| 辿り着くはパナケイアの空 第二十八章 |
| 「詳しい指示は追ってする」 そう言うハリソン大佐達と別れてオレはホテルを出る。すぐには歩き出す事も出来ず、その場に立ち尽くした。 ハリソン大佐はオレに協力する気があるかないかは確かめてこなかった。オレが協力するのは当然と考えているようで、もしオレが首を振ったならあの場で始末するつもりだったのだろう。聞いてしまえば逃げる事も断る事も赦されない。ハリソン大佐との話はそれを大前提に行われたものだった。 それにしても大佐を嵌める為の駒として使われるとは思わなかった。しかもハリソン大佐は“不慮の”結果を起こす気でいる。大佐を陥れるだけでなくその命を奪おうと企んでいる人間がいると考えただけで、躯が震えるほどの怒りを覚えた。いっそオレがハリソン大佐を殺してやろうかという考えが頭に浮かぶ。引き返してまだレストランで酒を酌み交わしているであろうハリソン大佐とジェンナー少佐を撃ち殺してしまいたい衝動を、オレは必死に押さえ込んで手を握り締めた。 このままここにいれば本当にレストランに戻ってしまいかねなくて、オレは無理矢理脚を動かしてその場から離れる。これからどうすればいいのか、オレは歩きながら必死に考えを巡らせた。 最初に浮かんだのはセントラルにいるヒューズ中佐だった。あの人ならオレより知恵も経験もあるからきっといい考えを思いつくに違いない。立場上直接動けないにせよ方法さえ示してくれれば、後はいつものようにオレが実行に移せばいいだけの事に思えた。でも。 (大佐を守るのに他人の手は借りたくない) そんな我儘ともいえる考えが浮かんでオレは唇を噛み締める。それでも誰よりも大切な大佐を守るのに誰かの手を借りるのはどうしても嫌だった。 (じゃあどうするんだ?) ヒューズ中佐の手を借りないならどうするのか。もし、大佐にこの話をしたなら大佐はオレを信じてくれるだろう。大佐が知った上でハリソン大佐の謀略に嵌ったフリをしてくれたら、逆手をとってハリソン大佐を失脚させる事も可能かもと考えて、オレは慌ててその考えを打ち消した。 (大佐に話せるわけないじゃないか) もし話せるのならハリソン大佐という大佐に悪意を抱いている存在が判った時点で話している。大佐には話さないと決めてヒューズ中佐にもそう告げたのは自分だろうと、オレが内心自分で自分を罵った時、なによりも大好きな声が聞こえた。 「ハボック?」 呼ぶ声にオレは俯けていた顔を上げる。そうすれば幾つもの店の窓から零れる照明やイルミネーションに照らされた通りの真ん中に大佐が立っていた。 「こんなところで会うなんて珍しいな、食事の帰りか?」 大佐はそう言いながらオレに近づいてくる。優しい笑みを浮かべたその顔を見れば、胸が張り裂けそうに痛かった。 (どうしよう……オレ、大佐の事、すっごく好きだ) 言葉に出来ない、言葉にしてはいけない想いが胸の中に渦巻く。大佐を見つめたきり答えないオレに、大佐は訝しげに眉を顰めて言った。 「どうかしたのか?」 そう聞かれても答えることが出来なくてオレは大佐から目を逸らす。何度も唾を飲み込んでやっとのことで答えた。 「なんでも……なんでもないっス」 そう答えてオレは笑みを作る。オレの事より大佐がここにいる理由を尋ねようと口を開こうとするより早く、大佐の手が伸びてきた。 「なんでもないという顔じゃないな」 大佐はそう言ってオレの顎を掴む。グイと顔を大佐の方へ向けられてオレは息を飲んだ。 「ハボック」 いっそ言ってしまえばいいんだろうか。ハリソン大佐の企みも、オレの気持ちも。言ってしまえばなにもかも上手くいくのだろうか。そんな考えが頭に浮かんでオレは大佐をじっと見つめる。でも、オレの唇から零れたのはそのどちらでもなかった。 「なんで……なんでキスしたんスか?」 そう尋ねれば大佐が目を大きく見開く。今度は逆に黙ってしまった大佐の手を振り解いてオレは繰り返した。 「なんであの時オレにキスしたんスか?なんでっ?!」 そう口にしてしまえば走りだした感情を押さえる事が出来なくなる。感情が高ぶるままに伸ばした手でオレが大佐の胸倉を掴んでグイと引きつければ、大佐が僅かに眉根を寄せた。 「お前……覚えていたのか?」 どこか後悔の滲む声にオレはカッとなる。掴む手に力を込めて言った。 「オレが覚えてなかったらなかった事にする気だったんスか……?」 もしオレが聞かなかったら大佐はキスした事実をなかった事にするつもりだったのだと察してオレは呻く。人の気持ちを乱しておいて、そんなのあんまりだと思えば悔しいやら腹が立つやらでどうにもならなかった。 「アンタ、ひでぇ……ッッ」 「うわ……っ、ハボックっ?!」 オレは掴んでいた手で大佐を突き飛ばすと背を向けて走り出す。大佐の呼ぶ声が聞こえたけど構わず走った。もうなんだか頭の中がぐちゃぐちゃでなにがなんだか判らない。目の当たりにしたハリソン大佐の憎悪と悪意から大佐を守らなければと思うと同時に、オレの気持ちなんてこれっぽっちも判っちゃいない大佐を憎んでしまいたいとさえ思った。 賑わう通りを人の間をすり抜けて走って走って走り続ける。闇雲に走っていい加減心臓が悲鳴をあげて漸くオレは脚を緩めた。音を立てて鳴り喚く心臓が落ち着きを取り戻し、ゼイゼイと荒かった息遣いが収まるにつれ高ぶっていた気持ちも平静を取り戻してくる。オレは薄暗い路地の奥で店の裏手の壁にゴツンと額を打ちつけた。 「馬鹿みてぇ……」 どうしてあんな事を言ってしまったんだろう。ハリソン大佐との話の後で混乱してたとはいえ聞くべきじゃなかった。大佐が何故キスしたのかは判らないけど、少なくとも大佐が後悔していてなかったものにするつもりであるなら尚更。 オレは大佐を好きだけど、どれほど想おうとオレの想いは大佐には届かない。せめて大好きな大佐を誰にも傷つけさせるようなことだけはさせまいと、オレに出来るのはそれだけだとオレは自分に言い聞かせた。 「明日、謝んなきゃ」 馬鹿なこと聞いてごめんなさい、と。オレも二度と思い出さないから大佐もそうしてくれていいと告げて、後は自分に出来る事をするだけだとそう心に決めて、オレは大きく息を吐き出した。その時。 「ハボック」 「ッ?!」 聞こえた声に弾かれたように振り向けば大佐が路地の入口に立っていた。 |
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