| 幻想女神 第二十章 |
| 洗ってと言ってはみたものの、実際に洗って貰うと妙に恥ずかしさがこみ上げてくる。結局互いに洗えの洗えないのと押しつけ合っているうちに長風呂になってしまい、風呂を出た頃にはロイもハボックもすっかり逆上せてしまっていた。 「どうして風呂に入るだけでこんなに疲れなくてはならんのだ……」 ロイはぐったりしているハボックを寝室に運びながらぼやく。そうすればハボックが恨めしそうに腕の中からロイを見上げてきた。 「そもそも大佐が変なことするからっしょ」 「あれは科学者としての探求心の現れだ」 「そんな探求心、迷惑以外の何者でもないっス」 「だから悪かったと言ったろう?」 痛いところを責められてロイは眉尻を下げる。寝室に入るとハボックの体をベッドにそっと下ろした。優しく髪をかき上げてハボックに尋ねる。 「なにか欲しいものがあるか?」 「水飲みたいっス」 喉が乾いたと言うハボックにロイは頷いて寝室を出ていく。少ししてミネラルウォーターのボトルを手に戻ってきた。 「自分で飲めそうか?」 ロイがボトルを差し出しながら聞けばハボックがふるふると首を振る。ロイはボトルから一口口に含むとハボックの唇に己のそれを合わせた。ロイの口から流し込まれた水をハボックがコクリと喉を鳴らして飲み込む。唇が離れた途端、ハボックが「もっと」と強請った。 「ん……ん…」 何回かに分けて水を飲んだハボックは力の入らない腕を懸命に持ち上げてロイの体に抱きつく。必死に舌を絡めてしがみついてくるハボックをロイは軽く押し返してその顔を覗き込んだ。 「どうした、ハボック」 押し返されれば泣きそうに顔を歪めるハボックの頬をロイは撫でる。ハボックはロイのシャツを握り締めて囁くように言った。 「怖いんス……」 「ハボック?」 「オレ、元に戻れんのかな」 「ハボック」 「だって、誰に聞いてもあの酒のこと知ってる奴、いなかった。リアル・ガールだって偽物で……オレ、ずっとこのままなんじゃ…ッ」 そう言ってシャツを握り締めるハボックの手が小刻みに震えている事にロイは気づく。ロイは震える体をギュッと抱き締めて言った。 「大丈夫だ、ハボック。光があれば影があるように世の中には必ず対になる現象が存在する。男を女にする酒があるなら女を男にする酒だってある筈だ」 「たいさぁ…ッ」 きっぱりと言えばハボックがしがみついてくる。ロイはハボックの背中を宥めるように撫でながらも漠然とこみ上げてくる不安を禁じ得なかった。それでもその不安を表には出さずに笑ってみせる。 「傍にいるから、今日はもう休みなさい。明日からは二人で解決方法を探そう」 ロイはそう言ってハボックの隣に潜り込んだ。ハボックの体を引き寄せ抱き締めれば金髪の頭が擦り寄ってくる。 「ごめんなさい、たいさ……」 消え入りそうな声でそう言うハボックを抱く腕に力を込めて、ロイは金髪に顔を埋めたのだった。 翌日はこの季節には珍しく朝から雨だった。どんよりと垂れ込めた空からしとしとと重たい雨が降ってくる様は二人の心を暗くさせる。ぼんやりとベッドの上で体を起こしたまま窓の外へと目を向けるハボックの姿に、ロイはため息をついて歩み寄った。 「ハボック、朝飯の準備が出来てる」 そう言って金色の髪にキスを落とせばハボックがハッとしてロイを見る。慌ててベッドから足を下ろして言った。 「すんません、オレ、なんかボーッとしてて…ッ」 「いいから慌てるな」 足をもつれさすようにして寝室を飛び出していこうとするハボックの腕を引いてロイが引き留める。不安そうに見つめてくる空色の瞳を見てロイは笑みを浮かべた。 「疲れてるんだろう、私が作ったのでは不満もあるだろうがたまには私に任せろ」 ロイはそう言ってハボックを引き寄せる。チュッと額に口づけてロイはハボックの肩を抱くようにして階段を下りた。ベーコンエッグと千切ったレタスと温めたパンと、簡単だが心の籠もった食卓を前にハボックは泣きたくなった。 「ほら、温かいのがご馳走だ。さっさと食べよう」 ロイにそう言われて席につくと二人は食事を始める。ポツポツと言葉を交わしながら食べ終えてコーヒーのカップを手にしたロイが言った。 「今日は図書館で少し調べものをしようと思う。闇雲に歩き回っても埒があかなさそうだからな」 「オレは?」 「お前も一緒においで。二人で一緒に調べるんだろう?」 そう言われてハボックはロイを見つめる。揺れる空色の瞳にロイは笑って席を立った。テーブルを回ってハボックの傍までくると金色の頭を抱き締める。 「そんな顔をするな。大丈夫だと言っているだろう?それとも私が信じられないか?」 「んなことないっス!」 ハボックは答えてむずかるようにロイの腕の中で頭を振った。ロイの腰に腕を回してギュッとしがみつく。 「たいさ……」 「大丈夫だ、ハボック、大丈夫」 呪文のように繰り返して頭を撫でてくるロイに、ハボックは唇を噛み締めてしがみつく腕に力を込めたのだった。 「なにから調べるんスか?」 図書館の書架の間を歩きながらハボックが聞く。ロイはハボックの前を歩きながら答えた。 「まずは酒の辞典あたりからか。まああまり当てにはならんが。それと民間伝承。奥の書庫も開けさせよう」 「国家錬金術師の特権?」 「使えるものはこの際最大限使わせて貰おう」 普段それだけの働きをしているのだからとロイは言って目当ての本を探し出していく。二人は図書館の机の上に大量の本を積み上げて、この騒動の元となった酒の事を調べていった。 途中昼食のサンドイッチを頬張った以外は殆ど休憩も取らずに調べたものの、芳しい成果も上がらずに時間だけが過ぎていく。ハボックは見ていた本をパタンと閉じて言った。 「辞典なんかじゃほとんど載ってないっスね。載ってても名前と見た目くらい。どこの酒かも判んない」 「そんなんじゃ何の参考にもならんな。むしろ民間伝承の方がいいかもしれん」 「伝承って眉唾もんが多いんじゃないっスか?」 「その中に意外と真実が隠れているものだよ」 ロイはそう言って分厚い古書をめくっていく。ハボックはため息をついて立ち上がると窓から外を眺めた。雨に閉じ込められた街は夕方になり一層薄暗く、ガラスにぼんやりと自分の姿が映って見える。ほっそりとした女性らしいその面立ちに、ハボックはたまらずガラスを拳で叩いた。静かな図書館の中でその音はかなり大きく響いて、本を読んだり探したりしていた人々が非難するようにハボックを見る。ロイは読んでいた本をそのままに立ち上がるとハボックの傍に歩み寄った。 「ハボック」 「大佐、オレのこの顔焼き潰してくんない?」 「なに馬鹿な事を」 「無理ならオレの目、潰して」 「ハボック」 「だって、もう、見たくない…ッ」 生来の自分とは違うほっそりした指も豊かな胸もくびれたウエストも。ふとした弾みにガラスに映る影すら耐え難くてハボックは嗚咽を零す。ロイはハボックを窓から引き離すと窓に背を向ける場所に座らせた。 「図書館での調べものは今日はここまでにして家に戻ろう。本を片づけるからお前はそこで待ってなさい」 ロイはそう言って出してきた本を順番に戻していく。ぼんやりと俯いて椅子に座っていたハボックは上から降ってきた声に視線を上げた。 「ジャクリーン!今日は店に出てなかったから残念だと思ってたけどこんなとこで会えるなんて。ねぇ、この後時間ある?一緒に食事でもどうかな」 ハボックには見覚えがなかったが、どうやらマスターのところで会った客の一人らしい男は、嬉しそうに声を弾ませて言う。誘いの言葉を喋り続ける男をハボックは黙って見上げていたが、やがて唇を震わせて怒鳴った。 「オレは女じゃねぇッ!」 ハボックはそう声を上げると椅子を蹴立てて立ち上がり、男を突き飛ばすようにして走り出す。丁度その時戻ってきたロイが慌ててハボックを追った。 「ハボックっ、待てっ、待つんだっ!」 図書館を出たところで追いついたロイはハボックの腕を掴む。ハボック振り解こうとして解けない手の主を泣きそうな顔で睨みつけた。 「ハボック」 「今日一日調べたけど何にも判んなかった」 「ハボック」 「みんなオレの事、女としか思わない。もうヤだ」 呻くように言うハボックの体をロイはかき抱く。強く抱き締めれば腕の中のハボックがくぐもった声で言った。 「大佐、オレの事抱いて?めちゃくちゃにして何も考えられなくして…ッ」 その言葉にロイは瞬間見開いた目を辛そうに閉じる。ハボックを抱き締める腕に力を込めて囁いた。 「駄目だ、ハボック。それでは何の解決にもならない」 そう告げればハボックの瞳からポロポロと涙が零れて落ちた。 |
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