| 幻想女神 第十四章 |
| 「行っちゃった……」 ホークアイがロイを引きずって行ってしまうとハボックはそっとため息をつく。客の呼ぶ声にも気づかずぼーっとして立っているハボックを、マスターが心配そうに見た。 「ハボックさん?」 「…えっ、あ、はいっ」 「大丈夫かい?疲れたんなら奥で休んでくれていいよ」 そう言って笑うマスターにハボックは慌てて首を振る。 「大丈夫!お客さん呼んでるから行くね」 ハボックはそう言って笑うとトレイを手に呼んでいる客のところへ足早に歩いていった。 「マスター、食器洗い終わったっス」 「お疲れさま、奥で少し休憩して、ハボックさん」 そう言うマスターに頷いてハボックは店の奥へと入る。隅に置かれた小さなソファーに腰を下ろすとため息をついた。 バタバタとしていた間は気も紛れていたが、こうして考える時間が出来ると不安がこみ上げてくる。そうすれば昼休み、様子を見に来てくれたのであろうロイの事が思い浮かんだ。 「大佐……」 何やら怒って喚いていたようだが何を怒っていたのだろう。ゆっくり話す暇もなくて尋ねることも出来なかったが。ハボックはぼんやりとロイの事を考える。もし自分が女性になってしまったことで迷惑をかけているのだとしたらという考えがふと浮かんで、ハボックは眉を寄せた。 「中尉までわざわざ見に来てくれたみたいだし……」 結局二人してわたわたと帰って行ってしまった。きっと自分がいないことでいらぬ雑用に手を煩わせているに違いない。そう思えば中尉に頼んで明日から休みを取ると言っていたロイの言葉もとてもではないが現実的とは思えなくなって、ハボックはソファーから立ち上がった。 「やっぱ一人で探そう。元々オレの不注意からこんな事になったんだし」 ハボックはそう呟くとマスターのいる店の方へと出ていった。 「おい、急ぎの書類があるならあと三十分だからな。それ以降に持ってきても知らんぞっ」 バンッと執務室の扉を開けてロイが言う。その言葉にギョッとしてブレダが言った。 「大佐っ!明日から一週間休むんですよねっ、だったらちょっとくらい残業してってくださいよッ!」 「そうですよっ、僕まだサイン欲しい書類あるんですからっ」 ブレダに続いてフュリーも叫び、ファルマンがうんうんと頷く。だが、ロイはツンッと顎を突き出して冷たく言った。 「ちゃんと朝のうちに事情を説明して明日から休みを貰うと言っておいたろう?それなのにまだ終わってない方が悪い。私の机を見ろ。綺麗さっぱり片づいているだろうが」 普段のサボり癖は何なんだと言いたくなるくらい、ロイはもの凄い超特急で積み上げられた書類を片づけてしまった。常日頃からその処理能力の高さを見せてみろと言いたいのを飲み込んで、ブレダ達は泣きそうになりながら書類に取り組む。ロイはフンッと鼻を鳴らすと執務室に戻りドサリと椅子に腰を下ろした。 「本当ならもうとっとと帰りたいところだ」 そう呟いて時計を睨む。だが、流石にこの先一週間休みを貰うとあればそうもいかず、ロイは腕組みをして椅子の背に体を預けて目を閉じた。そうすればエプロンをつけて店の中を忙しそうに歩くハボックの姿が瞼に浮かぶ。それと同時にハボックを見て鼻の下を伸ばす男どもの姿も浮かんで思い切り顔を顰めた。 『あの店にいる限り何かあるなんて事はあり得ません』 確かにホークアイが言うとおりだろう。そうでなければこうしてのんびりと仕事などしていられない。 「どうしてああ危機感がないんだ、アイツは」 あのポヤッとしているところが可愛いと言えば可愛いのだが、ハボックの周りに群がる男どもを見てはそうとばかり言ってはいられなかった。正直イヤラシイ男達の視線に晒すのさえ嫌で仕方ない。本当はハボックがなんと言おうと家の中に閉じ込めて外に出さず人目に触れさせないようにしたかった。もっともそれは、ハボックが普段の男の時からの事であったが。 「くそ……アイツのせいでやたらと嫉妬深くなった気がする……」 女性になってしまってからはいろいろな面で益々気が気でない。たった残り三十分が永遠にも感じられて、ロイは遅々として進まぬ時計の針をじっと睨みつけたのだった。 「あのさ、マスター。ちょっと悪いんだけど」 休憩で引っ込んだと思ったら途端に戻ってきたハボックにそう声をかけられて、マスターはコーヒー豆をひこうとしていた手を止める。何となく思い詰めた表情のハボックを見て、内心「おや?」と思いながらも笑みを浮かべて見せた。 「なんだい?どうかしたの?」 わざと明るくそう言ったが、ハボックはキュッと唇を噛むと意を決したように言った。 「オレ、やっぱり一人で探しにいってこようと思うんだ」 「えっ?それはダメだよ、大佐もここで待っているように言っていただろう?」 突然の言葉にギョッとしてマスターが言う。だが、そう言われるのをあらかじめ判っていたように、ハボックはにっこり笑って言った。 「大丈夫だよ、ちゃんと気をつけるし。変なところには絶対いかないし、大佐が言うほど危なくないよ」 「でもね、ハボックさん、大佐はここで待っていろと言ってたんだから、ここで待ってないと!」 まるで危機感のない顔でそう言われても「はい、そうですか」と頷ける筈もない。ましてやロイから「よろしく頼む」と言われた身としてはハボックを一人で探しに行かせるなどもってのほか、絶対にさせるわけにはいかなかった。 「平気平気。だいたい大佐が大袈裟なんだよ。よっぽど危ないところへでも行かない限り、昨日みたいなことにはならないって」 「ハボックさん!でもねっ」 「やだなぁ、マスターも心配性?大佐の、うつったんじゃないの?」 ハボックはおかしそうにそう言うとつけていたエプロンを外した。 「ここにいさせてくれとか、手伝わせてくれとか、勝手なことばっか言ってばっかり言ってごめんね。次来るときはちゃんと男に戻ってから来るから」 「いや、ちょっと、ハボックさんっ!後もう少し待てば大佐だってくるんだから!もうちょっとだけ待っていようよ」 ハボックを引き留めようとマスターは必死に言う。だが、ハボックはほんの少し眉を寄せて言った。 「オレの不注意でこんな事になっちゃって、仕事にもいけなくてきっと迷惑かけてる。大佐、仕事休んでオレと一緒に探すって言ってくれたけど、やっぱりそういうわけにはいかないよ。大佐は司令部の要だもん」 ハボックはそう言ってにっこりと笑って見せた。 「今日は本当にありがとう。男に戻ったらお礼代わりに手伝いにくるから!……あ、万一戻れなくても改めてお礼にくるね」 「いや、お礼なんていらないから、ハボックさん、お願いだから大佐がくるまでここにいて、ねっ」 そう言ってギュッと腕を掴むマスターをハボックはじっと見つめる。その空色の瞳に一瞬浮かんだ泣き出しそうな色に、マスターがハッとした瞬間、ハボックは笑って身を翻した。 「大佐には心配しないでって言っておいて!もしかしたら何日か帰れないかもしれないけど、大丈夫だから!」 「あっ、ハボックさんっ!!」 言うと同時にハボックは店を飛び出していってしまう。追いかけて店の扉から外へ出たマスターはあっと言う間に走り去ってしまったハボックに顔を引きつらせた。 「ヤバい、ヤバいよ、これは……ッ」 そう呟いたマスターは店に飛び込むと受話器を引っ掴んだのだった。 「中尉、そろそろ時間なんだがもう何も残ってないだろうな」 正直今更何か出されたところで残業をする気など更々ないが、ホークアイの手前一応そう言ってみる。ホークアイは手にした書類をロイの前に差し出して言った。 「これにサインを頂ければおしまいです」 そう言われて「まだあったのか」とロイが眉を顰めて書類を見れば、それはハボックの休暇申請書だった。 「……意地が悪いな、中尉」 「出さなくても別に構いませんが」 「そうはいかん」 ロイはそう言ってサインをしたため、ホークアイに書類を返す。にこやかな笑みを浮かべるちょっと意地悪な副官にロイは眉を下げた。 「一週間後が怖いな」 「でしたら少しでも早く少尉を元に戻してあげて下さい」 「そのつもりだ」 そう言いあって二人が笑顔を交わした時、机の上の電話がリンと鳴る。手を伸ばして受話器を取ったロイは、交換手の声に続いて聞こえてきた悲鳴のようなマスターの声に目を見開いた。 『ああ、大佐!大変なんですっ、ハボックさんが!』 「ハボックがどうかしたのか?」 ロイの言葉にホークアイもハッとする。ロイは受話器を握り直してもう一度言った。 「ハボックに何かあったのか?マスター」 そう尋ねればおろおろとしたマスターの声が返ってくる。 『それが、ハボックさん。やっぱり一人で探しに行くって店を飛び出していってしまって!』 「何だってっ?!」 『あともう少しすれば大佐がくるから、それまで待っていてくれって何度も言ったんですけど、一人で大丈夫だからって。注意するから心配ないって言って一人で…ッ』 すぐに来てくれと言うマスターに頷いてロイは叩き切るように受話器を置く。視線で尋ねてくるホークアイにロイは言った。 「ハボックが一人で探してくると言って店を飛び出していったそうだ」 「えっ?でも、明日から休みをとって一緒に探すことは言ってあったんじゃないんですか?」 「言った。残業もしないで帰るからちゃんと待っていろと言ったのに」 ロイはガタンと椅子を蹴立てるように立ち上がると、ホークアイを見て言った。 「すまん、中尉。少し早いが」 「構いません。早く行ってあげて下さい」 そう言われてロイは「ありがとう」と頷いて執務室を飛び出す。 「あれっ、大佐まさかもう帰るんですかッ?」 ギョッとして言うフュリーにちらりと視線を投げてロイが言った。 「ハボックがいなくなった。悪いがタイムリミットだ」 フュリー達が上げる驚きの声を背にロイは司令室を飛び出していく。 「あの馬鹿……ッ!」 顔を歪めて愛しい相手をそう罵りながら、ロイは廊下を駆けていったのだった。 |
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