| 辿り着くはパナケイアの空 第三十八章 |
| 司令室のみんなも協力して四方八方手を尽くして大佐を捜したけれど、大佐の行方は判らない。ただ一つ救いだったのはハリソン大佐達も大佐の事を見つけられないでいることだったが、それも時間切れになってしまえば大した救いにはならない筈だった。 「大佐の馬鹿……ッ」 まるで存在そのものをなくしてしまったように行方を晦してしまった人をオレは罵る。イーストシティの街を走り回っていたオレは、いい加減くたびれきって目に付いた喫茶店の扉を開けた。 「コーヒー」 注文を取りに来た女の子に短くそれだけ告げてオレは椅子に体を預ける。少しして目の前に置かれたカップを見つめていれば大佐の面影が浮かんだ。 (砂糖とミルク、いっぱい入れるのが好きだっけ) そんなことがふと思い浮かんで、オレは砂糖に手を伸ばす。いつもはブラックで飲んでいるコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて、オレはコーヒーを口にした。 「あま……っ」 コーヒーというより砂糖水じゃないかというほどのそれにオレは思い切り顔を顰める。思わず乱暴にカップをソーサーに戻せば、茶色の液体がテーブルに跳ねた。 「しまった」 小さく呟いてオレはテーブルに置かれた紙ナプキンに手を伸ばす。零れた液体をナプキンで拭き取って、オレはため息をついた。 「あと何処を探せばいいんだろう……」 オレはポケットからペンを取り出すとナプキンをもう一枚取る。そこに他に大佐が行きそうなところはどこか書き出そうとして、オレはふと手を止めた。 「あれ……?」 前にもこんな風にナプキンに書いたような気がする。 「なんだっけ……?」 呟いてオレは正面を見つめる。誰も座っていない向かいの席をじっと見つめていれば、ずっと探し続けている人の面影が浮かんだ。 『私も一度行ってみたいものだ』 『ほんとに?是非来て下さいよ』 そう言って笑う大佐の幻にオレの声が答えるのが聞こえる。 『一緒に帰れたらオレが案内しますし、大佐一人でも両親や姉貴がいるから。大佐が行ったらすっげぇ歓迎してくれると思います』 ナプキンに大佐のペンでオレの故郷の名前を書いて渡したのはいつのことだったろう。 「大佐……ッ」 きっと大佐はあそこにいる。いつか行ってみたいと言っていたオレの故郷に。 オレはコーヒーの代金を叩きつけるようにテーブルに置くともの凄い勢いで店を飛び出した。 駅からセントラルの中佐と司令室の中尉に連絡を入れて、オレは列車に飛び乗る。あまり乗客の乗っていない車両の中程の席に腰を下ろし、オレは窓の外へと視線を向けた。 オレの故郷の名を大佐に渡したことを思い出した時は、絶対大佐はあそこにいると思ったものの、こうして列車の揺れに体を預けてくるとその確信が不安へと変色していく。カタンカタンと列車が一つ線路の継ぎ目を越えるたび、大佐に近づいていくと感じる一方離れていくようにも思え、揺れに合わせてオレの不安も大きくなっていった。 (大佐……) これから向かう先に大佐がいなかったらどうしよう。もしそうなら他に探す場所なんてこれ以上思いつかない。 (絶対いてよ、大佐。頼むから) オレは暮れていく空を睨みつけて、この茜色に続く空の下にいる人に向かって必死にそう願い続けた。 自分の故郷が田舎だって事を今まで一度も嫌だと思ったことはなかったけれど、今日ばかりは心底嫌になってくる。接続が悪くて待ち時間の長い列車を乗り継いで漸く目的の駅に着いたときには、空はもう白みかけていた。オレは駅からの坂道を一気に駆け下ると、何年ぶりかで訪れる両親の住む家に向かって一目散に故郷の町を駆け抜けた。幾ら朝の早い両親でもまだ今時分はベッドの中の筈だ。それでも構わず、オレはたどり着いた家の扉をドンドンと乱暴に叩いた。 「母さんッ!オレだよ、開けてッ!」 叩きながらそう声を張り上げる。少しして家の灯りがついたと思うとガチャリと扉が開いてびっくり眼の母さんが顔を出した。 「ジャン?!一体どうし───」 パジャマの上にカーディガンを羽織った母さんが驚いて言いかけるのを遮って、オレは声を張り上げた。 「ねぇ、大佐、来てないっ?ここに来てる筈なんだッ!大佐、今どこに───ッッ」 まだ明け切らぬシンと静まり返った空気の中、オレの頬がパチンと音を立てる。小柄な母さんに頬を軽く叩かれて、オレは目を見開いて母さんを見た。 「中に入りなさい、ジャン。ご近所に迷惑よ」 そう言われてオレは慌てて辺りを見回す。まだ人が動き出すには早い時分、オレの大声は近所中に響いていた。 「ジャン」 母さんは言ってオレの腕を引っ張る。それに逆らわず中に入ると母さんは扉を閉めた。 「久しぶりね。その調子なら“元気だった?”って聞く必要もなさそうだけど」 「母さん」 電話でなら時折連絡も取っていたけれどこうして会うのは久しぶりだ。そんな久しぶりの再会にもかかわらず親の様子を気遣う余裕もない息子に、母さんは優しく笑った。 「なにがあったの?ジャン」 オレの手を優しく握り締めて母さんが言う。オレが小さな時から変わらないその優しい温もりに、オレの心が落ち着きを取り戻した。 「大佐が……オレの上官のマスタング大佐を探してるんだ。色々あって行方を晦ましちまった。ここに……来てると……ッ」 もし来ていないと言われたらどうしよう。そんな不安が俄に膨れ上がって言葉を続けられなくなる。ギュッと目を瞑るオレの手を優しく撫でて、母さんは言った。 「黒髪のハンサムさん?」 そう言う声にオレはハッとして目を見開く。優しい笑みを浮かべた母さんはオレを見上げて言った。 「名乗りはしなかったけれど貴方の知り合いだと言ってここに来たわ。お茶を飲んで、貴方の話をしたの」 「それでっ?今どこにッ?」 もしかして、もうここにはいないのだろうか。不安に目を見開いて尋ねるオレに母さんは玄関脇の窓から外を見た。 「話をしてすぐにもどこかへ行くつもりだったみたいだけど、せっかくだから貴方が育ったこの町でゆっくりしてみたらと勧めたの。最初は気が進まない様子だったけど」 母さんは言って家々の向こうに見える小さな丘を指さした。 「あそこに小さなログハウスがあるの、覚えてる?休みになると子供たちがキャンプしたりバーベキューしたりしたところ。子供の頃、貴方もよくそこで遊んだと言ったら少しの間泊まってみるって。まだそこにいるはずよ」 「……ッッ!!」 そう聞いてオレの心臓が跳ね上がる。オレは母さんの手をギュッと握り締めて震える声で言った。 「あ、りがと……ッ、母さんッ」 母さんが引き留めてくれなかったらオレは大佐に追いつけなかった。母さんはにっこりと笑ってオレの手を握り返してきた。 「もう一度お茶を飲みに来て下さいと伝えて。お待ちしてますって」 「うんっ、そう伝えるっ!」 オレはしっかりと頷いて母さんの手を離す。扉を開けて家を出ようとしたオレが振り返れば母さんが笑って頷いた。それに笑い返したオレは、一直線に大佐に向かって明け方の町を走り抜けた。 |
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