| 幻想女神 第二十五章 |
| 夕方、定時よりは早い時間に仕事を切り上げてもう一度司令室に来るということで、アンダーソンは仕事に戻った。それまでの時間、ロイは仕方なしに執務室で書類に取り組むことになった。 「電話で用件を済ませればよかった」 そう言って渋面をつくるロイの机の上にホークアイは容赦なく書類の山を作っていく。 「別に残業になっても構いませんが、そうなるとハボック少尉をアンダーソン伍長と二人きりで店に行かせなくてはなりませんわね」 ホークアイの言葉にロイは走らせていたペンを止めた。書類から視線を上げれば澄ました顔のホークアイと目が合って、ロイは思い切り顔を顰める。 「意地が悪いな、君も」 「今にも逃げ出しそうにお見受け致しましたので」 「……人聞きの悪い」 ちょっとの間の後、ロイはそう言って再び書類に視線を落とすともの凄い勢いで書き始めた。そんなロイにクスリと笑ってホークアイは執務室を出る。そうすれば手持ちぶさたで窓から外を見ているハボックの姿が目に入って、ホークアイはハボックの側へと近づいていった。 「ハボック少尉」 「あ、中尉」 声をかければハボックが肩越しに振り向く。ホークアイはいつもよりずっと低い位置にあるハボックの空色の瞳を見つめて言った。 「退屈そうね」 「ええまあ」 聞かれてハボックは困ったような笑みを浮かべる。視線を落として床をカツカツと靴の爪先で蹴りながら言った。 「参加は出来ねぇけど、指示は出来るから訓練見に行きたいって言ったんスけど大佐が絶対ダメだって。別に見に行くくらいどうってことないのに」 司令部の外なら心配するの判るけど、なんで?と唇を尖らせるハボックを見てホークアイは苦笑する。この少尉殿には幾ら言っても自分の魅力を理解させるのは無理らしい。 「自分が大嫌いな書類に埋もれてるのに、貴方一人青空の下でのびのびするのが気に入らないのよ」 「うわぁ、ガキくせぇ」 そう言って顔を顰める様こそどこか幼い。そんなところが庇護欲をそそるのだろうかと考えて、ホークアイはハボックの金髪に手を伸ばして言った。 「仕方ないわ、ジャクリーン。私達の上司は身勝手でガキくさい男なのよ。我慢しなくては」 言いながら金髪を撫でる細い指に、ハボックは擽ったそうに首を竦めてクスクスと笑う。同じように笑みを浮かべているホークアイを見つめて言った。 「オレで出来ることがあれば手伝うっスから。ファイルの整理でもします?姉さん」 「そうね、お願いしようかしら」 本当の姉妹のように笑いあって、ハボックはホークアイが出してきたファイルを受け取ったのだった。 「まったく、来ていると判るとここぞとばかりにこき使いやがって」 ロイは秀麗な顔には似つかわしくなく口汚く罵りながら廊下を歩いていく。司令室の前まで来て、扉に群がる男どもの姿に思い切り目を吊り上げて怒鳴った。 「何をしているッ!さっさと仕事をせんかッ!!」 ロイの怒声に蜘蛛の子を散らすように逃げていく男達を睨みつけてロイはフンッと鼻を鳴らす。司令室の扉を開けば机の上に椅子を乗せた更にその上に立つハボックと目が合って、ロイはギョッとして立ち止まった。 「なっ、何してるんだッ、お前はッ?!」 「えっ、アッ、急にデカい声出さねぇで…っ」 驚いたのだろう、ハボックは椅子の上でふらふらと体を泳がせる。バランスを取り戻せずグラリと傾ぐハボックの体にロイは慌てて手を伸ばした。 「危ないッ!!」 「うわ…ッ」 伸ばした腕の中に落ちてくる体をロイは必死に受け止める。ハボックの体だけでなく椅子まで倒れてきて、ロイは自分の体でハボックを庇った。 「ッ!テッ!!」 「たいさッ!」 椅子がロイの肩に当たるのを見たハボックが悲鳴混じりの声を上げる。イテテと肩をさすれば心配して縋りついてくるハボックをロイはジロリと睨んだ。 「何してるんだッ、お前はッ」 「電灯、切れちゃったから代えようと思って……」 「管理課に頼めばいいだろうッ」 「だって、暇だったんだもん。それにいつもなら……」 手が届くから、と小声で言って俯くハボックにロイはため息をつく。ハボックの頬に手を添えて顔を覗き込んで言った。 「怪我は?」 「ないっス。大佐こそ、肩っ」 「大したことない」 ロイはそう言うとハボックの手を引いて立ち上がる。恐らく扉に群がっていた男どもは、天井の電灯を代えようと背を伸ばして四苦八苦するハボックの姿を鼻の下を伸ばして眺めていたのだと思うと、ロイは燃やしてやらなかったことを激しく後悔した。ショボンと俯くハボックの顎を掬ってロイはそっと唇を合わせる。チュッと音を立てて顔を離すとロイはハボックの髪を撫でた。 「アンダーソンが来るまでにはまだ少し時間があるな。ちょっと休憩してこようか」 「でも、大佐、仕事は?」 「もともと休暇中なんだ。別にやらなくても文句を言われる筋合いはない」 終わらなければ残業だ、と言ったホークアイの言葉が頭を掠めたが、そもそも本気で言ったのではないだろうと判断してロイはハボックの肩を抱いて司令室を出る。丁度廊下を戻ってきたブレダに管理課への連絡を頼んでそのまま外へと出た。司令部からさほど離れていないコーヒーショップまで来ると、カランとドアベルを鳴らして扉を開けた。 「大佐、ハボックさん!」 そうすれば途端に中から声がかかってマスターが笑顔で迎えてくれる。カウンターに座るとコーヒーとケーキを頼んだロイに頷いて、マスターは支度をしながら言った。 「ハボックさん、体の調子はどう?どこか具合が悪くなったりはしてないかい?」 そう聞かれてハボックは首を振る。 「平気。まだ元には戻れてないけど、元気」 答えて笑みを浮かべるハボックにマスターは目を細めた。色々思い悩むこともあるだろうに笑って見せるハボックに、マスターは胸を痛めながらも何も言わずにコーヒーとケーキを二人の前に差し出した。 「どうぞ。このケーキ新作なんですよ」 「ホント?来てよかったっスね、大佐」 「ああ、そうだな」 ハボックはニコッと笑うとケーキにフォークを入れる。パクリと食べて、パッと顔を輝かせて言った。 「旨い!これ、オレンジじゃないよね?オレンジよりさっぱりしてて、いいな、これ」 「伊予柑っていう柑橘類なんだよ。意外とおいしいでしょう?」 「うん、とっても。ね?大佐」 そう言って笑いかけてくる空色の瞳を見返して、ロイはハボックの頭をぽふぽふと叩く。不思議そうに見上げてくるハボックの肩を抱いて引き寄せると、ロイはマスターに言った。 「コイツが酒を飲んだ店が判りそうなんだよ。今夜にでも行ってくるつもりだ」 そう言えば腕の中のハボックの体が大きく震える。宥めるように抱く腕に力を込めるロイにマスターが言った。 「そうなんですか?だったらもう戻れたも同然ですね!」 「まだなんとも判らないがね」 「いや、絶対大丈夫ですよ!よかったですね、ハボックさん」 「う、うん……ありがとう」 ニコニコと笑うマスターにハボックも笑い返す。二人はケーキとコーヒーで一服入れると司令部に戻るため立ち上がった。 「今度会う時はいつものハボックさんですね」 「そうだといいけど」 「大丈夫!会うのを楽しみにしてますから」 満面の笑みを浮かべるマスターに見送られて二人は夕暮れが迫る通りを歩き出す。店が見えないところまで来た時、不意にハボックが足を止めた。 「ハボック?」 抱いた肩を引き寄せてロイはハボックの顔を覗き込む。視線を足下に落として俯いたままハボックは言った。 「ホントに戻れるのかな……。バーの場所が判ったとして、あの酒のせいじゃなかったらオレ、どうしたら……ッ」 「ハボック」 胸元でギュッと両手を握り締めて呻くように言うハボックをロイはギュッと抱き締める。 「大丈夫だ、ハボック。大丈夫」 今のロイには全ての不安からハボックを守るように、強く抱き締めそう言ってやることしか出来なかった。 |
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