エフィアルテスの悪夢  第四章


 パタンと扉が閉じる音にハボックはうっすらと目を開ける。ゆっくりと視線を巡らせ、部屋の中にロイの姿がないことに気づくと顔を歪めた。
「熱い……」
 腹の奥が燃えるように熱い気がする。まるでどろどろと煮え滾るマグマを体の中に注ぎ込まれたように、熱くて熱くて仕方がなかった。
「たいさぁ…ッ」
 この熱を沈めるのはロイしかいない。そう思ってハボックは切なくロイを呼ぶ。だが、答える声がないことにハボックはくしゃくしゃと顔を歪めた。
「ん……くぅ…ッ」
 のろのろとベッドに体を起こし下りようとしてベッドの縁へと膝行(いざ)る。ベッドがあると思ってついた手の下にブランケットしかなくて、ハボックはブランケットごとベッドからずり落ちた。
「あ……」
 ドスンという音と共にベッドから落ちたハボックは床に転がったまま喘ぐ。肩を打ちつけた痛みすら快感にすり替わって、気がつけばハボックは熱を吐き出していた。
「は……ふぁ…っ」
 パジャマのズボンにまで広がる染みをハボックはぼんやりと見つめる。
「たいさ……たい、さ……ッ」
 吐き出して尚収まらぬ熱にハボックは体を丸めてロイを呼び続けた。

 リビングに下りてきたロイは程なくして聞こえてきたドスンという音に天井を見上げる。確かこの上は寝室だと気がつけば、ロイはリビングを飛び出し階段を二階へと駆け上がった。
「ハボックっ?!」
 勢いよく扉を開ければベッドのすぐ脇に身を丸めて転がっているハボックの姿が目に入る。慌てて駆け寄りハボックの体を抱き起こした。
「大丈夫かっ?しっかりしろ!」
 ギュッと目を閉じているハボックの顔を覗き込むようにして声をかける。そうすれば金色の睫が震えて目を開いたハボックがロイを見上げた。
「たいさ……」
「大丈夫か?どこか痛むところは?!」
 落ちた拍子に頭を打ったりしてはいないだろうか。心配してそう聞くロイに答えず、ハボックはロイに向かって腕を伸ばした。するりとロイの首に腕を回ししがみつく。
「大佐…抱いて……オレん中に…たいさの、ちょうだい……」
 そう囁いて唇を寄せてくるハボックをロイは無理矢理引き離そうとする。だが、そうしようとすればするほど必死に縋りついてくるハボックに、ロイは声を荒げた。
「いい加減にしろっ、ハボック!さっきも言っただろう?そんなボロボロのお前を抱くわけには───」
「ヤダっ、抱いてよッ!」
 ドロドロと体を焼く熱を沈めて欲しい。そう思って強請るハボックの腕をロイが強引に解けば、ハボックが空色の瞳を見開いてロイを見た。
「う〜〜っ、うえっ、うぁぁ…ッ」
 ボロボロと子供のように涙を流して泣きじゃくるハボックを、ロイは肩を落として見つめる。小刻みに震える体を抱き締め、その耳元に囁いた。
「泣くな。抱かないと言ってる訳じゃない。体調が落ち着くまで待てと言ってるんだ」
 いっそ抱いてしまった方が自分にとってもハボックにとっても良いのではと言う考えが頭を掠める。だが、抱き締めれば燃えるように熱い体と、さっき治療のために見た暴行の爪痕を思い出せば、やはり躊躇せずにはいられなかった。
「ハボック、頼むから泣かないでくれ」
 そんな風に泣いてせがまれれば流されてしまいそうになる。抱き締めた体からは熱と共にねっとりと甘い香りが漂って、ロイはふるふると首を振るとハボックの体を抱き上げた。落ちたブランケットを拾い上げ、それを手にハボックを抱いたまま階下に下りる。リビングに入りソファーにハボックの体を下ろしたロイは、震える体をブランケットで包んでやった。
「もうすぐフュリー曹長が書類を持ってくる。それが済んだら一緒に休もう。な?ハボック」
 抱かずとも抱き締めて眠ってやれば落ち着くに違いない。そう考えてロイが言い聞かせるようにハボックに言った時、車が止まる音に続いて玄関のベルが鳴った。
「来たようだ。ちょっと待っていてくれ」
「たいさぁ」
 チュッと頬に口づけて立ち上がるロイにハボックが手を伸ばす。だが、ロイは伸ばされた指先を軽く握っただけで玄関へと出ていってしまった。

 ベルに答えて扉を開ければ小柄な曹長が書類ケースを手に立っていた。
「わざわざすまなかったな、フュリー曹長」
「いいえ、こちらこそ大変な時に申し訳ありません」
 そう答えるフュリーをロイは普段資料置き場に使っている小部屋に通す。
「リビングで待っていてもらうつもりだったんだが、今ハボックが休んでいてね」
 椅子に座るよう促してロイがそう言えばフュリーが眼鏡の奥の目を曇らせた。
「ハボック少尉、どんな具合ですか?」
 みんな心配しているとフュリーが言えばロイが書類をめくりながら答える。
「熱が酷いんだ。おそらく傷と精神的ショックからきているものだろうが。一人にしておけなくて」
 辛そうに眉を寄せて言うロイに、フュリーは気遣わしげに扉の方を振り返った。
「僕、側にいましょうか?」
「ありがとう、だが今ちょっと普通じゃないんだ。私以外の人間は側に寄せ付けないと思う」
「そうですか……」
 まさかフュリーに抱いてくれと強請りはしないと思っていても、万一ということもある。そんな姿を見せたと判れば、体調を戻してから顔を合わせるのに気まずいだろうとロイはやんわりと断った。
(違うな、これは嫉妬だ)
 今は抱けないと言ったロイの代わりにと、もしハボックがフュリーを誘うようなことがあれば、例えフュリーがそんな誘いに乗るはずはないと判っていても心穏やかではいられない。本当は綺麗事など言っていないで己以外の何者かが触れた体を滅茶苦茶に犯して、己の痕を刻み込みたいのだ。
(大概私も狭量だな)
 本当は嫉妬と怒りでドロドロなのだ。そんな己にうんざりとしながら、ロイは書類に目を通していった。

「ひ……っく、たいさぁ……」
 リビングからロイが出ていってしまうとハボックは伸ばした腕をパタリと落とす。涙を零しながらぼんやりと扉を見つめていたが、玄関の方で聞こえた声が部屋の中に消え扉が閉まる音がするとキュッと唇を噛み締めた。
「熱い……」
 この熱を沈めるのはロイしかいないのに、ロイの熱を注ぎ込んでこのドロドロとしたマグマを沈めて欲しいのに、どうしてロイは判ってくれないのだろう。
「…ッ、欲しい……ッ」
 不意に沸き上がる淫靡な欲求にハボックはギュッと体を掻き抱く。そのまま暫く乱れる呼吸を落ち着かせようとじっとしていたのだが。
 ドクンッ!!
「……ッッ!!」
 体の奥底で噴き上がるマグマにハボックはカッと目を見開く。ガタガタと震える体を抱き締めていたハボックは、体を包み込んでいたブランケットを払いのけるとゆっくりと立ち上がった。
「ハアッ……ハッ…ッ!」
 誰でもいい、内側から自分を焼き付くそうとするこの熱を止めて欲しい。
 ハボックは体を抱き締めたままふらふらとした足取りでリビングから出ていった。

「待たせたな、フュリー曹長」
「とんでもないです、ありがとうございます、大佐」
 ロイはサインをし終えた書類をケースに戻してフュリーに差し出す。立ち上がってケースを受け取ったフュリーと共に部屋を出た。
「大変な時にすみませんでした」
「こっちこそ立て込んでいるときにすまんな。中尉によく謝っておいてくれ。それと分析の結果が出たらすぐ知らせてくれるよう頼む」
「はい、中尉にお伝えします。それから、あの…僕達で何か出来ることがありましたら、遠慮なく仰ってください、大佐」
 玄関のところでそう言うフュリーにロイは僅かに目を見開く。それから軽く微笑んで答えた。
「ありがとう、フュリー曹長」
「いいえ、では失礼します……っと」
 敬礼して扉を開けようとしたフュリーは、鍵を開けたつもりがガチャッと引っかかる扉にぶつかりそうになる。
「あれ…?僕、鍵かけるの忘れたのかな」
 すみません、と恐縮しながらフュリーが帰るのを見送ってロイはひとつため息をついた。軽く首を振って中へ戻るとリビングの扉を開ける。
「ハボック、一人にしてすまなかっ───」
 そう言いかけてロイは空っぽの部屋にギクリとして足を止めた。
「な……ハボックっ?」
 しがみついてくるのを宥めすかしてハボックを座らせた筈のソファーに駆け寄る。足下に放り出されたブランケットを拾い上げもう一度部屋の中を見回した。
「ハボックっ?どこだっ?!」
 大声でハボックを呼びながらキッチンを覗き、洗面所の扉を開ける。二階を確認しようとして、ロイはさっきのフュリーの言葉を思い出して立ち止まった。
『あれ…?僕、鍵かけるの忘れたのかな』
「まさか……あの体で外へ…?」
 散々に痛めつけられたボロボロの体でどこへ行こうというのか。顔色をなくしたロイは、ハボックを追って玄関から飛び出していったのだった。
 

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