辿り着くはパナケイアの空  第三十一章


『少尉っ?お前、全然連絡寄越さないでどういうつもりだっ』
 受話器の向こうから苛立ちと懸念を滲ませた声がオレを責める。オレが「すんません」と呟くように言えば、ヒューズ中佐が内心の焦りを感じさせるような早口で言った。
『それで?その後どうなったんだ?』
 そう問い質されてオレは現況を手短に説明する。そうすれば中佐が思いきり舌打ちして言った。
『上層部がロイがいつか錬金術を使って反旗を翻すんじゃないかって恐れてるのを利用する気だな。ふざけやがって』
 口汚くハリソン大佐達のことを罵った中佐は、気持ちを落ち着けるように一つ息を吐いて言った。
『それで?まさか本当に片棒担ぐ気じゃないだろうな』
「そのつもりっスよ」
『少尉ッ?!』
 サラリと答えれば中佐が悲鳴のような声でオレを呼ぶ。きっと眼鏡の奥でいつも人をからかうような光をたたえている常盤色の目をひん剥いてるんだろうと思ったらなんだかおかしかった。
「学生達を煽って市街地に混乱を引き起こさせるのに併せてオレの部隊を動かすっていうなら、オレがソイツらを止めりゃいいって事っしょ?」
『バカ言うな。奴らはロイの命も狙ってんだぞ』
「大丈夫、大佐には指一本触れさせないっス」
『お前の体は一つしかないんだぞッ』
 どうやって二つ事を成し遂げるというんだと言う中佐にオレは笑った。
「心配しないで、中佐。今までだってオレ、上手くやってきたっしょ?」
 そう言えば一瞬中佐が押し黙る。その隙に受話器を置くとオレは電話ボックスの扉を押して外へ出た。上着の隠しからメモを取り出しそこに記した名前を確かめる。メモをギュッと握り潰し、オレは司令部とは反対の方向へと歩き出した。


「なんだよ、ハボック、残業か?」
「うん。ちょっと昼間忙しくて書類片づかなかったから」
 定時を過ぎても帰る様子のないオレを見てブレダが言う。答えるオレをブレダは呆れたように見た。
「せっかく上官がいなくて羽根を伸ばせるって時にわざわざ残業することないんじゃねぇ?」
 そんなの御大が帰ってきてからでいいんじゃ?と言うブレダにオレは言った。
「でも、帰ってきてまだ出来てなかったら色々言われそうだし」
「あー、確かに無駄な怒りを買うことはねぇわな。虫の居所が悪くて燃やされた日にゃかなわないし」
 相変わらず大佐を誤解した発言をするブレダにオレは上げかけた否定の言葉を飲み込む。いつかはちゃんとブレダ達にも大佐がどんな人か知って欲しいと思うけど、今はその時じゃなかった。
「んじゃ悪いけどお先に」
「ああ、お疲れ、ブレダ」
 じゃあと手を振って司令室からブレダが出ていく。フュリー達も次々と帰っていって、司令室の中はオレ一人になった。用心してその後も席に座っていたオレは十分ほどたってから抽斗を開ける。中にしまわれた大判の封筒を取り出すとゆっくりと立ち上がり執務室に向かった。そっと扉を開ければ書類に埋もれた大佐が顔を上げてにっこりと笑った。
『ハボック』
 優しい声の響きまでもはっきりと真似て、幻影は姿を消す。オレは扉を閉めると大きな執務机に近づき、いつも大佐が腰掛けている椅子の背を優しく撫でた。それから机の抽斗を開け、封筒から書類を取り出すとついていたメモを丸めてボトムのポケットに突っ込む。書類を抽斗に入れようとしたものの自分が今しようとしている事の重大さを噛み締めればそのまま動けなくなってしまった時、何の前触れもなく執務室の扉が開いた。


「ジェンナー少佐……」
 開いた扉から入ってきたのはジェンナー少佐だった。少佐は薄い唇に酷薄そうな笑みを浮かべて後ろ手に扉を閉める。オレが手にした書類を見て言った。
「上官の机の中を勝手に漁ってはいかんな、少尉」
「ッ?」
 オレが持っているのが大佐に罪をなすり付けるために用意された書類だと判っていながらそんなことを言う少佐をオレは目を見開いて見つめる。暫くの間睨みつけるように少佐を見ていたオレが、書類を抽斗の奥に突っ込もうとすれば不意に少佐の手が伸びてきて書類を数枚抜き取った。
「マスタング大佐にお願いしていた書類だ。急ぐので貰っていくよ。残りの書類はきちんと戻しておきたまえ」
 少佐はそう言って書類を丸めて手に持つとオレに背を向ける。
「貴官が上官の机を漁っていた事には目を瞑ることにしよう」
 まるでオレが悪いことをしたかのように言うとジェンナー少佐は執務室を出ていく。パタンと扉が閉まれば知らず詰めていた息が唇から零れた。オレは残った書類をめくって少佐が持っていった書類が何かを調べる。それが部隊を動かす為の命令書だと確認した上で書類を抽斗に突っ込んだ。
「くそ……ッ」
 今ならまだ間に合う。こんな危険な橋を渡らなくても大佐に真実を告げて大佐を陥れようとする奴らを力を合わせて叩き潰せばいい。きっとその方がずっと危険だって少ない筈だ。
でも。
「オレは大佐を守りたい」
 いっぱい傷ついてきたあの人をこれ以上謂れない悪意に晒すのはどうしても嫌だった。
 オレはギュッと手を握り締めると執務室から出て、そのまま司令部を後にした。


 その三日後は大佐が出張から戻ってくる日だった。オレは車を出して大佐と中尉を迎えに駅まで走らせる。珍しく定刻についた列車から降りてきた二人を後部座席に乗せハンドルを握った。
「明日の午後は士官学校での講演だったな」
「はい。それと模擬演習を行う事になってます」
「実弾を使うのか……申請は───」
「済んでるっス」
 二人の会話に割り込むようにオレは前を見据えたまま口を開く。ほんの一瞬間をおいて、大佐が呟くように「そうか」と言うのが聞こえた。その後は、二人が今日明日の業務の打ち合わせをするのを何も言わずに聞いていた。ふと視線を上げればミラー越しにオレを見ている大佐と目が開う。オレが見ていることに気づいた大佐がフイと視線を逸らすのを見て、オレはキュッと唇を噛んだ。
明日が無事終わったら、大佐にあの夜言ってくれなかった言葉を聞こう。その言葉がなんであれ、その時はオレの気持ちも言葉にしてもいいだろうか。
(大佐……)
 今は大佐への想いを胸の奥深くに押し込めて、オレは司令部へと車を走らせた。


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