幻想女神  第十三章


 司令部を出てホークアイと連れ立って歩いていたロイは、コーヒーショップの近くまで来たところで足を止める。入口の傍に並ぶ男達の姿に眉を顰めた。
「あの店、ですわね」
 ホークアイはそう言って立ち止まったままのロイを置いてさっさと行ってしまう。並んでいる男達にニコリと微笑むと扉を開いて中に入った。カランというドアベルの音にエプロンをつけた金髪の女性が振り向く。
「すみません、今、満せ───」
 そこまで言って入ってきたのがホークアイだと気づいた女性の瞳が見開かれた。
「ちゅ、中尉…ッ」
 呻くように言って女性はホークアイに背を向ける。ほんの一瞬、女性を食い入るように見つめたホークアイは、笑みに表情を和らげて女性に近づいた。
「大変だったわね、少尉」
 そう声をかければ女性、ハボックが弾かれたように振り向く。見開いて見つめる空色の瞳がくしゃりと歪んだと思うと、ハボックが泣きそうに震える声でホークアイを呼んだ。
「中尉ぃ…ッ」
 呼んで、こみ上げるものがあったのだろう、たちまち瞳に盛り上がる涙を見てホークアイはハボックを抱き締める。宥めるようにポンポンと背中を叩いて言った。
「ほら、泣いたりしたら変に思われるわ、大丈夫よ、少尉」
「中尉……」
 ホークアイはそう言うと指先でハボックの涙を拭う。美女二人のなにやら思わせぶりな様子に、周りの男どもがホークアイとハボックを凝視していた。
「大繁盛ね」
「そうなんスよ、いつもはマスター一人なんて、大変っスよね、これじゃ」
 ハボックがそう言った時、入口の男達を押し退けてロイが入ってくる。「並べよ!」と怒る男をギロリと睨みつけて黙らせるとハボックの傍にやってきた。
「どういうことだ、これはっ」
「どうって……ランチタイムっスから、今」
「だからってこんな男ばっかり───」
「あ、呼んでる。はぁい、ただいまっ」
 問いつめようとするロイを遮ってハボックは手を挙げている客のところへと急ぐ。にっこりと笑うハボックに客の男が顔を赤らめながら注文するのを見たロイは、吊り上げていた目を益々吊り上げた。
「マスターっ!」
「ははは……すみませんね、大佐」
 キッと睨みつけてくる黒い瞳にマスターは引きつった笑いを返す。
「最初は食器を洗ったりして貰ってたんだけど、そのうち接客の方を手伝ってくれてね。そうしたらこの有様で……」
 サンドイッチを作る手を休めずに言うマスターの言葉に、ロイは店内を見回した。いつもは女性客の方が多いこの店が、今日はほぼ男性客で埋まっている。そもそもランチと言ってもサンドイッチやピラフという軽いメニューが多いこの店に、これほど男性客が押し寄せてきているのは異常だった。
「マスター、ピラフセット、大盛りでお願いしますっ」
「はいよ」
 オーダーを聞いて戻ってきたハボックがマスターにそれを伝える。ロイが何か言おうと口を開く前に、再び客から声がかかった。
「ジャクリーンちゃん、コーヒーくれる?」
「あっ、はい!」
 食事が済んだ客にセットのコーヒーを催促され、ハボックは慌ててカップにコーヒーを注ぐとトレイに載せて運んでいく。コーヒーを置いたテーブルで客とにこやかに話すハボックを見ていたロイが呻くように言った。
「ジャクリーンちゃんだとぅ?」
 ギリと歯を食いしばったロイは、戻ってきたハボックの腕をグイと掴んだ。
「おいッ、なんだ、ジャクリーンちゃんっていうのはッ?」
「えっ?いやだって、名前聞かれたから。ホントの名前言えないし」
「だからってお前なぁッ」
「確かに『ジャンです』とは言えませんわね」
 丁度いいんじゃありません?とシレッと言うホークアイにロイは目を剥く。
「名前を聞かれたからっていちいち答える必要なんてないだろうッ」
「だって、隠すのもかえって変だし」
「そうよね。いいんじゃない?少尉」
「よくないッ!!」
 ニコリと笑うホークアイにハボックがホッとした顔をすればロイが喚いた。
「ハボック、お前、今すぐ手伝うのをやめて───」
「待って、大佐」
 言いかけたロイを遮ってハボックはレジに立つ。支払いを済ませた男がハボックの手を握るのを見たロイは、瞬間すり合わせようとした指先が発火布に包まれていないことに気づいてチッと舌を鳴らした。
「ジャクリーン、あのさ、週末からトゥインクルホールで新しい劇やるんだよ、一緒にどうかなって」
「えっ、や、週末はちょっと……」
「じゃあ、来週でも!君の都合に合わせるからっ」
 そう言ってグググと顔を寄せてくる男に仰け反るようにして顔を背けたハボックを、男の手から引き剥がしてロイが凄む。
「貴様、慣れ慣れしく触るんじゃないッ」
「はあッ?なんだ、お前ッ?」
 せっかくデートのお誘いをしているところを邪魔されて、男がムッとしてロイを睨んだ。お互い凄い形相で睨み合う二人に、ハボックがオロオロしていると背後からよく通る綺麗な声が聞こえた。
「お二人とも、私の妹から離れて頂けますかしら」
「えっ?」
「い、妹っ?」
 その声に振り向けばホークアイが最高の笑みを浮かべて立っている。ポカンとするハボックを引き寄せてその肩を抱いてホークアイは言った。
「大事な妹にちょっかい出すのはやめてくださいな。…ジャクリーン、貴方もいちいち相手しなくていいの。何か変なことをする奴がいたら姉さんに言いなさい。射撃の的にしてやるから」
 ニッコリ笑って物騒な事をサラリと言ってのけるホークアイに店の中がシンと静まり返る。最初に我に返ったハボックが頷いて言った。
「ありがとう、姉さん」
 言って恥ずかしそうに笑うハボックの金髪をホークアイは優しく撫でる。あんぐりと口を開けているロイを見て言った。
「大佐、妹の様子も見られましたし、行きましょうか」
「えっ?」
「この調子じゃ昼休みの間に食事を済ませるのは無理でしょうから」
 そう言ってホークアイはロイの襟首をむんずと掴む。
「それじゃあマスター、妹をよろしくお願いします。ジャクリーン、マスターの言うこと、ちゃんと聞くのよ」
「ああ、任せておいて、中尉、大佐」
「あ…っ」
 言えばマスターがしっかりと頷いた。一瞬不安そうな顔をするハボックに今一度微笑んでホークアイはロイを店から引きずり出す。中の様子を覗き込んでいた男たちをかき分けるようにして店から離れたところまでくると、ロイがホークアイの手を振り解いた。
「私は猫じゃないぞっ」
 キッと目を吊り上げて言うロイをホークアイはジロリと睨む。続けて文句を言おうとするロイを遮ってホークアイが言った。
「大佐、店の中で発火布を使おうとしたり、揉め事を起こそうとしたり、マスターに迷惑がかかるとは考えないんですか?」
「だがなぁっ!君も見ただろうッ、あの男どものイヤラシい目つきッ!何かあったら───」
「あの店にいる限り何かあるなんて事はあり得ません」
 ピシャリと言われてロイはウッと押し黙る。だが、すぐに気を取り直して言った。
「確かにあそこでなら危ない目に遭うことはないかもしれんが、なにもハボックに店を手伝わせることはないだろう?」
 そう言えばハボックの姿にだらしなく鼻の下を伸ばしていた男どもの姿が思い出される。忌々しげに顔を歪めるロイにホークアイが言った。
「訳が判らないまま突然女性になってしまって不安で仕方ないんでしょう。少しでも気が紛れるなら店の手伝いをして貰うのもいいだろうとマスターが考えるのは当然です」
 その上で店の売り上げが伸びるのなら願ってもない事だろうと思ったが、流石にそれは言わずにホークアイはロイを見る。ムスッとして黙り込むロイにホークアイは続けた。
「それよりも、仕事にけりが付かなければ残業になりますし明日からの休暇も取り消しですから」
「な…ッ」
 澄まして言うホークアイの言葉にロイがギョッとする。
「司令部に戻るぞッ」
「昼食はどうされるんです?」
「そんなもの食ってる暇があるかッ」
 肩越しにそう怒鳴って司令部めがけて走っていくロイの背を見送って、ホークアイはクスクスと笑った。


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