辿り着くはパナケイアの空  第四章


「最近この辺りで大きな事件は起こっているのか?」
 西地区の工場街を走らせていれば大佐が言う。オレは僅かにスピードを落として前方の信号が青に変わるのに合わせて車が走るのを調整しながら言った。
「そうっスね、一番最近なら製鉄工場のデモかな。一部が暴徒化して軍が出動する騒ぎになったっス」
 あの時は例のクソ上官が丁度セントラルから視察にきていた連中にいいとこ見せようと、普段ならとろうとしない陣頭指揮をとったおかげで大変だった。現場の混乱を収拾するのに一苦労し、尻拭いで後始末をするのに更に苦労したのだ。まあ、あれのおかげで出ていく事になったから結果オーライなんだけど。大佐は車の窓からごちゃごちゃと入り組んで立っている工場や倉庫を眺めていたけど少しして言った。
「馬鹿な上官の代わりに少尉が指揮をとったんだろう?」
 そんな事を言われてオレは思わず前方に向けていた視線をルームミラーの中の大佐に向ける。そうすればじっと見つめる黒い瞳と目が合って、オレは慌てて視線を戻した。
「指揮執るってほどの事はしてないっスよ。たまたま現場に出てたのがオレの小隊だったから多少の事はしたっスけど」
 オレの返事に大佐が面白そうに頷くのが聞こえる。なんだかやりづれぇと思っていると大佐が言った。
「さっきから全然停まらんな。停まれば少しはゆっくり見られるかと思ったが」
 そう言う大佐を今度は鏡越しにしっかりと見る。そうすれば真っ直ぐに見つめてくる黒い瞳が見えて、オレはひとつため息をついた。
「出来るだけ信号で停まりたくないんス。まあ、真っ昼間だけどこの車思いっきり軍用車だし」
「襲われたら困る?」
「アンタ乗っけてますから」
 オレが信号で停まらないようスピードを調整して走ってるのに気づいてる。他の上官乗っけて走ってた時は誰も気づかなかったのに。今はまだ午前中だし多分何もないとは思うけど、信号で停まったところをズドンとやられたら敵わない。
「なるほど」
 大佐は面白そうに言って視線を窓の外に向ける。その黒曜石の瞳が剃らされた事にそっとため息をついたオレに大佐が言った。
「ここはもういい。次の場所へ行ってくれ」
「イエッサー」
 大佐の言葉に答えてオレはハンドルを切ったのだった。


 その後も大佐のリクエストに答えてあちこち走り回り、残ったのは最後に連れていけと言われた場所だけになった。
「ええと……本当に行くんスか?」
 もしかして冗談なのかもと思ってそう聞けば大佐がキョトンとした顔をする。
「そんなわけないだろう。今日は最後のそこに行けると思って楽しみにしてたんだ」
 早く行けとせっつかれてオレはスピードを上げた。どこの洋菓子店が人気なのかなんてよく知らないけど、この間ブレダが旨いとかなんとか言ってた店でいいだろう。
「そこが一番旨いかとか判んないっスけどいいっスか?」
「少なくとも一度は旨いと聞いたところなんだろう?」
「はあ、まあブレダが」
 と、旨くなくても一応責任は逃れる方向に話を持っていく。少しして店のすぐ側に車を停めれば大佐はオレが降りるのを待たずに扉を開けた。
「大佐」
 オレは慌てて運転席から出ると大佐に駆け寄る。グッとその腕を掴んで言った。
「勝手に降りるの、やめてください。一応オレ、護衛なんスから」
 そう言えば大佐が驚いたようにオレを見る。それからにっこりと笑って言った。
「悪かった。つい気が急いてしまってな」
 そう言う大佐と並んでオレは洋菓子店に入る。途端に襲いかかってきた甘い匂いにクラリとしかかった。
「ほう、これはこれは」
 大佐は黒曜石の瞳をきらきらと輝かせながらショーケースに飾ってある菓子を覗き込む。甘い匂いを少しでも吸わないで済むよう、厚い軍服の袖を鼻と口に当てているオレを振り返って言った。
「ブレダ少尉はどれが旨いと言っていたんだ?」
「……え?……ええと、確かこの間言ってたのは新作のチョコレートの菓子だって……」
 正直興味がなかったから聞きはしたもののよく覚えていない。正直にそう言えば大佐は店の女の子にあれこれと聞き始めた。
(菓子なんて甘けりゃなんだっていいんじゃねぇの?どれだって大して変わんねぇじゃん)
 オレはそう思いながら軍服の袖の中でスーハーと息をする。だがもうそんなフィルターもものの五分もすれば全く効果をなくし、吸うのは甘い空気ばかりになった。
(ダメだ、もう限界)
 強烈な匂いにクラクラする。オレは楽しそうに菓子を選ぶ大佐の袖を引いて言った。
「すんません、オレ、外で待ってますんで」
「え?ああ、すまんな」
 大佐は意識半分菓子に残したまま頷く。オレはよたよたと店の中を横切り、扉を開いて外へと出た。
「プハッ」
 顔の前から袖を外し空気を思い切り吸い込む。こんなに空気が旨いのは初めてだと思いながら、体の中の甘い空気を全部吐き出して大きく息を吸い込んだ。何度かそれを繰り返して体の中の空気を全部入れ替えたオレは懐から煙草を取り出す。火をつけ深く吸い込めば漸く人心地ついた。
「はあ……死ぬかと思った」
 よくあの中にいられるものだ。煙草を吸いながら店の方へ目を向ければ、ガラス越しに選んだ菓子を指さしてケースから出して貰う大佐の姿が見えた。
「焔の錬金術師って甘いもの好きなんだ……」
 もしかして焔のエネルギー源は糖分なのだろうかと、強烈な甘い匂いで少々ネジの弛んだ頭で考えていれば大佐が洋菓子店の袋を抱えて出てくる。
「待たせたな」
「……いえ」
 そう言う大佐の顔があまりに幸せそうで、嫌みを言う気にもなれなかった。オレは車の扉を開けて大佐を乗せると、運転席に回ってハンドルを握り司令部に戻るべく車を発進させたのだった。


「なんか、噂で聞くのと全然イメージが違って面食らいましたよ」
『へぇ、そうか?』
 オレが言えば中佐が面白そうに言う。大佐の視察であちこち回ったオレは、司令部に帰ると司令室に戻ると言う大佐と別れて小隊の訓練に向かった。そこで一汗流してシャワーを浴びてさっぱりしたところで、司令部の外にある公衆電話からセントラルの中佐に電話を入れているところだった。
『で?ロイの印象はどうよ。イメージが違ったっていうのはいい意味か?悪い意味か?』
 そう聞かれてオレは考える。少なくとも噂で聞くような短気で怒りっぽく、攻撃的な御仁には見えなかったとオレは言った。
「人の意見も聞いてくれるっつうか、幾つかこうして欲しいって事があった時にオレ、言っちまったんスけど、今までなら余計な事だって怒鳴られてたのが大佐は“判った”って。オレの意見を尊重しようって、そんな風に言われたの初めてっスよ」
 あれは正直意外だった。いつもならちょっとこちらの考えを言えばすぐ余計な口出しをするなって怒鳴られたもんだ。オレの考えを聞いてくれた上官は今この電話の向こうの相手以外とんとお目にかかったことがない。
「それにそんなに恐い感じはしなかったっスけどね。噂じゃやたら恐ろしく言われてるみたいだったけど」
『それはお前がアイツの錬金術を見てないからだろう』
「え?錬金術って焔を操るっていう奴っスか?そりゃ確かに錬金術ってすげぇっスけど、所詮は人が操るものっしょ?」
 オレがそう言えば中佐が笑う気配がした。
『お前がロイの錬金術を見たとき、同じ事を言ってくれるように祈ってるよ』
「え?それってどういう意味っスか?」
 中佐の言っている事がよく判らずにオレは聞き返す。だが、中佐は人が来たと言って電話を切ってしまった。
「……どういう意味さ、それ」
 オレは受話器に向かってそう呟いたが返るのは空しい発信音ばかりで。
「ま、いっか」
 そう言ってオレはため息をつくと受話器をフックに戻し司令部へと帰ったのだった。


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