幻想女神  第二章


 ようやく司令部の建物が見えてきて、ハボックはホッとする。時刻は昼を過ぎた頃で、この時間ならマイク達は小隊の詰め所にいるだろう。そう思いながら司令部の門をくぐり中へと入ろうとしたハボックは警備兵に呼び止められて足を止めた。
「ちょっと!勝手に入って行っちゃダメだよっ!」
「え?あの、オレ……」
 ハボックだけど、と言いかけたもののこんな格好になっている説明が思いつかず、困ったように目を見開くハボックを警備兵はジロジロと見つめる。普段よく顔を合わせている警備兵の方から何か聞いてくれないかと思っていると、その警備兵が口を開いた。
「誰かに会いに来たのかい?」
 そう聞かれてハボックは見開いた目を更に大きく開いた。
(うそ、オレだって判んねぇの?)
 答えないハボックを警備兵は胡散臭そうに見る。その時、警備兵の向こうに演習場の方から歩いてくる部下達の姿が見えてハボックはハッとして声を上げた。
「マイク!」
 そう声を張り上げれば警備兵が後ろを振り向く。尋ねるような視線に呼び止められたマイクは「俺?」と言うように自分を指さすと近くまでやってきた。
「お客みたいですよ」
 そう言われてマイクはハボックの顔を見る。ハボックが口を開くより先にマイクが言った。
「ええと、どこかでお会いしましたっけ?こんな美人と会ってたら忘れるわけないんだけどなぁ」
 へへへ、と笑ってマイクは頭を掻く。ハボックはその答えに呆然としていたが、やがて唇を噛んで俯いた。
「ごめんなさい……人違いみたい……」
 そう呟くとマイクに背を向けて歩き出す。警備兵とマイクの視線を感じながらハボックは司令部の門を出ると少し行ったところで立ち止まった。
「オレのこと、判んなかった……」
 部下に会ったら何か言われるだろうとは思っていた。『隊長、なんでそんな気持ちの悪い事になってるんです?』とひとしきり騒いだ後、一緒に店に行ってまではくれなくとも、何某かの相談には乗ってくれるとばかり思っていたのに。相談に乗ってくれるどころか、普段顔を合わせている二人に判らないなんて、自分はそんなに変わってしまったのだろうか。ハボックは暫くの間そこに立ち尽くしていたが、ふるふると首を振って唇を噛む。勢いよく歩き出しながら呟いた。
「とにかく店!見つけないと!見つければ全部解決するんだから」
 そう呟いてハボックは足を早める。早くなった歩調はいつしか走るそれへと代わり、ハボックは夕べ騒いで歩いた繁華街目指して一直線に走っていった。
「近くに行けば判る筈」
 ハボックはそう思いながら飲食店の連なる界隈を足早に歩いていく。狭い路地を覗き、高いビルの間の抜け道を通ってハボックは夕べ最後に飲みに入ったバーを探し続けた。だが。
「なんでねぇの……?」
 必死になって探したものの、昨夜のバーはどうしても見つからなかった。気がつけば陽は西に傾き、辺りは刻一刻と夕闇に包まれつつあった。辺りが暗くなってくると気持ちもだんだん焦ってくる。すぐ見つかるとばかり思っていたことも相まって、ハボックは焦りと不安に駆られて必死になって店を探し続けた。
「ない……」
 虱潰しに探したものの目指す店はどうしても見つからなかった。夜の街を楽しもうと繰り出してきた人々で賑わう通りにハボックは呆然と立ち尽くす。どうしようとパニックに陥りそうになった時、ドンと肩を押されてよろめいたハボックの腕を誰かが掴んだ。
「…と、ごめん。大丈夫?」
 そう言う声に振り向けばブレダとファルマン、フュリーが自分を見ている。ハボックはホッとして泣きそうな顔で笑った。
「ブレダ……」
「えっ?」
 呟くように名前を呼べば、友人である男が目を見開く。驚いたようにハボックの顔をマジマジと見つめて言った。
「あー、どっかで会いましたっけ?全然覚えてなくて。……なあ?」
 ブレダは困ったように言って背後のファルマンとフュリーを振り向く。尋ねる視線を向けられた二人は申し訳なさそうに首を振った。
「なに言ってんのさ、ブレダ、オレだよ!ファルマンとフュリーも、冗談やめてくれよなッ」
 三人の反応にハボックが思わずそう声を荒げれば、三人はますます困惑した表情を浮かべる。ブレダは頭をボリボリと掻きながら言った。
「えっと、どっかのバーであったのかな。悪い、酔ってて全然覚えてないな」
 すまなそうにそう言うブレダをハボックは信じられないように見つめていたが、なにも言わずに背を向けて走り出す。呼び止める声が聞こえた気がしたが、構わず行き交う人々の間をすり抜けて走った。闇雲に走って息があがったハボックは街灯のポールに掴まって立ち止まる。ハアハアと俯いて息を整えていたハボックが顔を上げれば、店のガラスに映る自分の姿が見えた。
「………うそ」
 そこに移っているのは金髪に空色の瞳の女性だった。男だった時よりほっそりとした顔は肩まで届く金髪に縁取られている。柔らかなカーブを描く体は見事なプロポーションで、どこからどう見ても女性にしか見えなかった。ハボックの姉妹だと言って紹介されれば「なるほど」と頷くかもしれない。だが、今のハボックの姿から東方司令部のジャン・ハボック少尉を連想しろと言われても誰も判らないだろう。
「そんな……」
 事態は自分が考えていたものよりずっと深刻なのかもしれない。完全に女性と化してしまった自分の姿を、ハボックはただ呆然として見つめていた。


 気がついたときにはアパートの玄関に座り込んでいた。ハボックはのろのろと立ち上がると、着ていたジャンパーを脱ぎながら奥へと入っていく。ジャンパーを床に落とし、Tシャツを脱ぎ捨てジーンズも落とした。最後に身につけていた下着すら脱ぎ捨ててハボックは裸になるとクローゼットの鏡の前に立つ。薄暗い部屋の中、鏡の中に浮かび上がる白い裸体をハボックはじっと見つめた。
「ホントに女の子になっちゃったんだ、オレ……」
 豊かな盛り上がりを見せる白い胸の頂を彩る薄紅の飾り。キュッとくびれたウエストの下には髪の毛より若干色合いの濃い陰毛が生えていた。いつもならそこから覗いているはずの楔は見あたらず、ハボックはそっと股間に手を伸ばす。指先に触れたその形は生来のものとは全く違っていて、ハボックはがっくりと膝をついた。ガタガタと震え出す体をギュッと抱き締める。怖くて怖くて仕方なかった。
「たいさ……助けて…っ」
 ハボックはそう呻いてボロボロと涙を零した。


「おはようございます、大佐」
 司令室の扉を開けば元気な曹長の声が飛び出してくる。
「おはよう」
 ロイは笑ってそれに答えると、続いて声をかけてくる部下達にも同じように返した。
「ハボックはどうした?」
 昨日は非番だったのだから早めに来ているだろうと思っていた部下の姿がない事に、ロイは眉を寄せて言う。
「今日はまだ来られてません」
 そうフュリーが答えるのを聞いて、内心がっかりと肩を落とした。
「来たらすぐ執務室に来いと言ってくれ」
 ロイはそう言って執務室に入る。扉を閉めるとハアとため息をついた。
 昨日はハボックが非番で顔を見られなかった。夜、電話を入れてみたが出かけているのかむなしく呼び出し音がなるばかりで、ロイは正直かなりがっかりとしたのだ。
 ハボックとロイは数ヶ月前からつき合うようになっていた。互いに男は絶対にお断りだと思っていたから、気持ちを認め、うちあけてつき合うまでには紆余曲折いろいろあったが、今ではお互いになくてはならない存在だと思っている。特にロイは、自分でも信じられないほどハボックに心惹かれていて、たとえ一日でも顔が見られないと辛くて仕方がないほどだった。
「やはり一緒に暮らすかな……」
 以前から考えていたことをロイは口にする。一緒に住めばたとえ非番だろうと関係ないわけで、ロイはハボックが来たら一番最初にそう言おうと決めるとたまった書類を片づけるべく椅子に腰を下ろした。


 書類に集中していたロイは、壁の時計を見て顔を顰める。来たらすぐに執務室へ来るよう言いおいたにもかかわらず、姿を見せないハボックに舌打ちすると立ち上がって執務室の扉を開けた。
「ハボックはどうした」
 そう言うロイの声に書類を書いていたブレダが顔を上げる。きょろきょろと部屋の中を見回して、最後にロイの顔を見ると言った。
「そういや今日はまだ見てませんね」
「……休みか?」
 具合でも悪くなったのだろうかとロイが聞けばブレダが首を傾げる。
「いや、特にそう言う連絡は入ってないと思いますけど。詰め所の方に直接行ったんですかね」
 朝から演習があればそう言うこともあるかもしれない。だが、昨日は非番で何か急ぎの用件がないとも限らないとすれば、一度はこちらに顔を出しそうなものだ。眉間に皺を寄せるロイを見てブレダが言った。
「詰め所に連絡してみますよ」
 そう言って受話器を取る。内線ボタンを押して少し待つと電話口に出た相手と二言三言話した。ブレダは受話器を置くとじっと自分を見ているロイを見上げて言った。
「詰め所の方に今日は具合が悪くて休むって連絡があったらしいです。演習の予定があるんでその指示があったって」
「こっちには連絡がないのに?」
「相当変な声だったらしいですよ。とりあえずあっちにだけ急ぎで連絡して、こっちに連絡する前にへばっちまったんですかね。詰め所に連絡すればこっちにも回ると思ったとか」
 首を傾げながら言うブレダにロイはもういいと手を振って執務室に戻る。具合が悪いというのは心配だがこちらに連絡を寄越さないというのは問題だ。
「なにをやってるんだ、アイツは」
 苛立ちを含んだ声でそう呟くと、ロイは乱暴な仕草で椅子に腰を下ろした。


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