックを見て続ける。 「買い物があるならつきあうぞ。どこだ?」 そう尋ねればハボックは首を振った。 「買い物はないっス。ちょっと司令部に行ってこようと思って」 「………何をしに?」 女性の姿になってからというもの、あんなに行くのを嫌がっていた司令部に行くと言い出したハボックにロイが低い声で尋ねる。じっと見つめてくるロイの方を見ずにハボックは答えた。 「マイクにお礼言おうと思って。夕べはろくに礼も言わずに別れちゃったから」 「それだけなら電話で済むだろう?」 「でも、ちゃんと顔見て言いたいしっ」 「ハボック」 きつい調子で名を呼ばれて、それでもハボックは頑として言った。 「オレなら平気っス。ちょっと司令部行くだけだし、変なとこへは行かないっス。昼には帰れないけど明るいうちに帰りますから」 そう言って今度はロイをじっと見つめる。縋るような空色の瞳に、ロイは一つため息をついて言った。 「司令部に行くだけだぞ、用が済んだらまっすぐ帰ってこい」 「はい、大佐」 ハボックを一人で行かせるのは気が進まなかったが、正直早く戻って酒の成分を調べて日記を読み進めたかった。ロイはハボックの髪に口づけると「じゃあ」と言って足早に歩いていくハボックの背を見送る。その姿が角の向こうに消えてしまうと、ロイは首を振って家への道を歩き始めた。 ロイと別れてハボックは真っ直ぐに司令部へと向かう。程なくついた司令部の玄関をくぐると受付でアンダーソンを呼び出して貰った。 「隊長っ?」 廊下を駆けてきたアンダーソンがハボックの姿を見るなり声を上げる。ハボックの側に来ると腕を掴んで受付があるのとは反対側の壁に身を寄せて言った。 「どうしたんですか、隊長。マスタング大佐は?」 「大佐なら家で昨日手に入れたもん調べてる。オレはマイクにお礼しに。夕べちゃんと言えなかったから」 店を出てからハボックは終始俯いて黙ったままだった。あの店であった事を思えば無理もないことだと、さして気にもとめていなかったアンダーソンは首を振って答えた。 「礼を言って貰うような事、出来てないです。結局何も判らなかったし」 「でも、酒と日記が手に入ったから。マイクが店を覚えていてくれたお陰だよ」 「隊長……」 今日はきちんとサイズのあった服を身につけているハボックを見てアンダーソンは眉を顰める。何を言っていいのか判らず黙り込む部下にハボックは言った。 「詰め所の方へ行こう。今後の事もあるし」 「みんなに言うんですか?」 穏便に済ませたいなら元の姿に戻るまでは皆の前に姿を見せない方がいいのではないか。そう思ってアンダーソンが言えばハボックが笑った。 「いつまでも部隊を放っておけないだろう?いつ出動するかも判らないんだし」 ちゃんと説明して今後のことも決めておかないと、と笑うハボックにアンダーソンは顔を歪める。その言わんとしている事を察して、ハボックが言った。 「大丈夫、今だけの話だから」 「隊長、でも……ッ」 「マイクにも活躍して貰わないとな」 「隊長ッ」 そんな事を言って廊下を歩き出すハボックの背を見つめてアンダーソンはグッと拳を握り締めると、後を追って歩き出したのだった。 |
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