幻想女神  第二十四章


「失礼致します!マっ、マスタング大佐がお呼びと伺ってまいりました、アンダーソン伍長でありますッ」
 めちゃくちゃに鯱張って敬礼をするアンダーソンに皆が一斉に目を向ける。あの焔の錬金術師、マスタング大佐に名指しで呼びつけられたという事で既にいっぱいいっぱいだったアンダーソンは、司令室中のメンバーの視線を浴びて半ばパニックに陥ってしまった。
「あのっ、あのっ、あのっ……申し訳ありませんッ、サー!」
 咄嗟にそう叫ぶアンダーソンにロイは器用に片眉を跳ね上げる。アンダーソンを見て笑みを浮かべると言った。
「貴官はなにか私に謝罪しなければならないような事をしたのかね?」
「あっ、いやっ、そう言うわけではッ」
 ロイに聞かれてアンダーソンは慌てて首を振る。「大佐」とホークアイに窘められて、ロイは肩を竦めるとハボックの肩を抱いてソファーに腰を下ろした。アンダーソンに側にくるよう身振りで示して言う。
「来て貰ったのは他でもない、ちょっと教えて貰いたい事があったからだ」
「は、はいっ、自分で判ることでしたらっ」
 アンダーソンはロイの前に直立不動の姿勢で立つと答えた。ロイは傍らのハボックに目をやり、その金髪をくしゃりとかき混ぜて言った。
「こちらの女性に見覚えは?」
 そう聞かれてアンダーソンは司令室に入ってきてから初めてハボックへと目を向ける。その顔を見て「あ」と声を上げた。
「はい、数日前に司令部へ来られました。自分に用事があるのかと思ったのですが、人違いと言ってすぐに帰っていかれましたが」
「以前からの知り合いではないのか?」
 そう尋ねるロイにアンダーソンはぶんぶんと音がしそうな勢いで首を振る。
「いえっ、とんでもないっ!あの時が初対面ですッ!」
(まさか俺が彼女に何かしたとか思われてんのかっ?)
 彼女に何があったか知らないが、全く関係のない自分が何かしたと思われては堪らない。必死に言い訳しようとするアンダーソンを片手をあげて制してロイは言った。
「なにも貴官を責めようというんじゃない。本当に彼女に見覚えはないか?よく見て欲しいんだが」
 言われてアンダーソンはロイの隣に腰掛けた女性をしげしげと見つめる。自分を見上げてくる困ったような縋るような視線は、ちょっと男の中枢を擽るようだ。
(あの時も思ったけど美人だよなぁ。流石マスタング大佐のガールフレンド)
 そんな事を思いながら見つめていれば、不意に名を呼ばれてアンダーソンは飛び上がった。
「マイク?」
「えっ?!」
 どうして判ってくれないのだという泣き出しそうな顔にアンダーソンはドキリとする。自分を見つめてくる空色の瞳をどこかで見たことがあると思った瞬間、スルリと言葉が唇から零れ出た。
「隊長……?」
 そう言ってしまってから慌てて手を振る。
「んなわけないですよねッ!何言ってるんだよ、俺ってば……あっ、判った!もしかして隊長の親戚かなにか───」
「マイクぅッ」
 そこまで言った時、いきなり女性にガバッと抱きつかれてアンダーソンはヒィッと喉奥で悲鳴を上げて目を剥く。怖くてロイの方を見られないアンダーソンの顔を間近で覗き込んで女性が言った。
「マイクっ、オレだよっ、判んないっ?」
「えっ?……ええ?」
 空色の瞳に間近から見つめられてアンダーソンは息を飲む。その瞳が本当に自分のよく知っているものだと気づいて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「え……?もしかして本当に隊長……?」
 そう尋ねればハボックはコクコクと頷いてアンダーソンをギュッと抱き締める。豊満な胸をグイグイと押しつけられて、アンダーソンはどうしたらいいか判らず、凝り固まって立ち尽くしていたのだった。

「本当に隊長だったとはびっくりしました」
 いい加減にしろとこめかみをヒクつかせたロイにハボックが引き離されて、漸く一息ついたアンダーソンはロイたちの向かいのソファーに座って言う。本当はどうしてそんな事になったのか聞きたくて堪らなかったが、自分の前に座るのがハボックだけでないとあれば尋ねるわけにはいかなかった。未だに信じられないと言う顔つきでチラチラとハボックを見るアンダーソンにロイは言った。
「それで、聞きたいのは数日前にハボックと行ったバーのことなんだが」
「ほら、みんなであちこち飲みに行った日、一番最後に行った店、あの店がどこにあるか教えて欲しいんだ」
 覚えてる?と縋るように聞かれてアンダーソンは首を捻る。少し考えて「ああ」と言う声と共にポンと手を叩いた。
「最後に行った店!なんかあの胡散臭いマスターがいた店ですね。多分判ると思いますが」
 そう言ったアンダーソンの目が「何故?」と問いかけているのを見てロイは腕を組んでソファーに背を預けて言う。
「その店で珍しい酒を飲んだろう?ファントム・レディとかいう」
「ああ、あの不味い酒ですか」
 そう言うアンダーソンはもの凄いしかめっ面だ。ロイはクスリと笑うと興味を覚えて尋ねた。
「どんな味だったんだ?」
「どんなってもう、泥水と便所の水と油を混ぜたらあんな味になるんじゃないかってくらい酷い味でしたよ」
 思い出したら気持ち悪くなったのだろう、口元を押さえるアンダーソンにロイは傍らのハボックをチラリと見る。面白がるような視線を感じて、ハボックは不貞腐れたように唇を突き出してロイを睨んだ。
「そう言えば隊長は旨い旨いって言って飲んでましたね。人によって味が変わるとか言ってましたけど、本当に旨いのかって信じられませんでしたよ。でも、もしそうなら不公平ですよね、自分はあんなに不味くてそれまで食ったもん吐きそうだったのに、隊長は全部飲んじゃうくらい旨かったなんて」
 特に他意はないであろうアンダーソンの言葉にハボックは眉間の皺を深める。そんなハボックとアンダーソンを見比べてロイはニヤニヤと笑った。
「不味くて正解だったかもしれんぞ、アンダーソン伍長。なにせハボックがこんな姿になったのはその酒が原因らしいからな」
「えっ?!」
 ロイの言葉にアンダーソンは目を丸くする。どこからどう見ても女性にしか見えないハボックを見て言った。
「隊長がこんな姿になったのは、あのファントム・レディとかいう酒のせいなんですか?」
 アンダーソンはそう言ってハボックの姿を頭のてっぺんから爪先まで何度も見る。その視線に居たたまれず、小さく身を縮めて俯くハボックの頭を肩に引き寄せて、ロイは言った。
「あの酒を飲んで家に帰って一晩寝たら女性になっていたそうだ。心当たりと言えばあの酒しかないとハボックは言ってる」
 そうだな?と聞かれてハボックは頷く。
「あの酒以外、初めて口にしたものなかったっスもん」
「や、でも酒飲んだだけで男が女に変わるなんて事があるんですか?」
「今現在目の前にその見本がいるだろう?」
 ロイにそう言われれば確かにそうではあるのだが、やはりどうにもすぐには信じられない。むしろ、ロイの錬金術でハボックが女になったという方がよほど信憑性があるように思えた。
「まあ、最終的にその酒が原因だとは断定出来んが、他に理由が思い浮かばないのでね。まずはその酒を出した店に行ってみたいんだが」
 と、ロイは言ってハボックを見る。
「生憎よほど酔っていたらしくその店の場所を覚えていないと言うんだ、ハボックは」
 まあ、酔ってなければそんな酒も飲まなかったろうが、と付け足されてハボックはソファーの上で身を縮めた。キュッと唇を噛んで不安そうに見上げられてアンダーソンはドキリとする。
(隊長、男の時も色っぽいとこあったけど、女になって凄さを増したっていうかなんていうか)
 顔を赤らめてそんな事を考えれば、さっきまでとは幾分トーンの下がったロイの声が聞こえてアンダーソンは慌てて背筋を伸ばした。
「いつまでもこれじゃ使いものにならないのでね。とにかく少しでも早くその店に行ってみたいんだが」
「でしたら今夜にでもご案内します。夕方になれば店の準備で開いてなくても人はいるかもしれませんが」
 背筋を伸ばして言うアンダーソンにロイはちょっと考えて答える。
「そうだな。営業時間中よりその前の方が話も聞きやすいだろう。仕事もあるだろうが頼めるか?」
「勿論です、サー!」
「ありがとう、マイク」
 ピッと敬礼をしてみせるアンダーソンに、ハボックはホッとしたように笑ったのだった。


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