| 幻想女神 第十七章 |
| 「ああ、ほら、ここだ」 ロベルトがそう言って立ち止まった店の看板をハボックは見上げる。ラツァリーネと光るネオンはどこかけばけばしく、ハボックは眉を顰めて呟いた。 「ここにあの酒のことを知ってる奴がいるのか…」 「おい、入るぞ」 睨むように看板を見上げるハボックにロベルトが言う。ハボックは扉を押し開いて中へ入っていくロベルトを、慌てて追って後に続いた。 「よお」 「あ、ロベルトさん」 薄暗い照明に照らされた店内は酒と煙草の匂いが充満している。顔見知りのウェイターに声をかければ、振り向いた若いウェイターはロベルトと後から入ってきたハボックをジロジロと眺めて言った。 「オーナーなら奥の部屋にいますよ」 「ああ、ありがとう」 よほどそのオーナーと親しいのだろう、用件も聞かずにウェイターはロベルトを奥の部屋に促す。ロベルトも勝手を知ったるという様子でまっすぐに店を抜けると奥の扉を開いた。 「ルーカス」 ロベルトは中にいた口髭をたくわえたがっしりとした男に声をかける。男は笑みを浮かべてロベルトを迎えると手を握りその背をバンバンと叩いた。 「ロベルト!最近ちっとも店の方に来てくれねぇじゃないか」 「悪い悪い、ちょっと色々立て込んでてさ」 ロベルトは大袈裟に痛がって見せながら答える。二言三言互いの近況を尋ねる言葉を交わした後、ルーカスと呼ばれた男はハボックへと視線を向けた。 「その子が電話で話してた子かい?」 「ああ、そうそう。えっと……そういや名前まだ聞いてなかったな」 「ジャクリーン。アンタが酒の事知ってる人?」 一瞬だけなんと答えるか迷ってハボックはそう名乗ると手を差し出す。握手を交わしながら尋ねればルーカスが答えた。 「俺はルーカスだ。この店のオーナーをしてる。ファントム・レディの事を聞きたいんだったな」 どこへ行っても何度聞いて回っても冷たい答えしか返ってこなかった名前を、男がごく自然に口にしたことでハボックは期待に顔を輝かせて頷く。 「そう!知ってるのかっ?教えて欲しい事があるんだ!」 ハボックの表情にルーカスは苦笑して言った。 「まあそう焦りなさんな。まずは座ってどうしてその酒の事を知りたいのか教えてくれ」 ルーカスはそう言ってハボックに座るよう促す。ハボックが勧められるままソファーに腰掛ければ、ルーカスがテーブルを挟んで正面に、ロベルトが壁際に置かれたソファーの壁とは反対側にハボックと並んで腰を下ろした。 「ファントム・レディの事を知ってる人間は殆どいないんだが、どこでその酒の名前を?」 ルーカスにそう尋ねられてハボックはチラリとロベルトを見る。ロベルトは肩を竦めて答えた。 「酒の事を知ってるかとしか言ってないんだ」 その言葉を聞いて、ハボックは少し迷ってからロベルトに話した事と同じ内容をルーカスに話す。男は目を見開いてハボックを上から下までジロジロと眺めて言った。 「じゃあ、アンタ本当は男でファントム・レディのせいで女になっちまったわけ?」 「うん。ファントム・レディってそう言う効果のある酒なの?アンタ、あの酒の事よく知ってるんだろう?」 「あ、ああ、そうだけどよ」 ハボックに聞かれてルーカスは慌てて頷く。それから早口に言った。 「そう言う効力があるって言うのは聞いてたけど、まさか本当に性別が変わるなんて思っちゃいなかったから」 だってそうだろう?と言われてハボックも仕方なしに頷く。ハボックだって酒を飲んで女になるなど思ってもみなかった。例えそういう話を知っていたとしても、実際に目で見るまでは半信半疑というのが実状だろう。 「元は男ねぇ……」 ルーカスは身を乗り出してハボックをジロジロと見つめる。不意に毛の生えた手を伸ばしてきたかと思うと、ハボックの胸を鷲掴んだ。 「わああッ!!」 いきなりふくよかな胸を大きな手で掴まれて、ハボックは飛び上がる。距離をとろうと立ち上がったものの片側に壁、もう反対側にはロベルトが座っており、ハボックはテーブルとソファーの間で胸を抱き抱えるようにして立ち竦んだ。 「なにするんだッ!!」 「ああ、ごめんごめん」 突然の暴挙にハボックが喚いたがルーカスはまるで悪びれた様子もなく笑う。 「いや、その胸、本物かなぁと思ったもんで、つい」 「本物に決まってんだろッ!女の子になっちゃったんだからッ!」 「まあまあ、悪気はないんだから座れよ、ジャクリーン」 キッと目を吊り上げて怒鳴ったハボックはロベルトに宥められてソファーに腰を下ろした。警戒するようにソファーと壁で出来た角に背を貼り付けるようにしているハボックを、まだジロジロと眺めながらルーカスが言う。 「そんな怒らないでくれよ。酒の事は知ってても本当に性別が変わった奴なんて始めてみるんだ。興味を持っても不思議じゃねぇだろ?」 ルーカスはそう言ってニヤリと笑った。 「胸は確かに本物だったな。ってことは下もか?」 「な…っ」 「おい、ルーカス、その辺にしとけよ」 真っ赤になって絶句するハボックにロベルトが苦笑して言う。ルーカスは「ははは」と笑ってソファーに背を預けると言った。 「アンタが本当に女になったのは判った。確かにファントム・レディは口にした人間を性転換させることの出来る酒だ。で?何を知りたいって?」 「元に戻る方法だ。男に戻る方法を教えてくれないか?」 聞かれてハボックが答える。身を乗り出すようにして聞いてくるハボックをじっと見つめてルーカスが言った。 「別に女でもいいんじゃないか?アンタ美人だし、いいじゃないか」 「じょ…冗談ッ!いいわけないだろッ!!」 ルーカスの言葉にハボックはカッとなって怒鳴る。 「オレは男なんだ。美人だろうがなかろうが、女なんて絶対に嫌なんだよッ!」 ハボックはそう怒鳴ってしまってから唇をギュッと噛んだ。ルーカスの顔をじっと見つめて言う。 「頼む、元に戻る方法を知ってるなら教えてくれ。オレ、どうしても元に戻りたいんだ」 必 死の形相でそう言うハボックをルーカスは見つめ返す。フム、と腕を組んで言った。 「方法を知らないわけじゃないが」 「本当かっ?教えてくれッ!」 バンッとテーブルに手を突いて身を乗り出してくるハボックにルーカスは苦笑する。チラリとロベルトを見て、それからハボックに視線を戻して言った。 「せっかくいい女なのに勿体ないと思うが……ちょっと待っててくれ」 ルーカスはそう言って立ち上がると部屋を出ていく。ハボックはソファーにもたれ掛かって安心したように大きく息を吐き出した。 「よかったな、何とかなりそうでよ」 「うん、ありがとう」 心底ホッとしたようにハボックが答える。少ししてルーカスが琥珀色の液体が入ったボトルとグラスを手に戻ってきた。ソファーに腰を下ろしグラスに液体を注いで言った。 「これはリアル・ガールって名の酒だ。ファントム・レディの効力を打ち消す力がある」 「ファントム・レディの効力を打ち消す酒……」 ハボックは呟いて琥珀色の液体を見つめる。ロベルトがハボックとルーカスの顔を見比べながら言った。 「じゃあ、これを飲めば男に戻れるって事だ」 「そういうことだ」 その言葉に弾かれたようにハボックが顔を上げる。見つめてくる空色の瞳を見返してルーカスが言った。 「飲んでみるか?ファントム・レディで女になったんならこれを飲めば男に戻れる筈だ」 そう言われてハボックはグラスに目を戻す。琥珀色に揺れる液体をじっと見つめながら言った。 「本当にこれ飲めば男に戻れるのか?」 「ああ、こいつにはそういう力があるからな」 きっぱりと言うルーカスの言葉にハボックはゴクリと喉を鳴らす。恐る恐る手を伸ばすとグラスを手に取った。 「これを飲めば男に戻れる……」 ハボックはそう呟きながらグラスを見つめる。ゆっくりとグラスを口元に近づけたハボックの頭に不意にロイの声が響いた。 『そんな胡散臭い店で出された得体の知れない酒が体に害を及ぼすかもしれないという危険は考慮すべきだ』 そう言うロイの厳しい視線が目の前に浮かんで、ハボックは僅かに目を見開く。口をつけないままグラスをテーブルに戻したハボックにロベルトが驚いたように言った。 「飲まないのか?これ飲めば男に戻れんだぜっ?」 そう聞かれてハボックは考えるように唇を噛む。それからルーカスを見て言った。 「悪いんだけど、その酒ボトルごと売ってくれないか?」 「えっ?」 突然そんな事を言われてルーカスがギクリとする。咄嗟に言葉を返せないルーカスに代わってロベルトが言った。 「なんで?今ここで飲めばいいだろうっ?」 「家に戻ってから飲みたいんだ。飲んだらどうなるのかもよく判んないし、外で飲むより家の方が安心だから」 そう言うハボックにルーカスとロベルトが顔を見合わせる。ルーカスが眉を顰めて言った。 「悪いが一本しかない酒なんだ。売るわけにはいかない」 「だったらそのグラスに入ってる分、空のボトルに入れてくれよ。金ならちゃんと払うから」 「そんなまどろっこしいことしなくてもここで飲めばいいだろうっ?心配しなくても俺たちがちゃんと介抱してやるぜ?」 ロベルトはそう言うとグラスをハボックの方へ近づける。 「男に戻りたいんだろうっ?」 その言葉にハボックがびくりと震えた。だが、それでもハボックは首を振って答える。 「戻りたいよ、でもやっぱりここで飲むのは嫌だ。売れないっていうなら改めてもう一度来るよ」 酒を飲む間くらいならロイに付き合ってもらっても構わないだろう。そう思って立ち上がろうとしたハボックは不意に腕を引かれてソファーに倒れ込んだ。慌てて身を起こそうとすれば目の前にグラスが突きつけられる。 「飲めよ。ここまで来てそれはないだろう?わざわざ親切に連れてきてやったんだぜ?」 「それは感謝してるけどっ」 恐ろしげな表情でグラスを突きつけてくるロベルトにハボックは言った。 「でも、ここで飲むのは嫌なんだ」 「……それは俺たちが信用出来ないってことか?」 「そういうわけじゃ」 「だったら飲めるだろう?」 低い声で言ってグラスを突きつけてくるロベルトから逃れるようにハボックはソファーの端に逃げる。だが、すぐ背が壁に当たってそれ以上さがれなくなった。 「ほら、男に戻れる酒だぜ」 ロベルトは言ってグラスをハボックの口元に寄せる。反射的にハボックが払った手が、グラスをはね飛ばした。 「おい、高い酒なんだぞっ」 毛足の長い絨毯に零れる酒を見てルーカスが言う。 「ご、ごめ……」 ハッとして口ごもるハボックに、ロベルトはボトルを掴んで詰め寄った。 「人の親切を無にするとは赦せねぇな。ちゃんと飲んでもらおうじゃねぇか」 そう言うとロベルトはボトルを手にハボックに掴み掛かろうとする。それに思わずハボックが足を蹴りあげれば、見事に顎を蹴られたロベルトがもの凄い形相でハボックに襲いかかった。 「飲めって言ってんだよッ」 「や、ヤだッ!」 襲いかかる男を押し返せばボトルから零れた酒が飛び散り濃い酒の香りが漂う。ふと射した陰に顔を上げればテーブルを乗り越えたルーカスがハボックのすぐ傍に立っていた。 「な……っ?」 「押さえておくから飲ませろ。飲ませちまえば薬が効いて後はこっちのもんだ」 そう言ったルーカスがハボックの肩を掴んでソファーに押しつける。 「や…っ、離せッ!!」 逃れようともがくハボックの口元にロベルトが圧し掛かるようにしてボトルを近づけた。 「ほら、飲めよ。男に戻ろうなんて気が起きなくなるようにたっぷり可愛がってやるぜ」 「……ッ!!」 その言葉と共に近づいてくるボトルからハボックは顔を背けて唇を噛み締める。だが、男達は二人がかりで押さえ込むともがくハボックの顎を掴みボトルを口元に押しつけた。 |
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