| 幻想女神 第二十七章 |
| 扉を開ければそこは薄暗くひんやりとしていた。アンダーソンが言ったとおり紫のヴェールがかかったような店内に客の姿はなく、ぼんやりと照らし出されたカウンターの向こうに一人の男が立っていた。 「いらっしゃい」 男はグラスを磨きながら言う。ロイとその隣に立つハボック、そしてアンダーソンと順繰りに視線を向けると、意外そうに目を見開いた。 「おや珍しい。二度目のご来店とは」 そう言う男を目を細めてロイは見つめて言った。 「覚えているなら話が早い。コイツを元に戻してもらおうか」 ロイがハボックの肩をグッと抱いて言えばハボックも男を睨む。男はハボックを上から下までジロジロと眺めて楽しそうに言った。 「ああ、アナタ、やっぱり変わっちゃったんだね。ファントム・レディをゴクゴクもの凄い勢いで飲むから変わるだろうとは思ったけど」 「この野郎ッ!やっぱり女になるって判ってて飲ませたんだなッ!よくも…ッ!!」 楽しそうな男の口振りにカッとなってハボックが怒鳴る。そのあまりの剣幕に首を竦めて男が言った。 「女になるなんて知らなかったですよ。ファントム・レディは女になる酒じゃないですから」 「……どういう事だ?」 男の言葉にロイが眉を顰めて尋ねる。男は相変わらず楽しそうな笑みを浮かべたまま答えた。 「ファントム・レディは飲んだ者の姿形を変える酒なんです。ああ、ほら、そこの水槽」 男は言ってロイ達の後ろを指さす。三人が振り向けばそこには、小さな水槽の中の石の上に一匹の蝦蟇がのったりと座り込んでいた。 「そいつはファントム・レディを飲んだ男のなれの果てです。なんて不味い酒なんだと言いながら意地汚く飲み続けて、朝になったらそんな姿になってたんですよ」 「な……ッ」 男の言葉に応えるように水槽の中の蝦蟇が嗄れた鳴き声を上げる。男がなにやら小さな塊を水槽の中に投げ込めば、蝦蟇は長い舌を出してそれを受け止めゴクリと飲み込んだ。 「アナタは甘くて旨いって言いながら飲んでたから女の子になったのかな。よかったじゃあないですか、あんな醜い姿にならなくて」 「な……ぁ……」 「ハボック!」 ヘナヘナと座り込んでしまうハボックにロイは慌てて手を伸ばす。アンダーソンが男をもの凄い目で睨みつけて言った。 「それじゃあもし俺たちの誰かが不味いと言いながらでもあの酒を飲み続けてたら、俺たちもあんな姿になってたっていうのかッ?」 「そうかもしれませんね」 「貴様ッ!!」 なんでもないように頷く男にアンダーソンが殴りかかろうとする。ハボックを抱えていたロイが咄嗟に腕を伸ばしてアンダーソンを引き留めると言った。 「よせ。下手に手を出さない方がいい」 「でもッ………クソッ!」 怒りに駆られて、それでもロイの言うとおりだと握った拳を震わせてアンダーソンは男を睨みつける。ロイはハボックを支えながらゆっくりと立ち上がると男に言った。 「ハボックが女性になったのがいいか悪いかは別問題だ。いずれにせよ望まぬ姿になったことには変わりはない。今すぐハボックを元に戻す方法を教えてもらおうか」 言わなければただでは済まさないと言外に匂わせてロイが男を睨む。だが、男はロイの視線などものともせずにグラスを磨きながら言った。 「知りませんよ」 「……なんだと?」 「知らないと言ったんです」 男はロイに視線を向けもせずに答える。 「ファントム・レディは姿を変える酒です。私が知ってるのはそれだけ」 そう言いながら男は、磨き上げたグラスを目の高さに掲げて磨き上がりを確かめた。磨き残した部分を見つけるとキュッキュッとこする。綺麗に出来上がると満足そうに笑ってグラスを見つめる男にハボックが怒鳴った。 「それだけってどういう事だよッ!元に戻る方法、アンタ知らないのかっ?!」 「だからそう言ってるじゃないですか」 男はさもうるさそうにハボックを見て言う。 「誰がどうやって作ったんだか、ファントム・レディは飲む者の姿を変える。ずっと昔の錬金術師が作ったって言う説もありますがね。私はこの店でファントム・レディを飲んだ客が姿を変えるのを見ているだけです」 「……何のために?」 ハボックが震える声で尋ねれば男は笑って答えた。 「だって楽しいじゃないですか」 「「……ッッ!!」」 そう答える男にハボックとアンダーソンが殺気立つ。二人をグッと押しとどめてロイが男を睨みつけた。 「楽しいでしょう?姿形が変わってしまって絶望にうち震える姿を見るのはゾクゾクする。その男も最初のうちはゲコゲコ随分うるさく喚きたてていたもんです。そのうち諦めて静かになっちゃいましたけど」 男はそう言ってハボックを見る。 「ファントム・レディを飲んでアナタみたいに綺麗な姿になった人は初めて見ました。せいぜい良くて犬とか鳥とか……蜘蛛や百足になった人もいましたよ」 その言葉にハボックが息を飲んで目を見開いた。 「いいじゃないですか。察するにアナタ方恋人同士なんでしょう?男同士で恋人でいるより男女の方が世間の目を気にすることもないし結婚だってできるんだし。そう思えばファントム・レディを飲ませて貰ったことを感謝して欲しいくらいだ」 男がそう言った瞬間、手にしたグラスが粉々に砕け散る。発火布をはめた手を突き出してロイが言った。 「下衆が。御託を並べるのもいい加減にしろ」 「……乱暴なお人だ」 男はそう言ってため息をつく。片づけるのが大変だとぶつぶつ文句を言っている男にロイが低く言った。 「もう一度聞く。コイツを元に戻す方法をお前は知らないのか?知らないならお前以外に知っている者は?その酒を仕入れた先があるだろう?」 そう尋ねるロイに男は肩を竦める。 「知りません。この酒を仕入れたのはあまりに昔だから仕入先の人間はとうに死んじゃったと思いますよ」 「じゃあ、オレは……」 男の言葉にくずおれるハボックの体をロイが慌てて支える。カッとなったアンダーソンがカウンターを乗り越えて男に殴りかかろうとした。だが。 「うわッ?!」 男に手が届くと思った瞬間、何かの障壁に弾かれたようにアンダーソンの体が後方に吹き飛ぶ。ダンッと壁に叩きつけられたアンダーソンをチラリと見て、ロイは発火布をはめた手を翻した。白い指先から迸った焔が男めがけて襲いかかる。男は軽く腰を屈めるとヒョイとジャンプして焔をかわした。 「おお、コワいコワい」 男はおどけた調子でそう言うと店の奥へ逃げ込む。 「ここにいろ、ハボック!」 「大佐っ」 ロイは蹲るハボックをその場に残すとカウンターを飛び越えて男を追いかけた。 「待てッ!」 男を追ってロイが飛び込んだのは何やら雑多なものが押し込まれた部屋だった。酒瓶やグラスの類は勿論、訳の判らない置物や小鳥の入ったケージもある。その部屋の中央で男は一本のボトルを手に立っていた。 「しつこいですねぇ、アナタも」」 「貴様からハボックを戻す方法を聞き出すまでは聞き出すまでは逃がさない」 「だから知らないというのに」 思いきり嫌そうな顔で男は言うとため息をつく。ロイはそんな男をねめつけて言った。 「お前自身が知らなくとも誰か知っている人間はいるはずだ。答えろ」 いつでも焔を繰り出せるよう、発火布をはめた手を構えてロイが言う。男はふと興味を駆られたようにロイを見て言った。 「どうしてです?彼女は十分に美しいし、男だろうが女だろうが恋人であることに変わりはないでしょう?女性の方が障害だって少ないし、別に無理に戻る必要はないじゃないですか」 なのに何故、と尋ねる男にロイは答える。 「ハボックが男だろうが女だろうが私の気持ちに変わりはないが、ハボック自身あの姿でいることを望んでいない。アイツが元に戻りたいというならその願いを叶えてやりたい。それに私は互いに男であることが障害になっていると思ったことはない」 「なるほどねぇ」 ロイの言葉を聞いて男は感心したように頷いた。 「納得したなら答えて貰おう」 そ う言うロイに男は申し訳なさそうに笑う。 「答えて差し上げたいのは山々なんですが、本当に私は知らないんですよ」 男が言えばロイが手を突き出した。男は困ったように宙を見上げていたが思い出したように手を叩く。 「アナタが望む答えは知りませんが、代わりにこれを差し上げましょう」 男がそう言って手を翻せば魔法のようにボトルと本が現れた。 「これで勘弁してください。それじゃあ私はこれで」 にっこりと笑う男にロイがハッとする。 「待てッ!」 だが、慌てて伸ばした手が触れる前に男の姿が忽然と消え失せる。後には部屋の真ん中にファントム・レディのボトルと一冊の本が残されているだけだった。 |
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