辿り着くはパナケイアの空  第四十七章


 駅に着くと迷った末、まず母さんに電話する。その方が区切りがつくような気がするからと言って受話器を取るオレに、大佐はなにも言わずにいてくれた。
『そう、よかったわね、ジャン』
 大佐を説得出来たから急いで戻ることになったと説明すれば母さんが答える。騒がせた上寄らずに戻る事を詫びるオレに母さんが笑って言った。
『いいのよ。その代わり落ち着いたら一緒に顔を見せて。その時はスコーンを焼くわ』
「うん」
 オレは笑みを浮かべて母さんの言葉に頷く。その後二言三言交わしてオレは電話を切った。
「よし」
 一つ息を吐いてオレは大佐を見る。大佐が頷くのを見てオレは次のダイヤルを回した。特別に使うのを許可されている回線を使えば、繋がった途端待ちかねたように受話器から声が飛び出してきた。
『少尉か?!ロイはッ?!』
「ここにいます」
『代われッ!!』
 でかい声に鼓膜がビリビリする。耳を押さえて受話器を差し出せば、大佐は少し躊躇ってから手を出した。
「……もしもし」
『ロイッッ!!お前ッ、俺がどれだけ心配したと───』
 離れていてもはっきり聞こえる程の大声に大佐が顔を顰めて受話器を耳から離す。一通り中佐が喚くのを受話器を離して聞いた後、大佐は改めて受話器を握り直して口を開いた。
「すまなかった、ヒューズ」
 静かに言葉を吐き出す大佐に、セントラルの中佐も漸く落ち着きを取り戻したらしい。幾つか言葉を交わした大佐が返してきた受話器を受け取って、オレは耳に押し当てた。
「中佐、ハボックっス。これから大佐連れて司令部に戻ります」
『ああ、俺もすぐそっちに行く』
「中佐も?」
『当たり前だ。こっちでじっとなんてしてられっか』
 中佐はそう言ってオレに一つ二つ指示を与えると、オレの返事も待たずに電話を切ってしまう。やれやれとフックに戻した受話器をもう一度取り上げて、オレは一番馴染みの深い番号を回した。
『はい、司令室』
 電話に出たのはいつも最初に電話を取るフュリーではなくて中尉だった。
「ハボックです、中尉」
『少尉』
 いつも冷静な中尉がどこかほんの少し急かすような響きを声に滲ませてオレを呼ぶ。それがオレ達を待っていたと告げているようで、オレは笑みを浮かべて言った。
「見つけました。隣にいます」
『───そう』
 短く答えた中尉は一つ息を吐き出す。次に聞こえてきた声はいつもと変わらず感情を伺わせない冷静な声だった。
『それで?どれくらいで戻ってこられるの?少尉』
「司令部に戻る前に一度マクレーンと話をしたいんス。例の学生達のリーダーの男です。そっち戻ったらすぐまた出られるか判んないし、証言して貰う為にも大佐と会わせておかないとだから」
『判ったわ。こちらのことは任せて』
「あ、それと!中央のヒューズ中佐がそっちに行くって言ってます」
『連絡を取ってみるわ』
「お願いします」
 オレは最低限必要な事を伝えたと電話を切ろうとする。その時、中尉の声が聞こえてオレは慌てて受話器を耳に押し当てた。
『気をつけて。待っているわ』
「ッ、……はいっ、伝えます」
 答えれば微かに笑う気配がして電話が切れる。オレは受話器を置くとこちらを見ている大佐に向かって言った。
「中尉が気をつけて帰ってきてくださいって。待ってますって言ってたっス」
 オレの言葉に大佐が切れ長の目を見開く。大佐はなにも答えずオレに背を向けると列車に向かって歩きだした。
「行くぞ、ハボック」
「イエッサー!」
 止まらずに言う大佐に答えて、オレはその背を追いかけた。


途中の駅でパンを買い込み軽い夕食代わりにする。段々と風景が夜の闇に沈んで窓に映るのが自分達の顔だけになった頃、大佐がオレに言った。
「眠っていいぞ。疲れただろう?」
「嫌っス」
 散々大佐を探し回って、すったもんだの末こうして列車の揺れに身を預けるオレの体を気遣って大佐がかけてくれた言葉にオレは即答する。僅かに見開かれる黒い瞳を見返してオレは言った。
「ちゃんと連れて帰るって言ったっスから。中佐にも中尉にも」
 そう言えば大佐は見開いた瞳を優しく細めてオレに手を伸ばす。長い指でオレの髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて大佐は言った。
「一緒に帰ろうと言っただろう?」
 そうだけど。
 確かに大佐はそう言ったしオレもそれに頷いた。それでも目を離したらまたどこかに消えてしまうのではという不安はまだ心から消えなくて、オレはギュッと唇を噛む。それ程までにこの数日間のオレの焦燥感と喪失感は根深くて、唇を噛む歯に知らず力を込めて俯くオレを大佐はそっと引き寄せた。
「そんなに噛んだら血が出てしまうぞ」
 大佐はそう言ってオレの顔を覗き込むように顔を寄せる。大佐の舌が噛み締めた唇をなぞって、思わず開いた唇に大佐が口づけてきた。
「た、いさ……」
 すぐ近くにはいないものの乗客が全くいないわけじゃない。慌てて押し返すオレを大佐は逆に引き戻した。
「心配ならくっついていればいいだろう?私が離れようとすればすぐ判る」
「離れたいんスか?」
 何から?オレから?それとも色んな(しがらみ)から?
「……馬鹿だな」
 一瞬目を見開いて、大佐はクスリと苦笑する。オレの肩を抱き寄せてオレの体を己に凭れかけさせた大佐は言った。
「お前が離れたいと思ったとしても離れたりしない。絶対に離してやらん」
 囁くように告げられた言葉にオレは小さく頷くと大佐の体を抱き締めて、短い眠りへと落ちていった。


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