辿り着くはパナケイアの空  第五章


 そんな感じで始まった護衛の任務だったが、十日もたてばだんだんと相手の行動パターンも読めてくる。オレは壁の時計を見上げてそろそろだと立ち上がり、給湯室でコーヒーを淹れるとそれを手に執務室の扉をノックした。
「失礼しまーす」
 言って大佐の声が聞こえたかどうかも構わず扉を開けて中に入る。そうすれば腰を浮かしかけた大佐が嫌そうな顔でオレを見た。
「ハボック、ノックは何のためのものか知っているか?」
「知ってるっスよ、勿論。これから入りますよーって合図っしょ?」
 唐突にノックの意味なぞ聞かれて面食らったもののオレは素直に答える。それがなんなんだと思いながらトレイの上のカップを机に置けば大佐がため息をついた。
「ノックは中にいる相手に入ってもいいですか?と許可を取るためのものだ」
「だからちゃんとノックしたっしょ?」
「私は入っていいと許可した覚えはないぞ」
 そう言われてみればそうかもしれない。だが、来客中でないのは判っていたし特に許可がいるような状況とも思えなかった。思ったことを素直に口にすれば大佐はがっくりと机に懐いてしまう。
「もういい……。丁度一息入れたいと思っていたところだしな」
 疲れた声でそう言って、大佐は机の上のカップを手に取った。ふぅふぅと息を吹きかけ一口飲んでホッと息を吐く。大佐はトレイを小脇に抱えて立っているオレを見上げて言った。
「いつもいいタイミングで持ってくるが、どうしてだ?よく判るな」
 そう尋ねてくる瞳は好奇心できらきらと輝いている。子供のようなその表情がおかしくて、なんとか笑いを噛み殺しながらオレは答えた。
「まあ、十日も見てりゃだいたい見当つくっスよ。それにこの間みたいに休憩を口実にとんずらされたら敵わないっスから」
 オレがそう言えば大佐が眉を下げる。この間のあれは参った。てっきり執務室で仕事をしているとばかり思っていたのに、気づいた時には執務室はもぬけの殻でその行方を探すのに散々だったのだ。
「別に放っておけばそのうち戻ってくるのに」
「はあ?なに言ってるんスか、アンタ、真面目に働いてくださいよ」
 そのうちなんて時を待っていたらいつまでたっても仕事が終わらないじゃないか。オレは大佐のデカい机の上に積まれた書類の山に手を置いて言った。
「これ、中尉から今日のノルマって言われてる分っしょ?さっきからちっとも減ってないじゃないっスか」
「量が多すぎるんだ、量が」
「真面目に取り組んでりゃもっと早く終わるっスよ」
 唇を突き出して文句を言う大佐にオレは容赦なく言う。そうすれば大佐がコーヒーを啜って言った。
「糖分が足りない」
「えっ?砂糖の量、少なかったっスか?」
 ちゃんといつもと同じスプーンにかっきり二杯、入れたはずだが数え間違っただろうか。砂糖足しましょうか?と尋ねるオレに、大佐は首を振って言った。
「菓子が切れた。さっき食べたので最後だったんだ。買いに行こうと思ったのにお前が入ってくるから」
 どうやらさっきオレがノックをちゃんとしなかったと責めたのは、こっそり抜け出して菓子を買いに行くつもりだったかららしい。オレはちびちびとコーヒーを啜っている大佐を見下ろしてため息をついて言った。
「なにを買ってくればいいのか教えて下さい。オレが買ってきますから」
「いいのか?」
「そのかわりフケんでくださいよ?」
 パッと顔を輝かせる大佐にオレは言う。演習は午後からだったし今買い物に出てもさして支障はない筈だ。なにより大佐にフケられるよりよっぽどいい。
「買ってきてくれるなら大人しくコーヒーを飲んで待っていよう」
「書類にサインして、でしょ?」
「して欲しいのか?」
「当たり前っス」
 正直そっちがメインだろう、と言いたいのをグッとこらえてオレは答える。
「仕方ないな、少尉が言うならサインして待っていよう」
「……ありがとうございます」
 にっこり笑って言う大佐にオレはげんなりとしながらも口にはそう出して言った。大佐から菓子の名前を書いた紙と金を受け取るとポケットに突っ込む。
「ちゃんと仕事して下さいね、帰ってきて書類が減ってなかったら菓子はオアズケっスから」
「……お前、上司に対してさりげなく酷くないか?ハボック」
「気のせいっしょ。じゃあ行ってきます!」
 オレは眉を下げる大佐にそう言って執務室殻出た。


 大佐にああ言って出ては来たものの、洋菓子店の前まで来てからオレは大きな問題に気づいた。
「買うためには中に入らなきゃじゃん……」
 先日大佐にくっついて店の中に入った時は、店の中に充満する甘い匂いに危うくノックアウトされかけた。あの匂いの中に入っていくのかと思うと、正直帰りたくなったが大佐に約束した手前そうもいかない。オレは二、三度深呼吸すると大きく吸った息を止めて店の扉を押して中へと入った。
「いらっしゃいませ」
 店員の女の子の可愛らしい声がオレを出迎える。オレは数歩で女の子に近づくと物も言わずに大佐が書いたメモを突き出した。
「え、と……こちらをお求めですね、少々お待ち下さい」
 一言も口をきかないデカい軍人に、女の子はひきつった笑みを浮かべて言う。せめてオレがニコリとでもすればいいのだろうが、顔の筋肉を動かしたら止めてる息が零れちまいそうで、オレはなにも言わずにレジの前で女の子が菓子を用意してくれるのを待った。
「8,000センズです」
 袋に詰めた菓子を差し出しながら言う女の子にオレは目を丸くする。たかが菓子だろう?なんでそんな値段がするんだと思いながら袋を見たオレは、その多さに納得するしかなかった。
「2,000センズのお返しです。ありがとうございました」
 黙ったまま金を突き出したオレに、女の子は怯えながら釣り銭を渡そうとする。だが、オレが受け取る前に離してしまったために、紙幣がひらひらと舞って落ちた。
「あっ、申し訳ありませんッ」
 女の子が慌てて拾いに出てこようとするのを押しとどめてオレは落ちた札を引っ掴む。正直もう息を止めているのが限界で、オレは札を握った手で袋も引っ掴むと店から飛び出した。
「ハアッ!……ハッ、ハア…ッ!」
 漸く店から出て、オレは止めていた息を一気に吐き出す。新鮮な空気を必死に肺の中に取り込めばボウッとしかけていた頭がすっきりとした。
「はあ……死ぬかと思った」
 きっとあの子の今日の晩飯時の話題は山ほどの菓子を買って帰ったおっかない軍人の事だ。そう思うと何だか情けなかったが、どうせここにまた買いに来るなどないだろうから構わないだろう。
「さ、早く帰らないと」
 そう呟いて歩きだしたオレは、大佐の使いで三日と開けずに買いに行かされる羽目になるとは、その時は思いもしていなかった。


「ただいま戻りましたぁ」
 コンコンとノックをしながら執務室の扉を押し開ける。そうすれば机に向かっていた大佐がバッと勢いよく立ち上がった。
「遅いぞっ、ハボック」
 大佐はそう言ってツカツカとオレに歩み寄ると袋を奪うように取り上げる。遅いったって四十分くらいしかたってないのにと思いながら大佐の机の上を見たオレはすっきりと片づいた様子に目を見開いた。
「大佐、書類はどうしたんスか?」
 あんまり沢山目の前にあるとやる気も失せるとどこかへ移したのだろうか。それとも崩れそうになって一時避難させたのだろうか。そう思って執務室の中を見回したがそれらしい書類が見あたらず首を傾げるオレに、大佐が菓子を頬張りながら言った。
「ああ、片づいたからフュリー曹長に総務に持っていって貰った」
「へ?」
 片づいたって、なにが?
 思わずきょとんとしてそう尋ねれば大佐が眉を寄せる。
「書類をどうしたと聞いたのはお前だろう?」
「書類……」
 確かに聞いたけど、片づいたって……え?
「うそっ、もしかしてここに山積みになってた書類、全部処理終わったんスかッ?!」
「お前が書類を片づけて待っていろと言ったんだろう?」
 そりゃ確かに言ったけど、オレが菓子買いに行ってる間にここに山積みになってた書類、全部片づけたっていうのか?
「あんな書類、私の手にかかればどれほどの事もない」
 頬を菓子で膨らませながらそう自慢げに言う大佐を、オレは呆気にとられて見つめたのだった。


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